4 最悪な始まり
「みんな、書道部に入ってくれてありがとう」
みんなって言っているけど結局入ったのは私とすみちゃんともう一人の子だけ。
昨日はもっといっぱいいたんだけどなあ。
書道ってやっぱりあんまり人気ないのかな……う~ん、楽しいんだけどなあ。
すみちゃんも同じことを思ったのか私に話しかけてくる。
「少なくなっちゃいましたね」
「うん……なんでだろうね……」
「こら、そこの二人! しゃべらない!」
「「ごめんなさいっ」」
私とすみちゃんは声をそろえて謝る。
ひえええ、最初からおこられちゃったよお。
「簡単に書道部の活動について説明するね。基本的に私たちはいろいろな競書大会に出すための作品を作るの。で、文化祭の時だけ飾る用の作品を作る。今日は一年生がどんなレベルかを確かめたいから私が指定する課題を書いてもらうよ。水、って書いてもらってもいい? お手本はなしね」
副部長の陸先輩ははじのほうで真剣に書と向き合っている。
「あ、あの……私、筆が……」
すみちゃんじゃない方の子がそう言って袋に入っている筆を取り出す。
新品の筆のようだった。
「ああ。大丈夫。えっと……あなたの隣にいる子、筆のおろし方、わかる?」
すみちゃんが頷く。
「じゃあ、その子に教えてもらって」
水。
簡単そうに見えてこれはなかなか難しい。
左右のはらいが入っているしはねもある。
しかもお手本がないなんて!
お手本なしで書いたことなんてないよお。
できるかなあ。
夢佳先輩は私のところに寄ってくると一言。
「まずは梨々花ちゃんから見させてもらうよ」
「は、はい!」
緊張する……!
普段は書いているのを見られることなんてないからなあ。
よし。
気合を入れて書き始める。
あ。
はじめからまっすぐかけなかった……!
「梨々花ちゃん、集中して」
「はい!」
一度深呼吸して墨を筆にふくませる。
書き始めると……今度はうまくいった。
最後のはらいまで終わると、ほっと息がもれる。
いつもよりうまく書けなかったけど部活の初日にしては上出来じゃない!? なんてね。
夢佳先輩は私の作品を手に取る。
「梨々花ちゃんって、書道習ってるんだっけ?」
「はい。小学二年生の時から」
その瞬間、空気が変わった気がした。
「へえー」
見下すような、冷たい声。
これ、本当に夢佳先輩の声、なの……?
さっきと全然違うトーン。
なんだかわからないけれど、とにかく怖くて……。
膝ががくがく震え始めた。
それから私の耳に近づけてつぶやく。
「じゃあ、もう書道初めて七年? なのにこのレベル? ハッ」
「ち、ちが」
否定しようとしたけど声も震えている。
た、確かにうまく書けなかったけど……それは見られてたからで……それに、そんなに言われるほどじゃ――
「下手」
目頭が熱くなる。
泣いちゃう。ダメ、泣きたくないっ。
泣いているところ、見られたくない……っ。
「泣いてるの? 弱くない? 私は本当のこと言ってるだけだし」
夢佳先輩は離れていく。
誰かに見られないように前を見ながら涙をぬぐう。
どうして、こんなこと、言われなくちゃならないの?
部活って、みんなで仲良く上達させるために頑張るものじゃないの?
◇◆◇
「このはさん、でしたよね?」
すみはその子に確認する。このはさんは首を縦に振る。
「このはさんは書道は初めてですか?」
優しく尋ねると、このはさんは消え入るようなうな声で「うん……」とつぶやく。
「わかりました、まずは筆を出してもらってもいいですか?」
このはさんは不安げにすみに筆を手渡す。
すみはその筆を見てニヤッと笑う。
新品の筆なら何度もおろしたことがある。
筆の根元に固まった墨を取り除くことより簡単だ。
「大丈夫です、すみに任せてください!」
すみは水道に行って筆をおろし始めた。
すぐそばに来たこのはさんがすみをじっと見つめている気がする。
小さく息をつくとすみはこのはさんを見る。
「できましたよ」
このはさんは筆を受け取って恐る恐る触ってみる。
「……すごい」
「ありがとうございます」
すみは微笑む。
「あの、でも質問があって……」
このはさんは少し言いにくそうに言葉を出す。
「小学生の時、先生に筆を全部おろすなって言われて。あとぬるま湯でやれって言われたんだけど……」
ああ、と大きく頷く。
「たぶん小学生だと太くなっちゃって字がつぶれちゃうからじゃないでしょうか? でも基本は全部おろした方がいいですよ。根元が固まっちゃうといろいろな表現ができなくなっちゃいます」
「そうなんだ……」
「うちの書道の先生は水道水で大丈夫って言ってました。事実のりは水でも取れます」
このはちゃんは納得している様子。
分かってもらえてよかった、と胸をなでおろす。
「ちなみに、小筆は全部おろしてはいけません。全部おろすと小さな字が書けなくなっちゃいますからね」
このさんは小筆を取り出す。
「あの……小筆は小学校の時のなんだけど……」
すみはその小筆を見て固まる。
その小筆は真ん中のところにすみが固まっていて小筆の先の毛がほとんどない状態だった。
「新しい小筆、持っていたりしてませんか?」
自分でも声が震えているのがわかる。
筆がかわいそう……。
「ないです……」
「そう、ですか……。……では今度新しい筆を買ってください。小筆なら300円くらいのでも大丈夫ですから」
このはさんは頷く。
すみは気を取り直して小筆の洗い方の説明をしようと小筆を取り出す。
手で指差しながら説明する。
「小筆は硯に水を数滴たらして毛先に水を含ませます。そのあとは失敗した半紙に、平行にして縦に線を引いてください。そうすることで墨を吸い取っていくんです」
「……なるほど」
☆★☆
「終わった?」
夢佳先輩が廊下をのぞくと二人の「はい」という声が聞こえて二人は部室に戻ってくる。
夢佳先輩は満足そうに頷く。
「じゃあ、あなた、書いてみてもらってもいいかな」
すみちゃんじゃない方の子が頷く。
「はい……」
その子は書き始めたけど、なんだか線も細くてふらふらしてて……お世辞にも上手いって言えな――
「上手い!」
え?
私は耳を疑う。
夢佳先輩、上手いって言った?
「あなた、書道の経験は?」
「ないです……」
「そうなんだ!? それなのにこんなに上手いの!? すごい!」
夢佳先輩は笑っている。
「えっと……下の名前は何だっけ?」
「このはです」
「このはちゃん! やー、このはちゃんが競書大会でたくさんの賞を取ってくれればうちの部も安泰だね。少し前まで廃部の危機だったからなー」
……え?
さっきのは何だったの?
私のほうが上手いよ。
なのに、なんで、あんなこと言われなくちゃいけなかったの?
知らぬ間に涙がまた流れていた。
「梨々花さん?」
私の涙に気づいたすみちゃんが声をかけてくれる。
「どうしたんですか?」
私に駆け寄ってきて涙をぬぐう。
「あ、い、いや……」
何でもない、って言おうとしたけど。
涙声で。話せば話すほど涙があふれそうな気がして。私はすみちゃんの手を振り払う。
涙を隠すように下を向いて走り出した。
その時。
――あ。
走り出した道に急に足が飛び出てきて……。
バタンッ。
私は転んでいた。
「あ、梨々花ちゃん、大丈夫? ごめん、今梨々花ちゃんのこと止めようとしたら」
今私のこと引っかけたの、夢佳先輩? どうして……。
――うっ。
手首と足首が痛い……。
あ、あれ?
全然動かないよ……っ。
「梨々花さん! 私、保健室の先生を呼んできますから、ここで待っててください!」
「私も……。誰か呼んできます……!」
頑張って顔を上げると、いたはずの陸先輩がいない……?
ここには私と夢佳先輩だけ……?
寒気が襲う。
「梨々花ちゃん。ごめんね」
夢佳先輩はしゃがんで私と目を合わせる。
夢佳先輩の口角が上がっていた。
そして声を潜める。
「痛かったでしょう。本当にごめんね。……でも梨々花ちゃんが逃げようとするからいけないんだよ。下手なら下手なりに頑張らなきゃ。下手でも頑張ろうと思ったから書道部に入ったんでしょ」
夢佳先輩が下手って言うたびに心が傷つく。
夢佳先輩、私に悪いなんて思ってない……。
「梨々花ちゃんは下手。下手なのに上手いって勘違いしてるでしょ。客観的にどう見られているか教えてあげたんだから感謝してよね」
「それなら」
知らぬ間に口が開いていた。
「どうしてこのはちゃんには上手いって言ったんですか?」
夢佳先輩の眉間にしわが寄る。
そんなこと言っちゃダメだってわかってたけど、止められなかった。大きな声になっていた。
「私のほうがこのはちゃんより何倍も上手いです! このはちゃんは下手です!」
私は思わず立ち上がろうとしてふらつく。
それを夢佳先輩が支える。
「危ないよ」
声の調子が変わったのに驚いて夢佳先輩の顔を見上げると……夢佳先輩がニヤッと笑った気がした。
え?
私はその不気味な笑みに体を震わせる。
なんだか悪いことが起きそうな予感がした。
「このはさんっ!」
廊下を駆ける音が聞こえる。
今、何が起こったの……? 信じたくない考えが頭をよぎる。
もしかして私、このはちゃんの前で下手って言っちゃったの……?
私、夢佳先輩と同じことをしてしまったんだ……!
「かわいそうに」
誰かが駆け寄る音が聞こえた。
「先生。足を痛めたのはこの子です。自分じゃ動けないみたいで」
「ありがとう、あとは私たちがどうにかするから、もう帰っていいわよ、気を付けて帰ってね」
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