20 嬉しい出来事のはずだった。

「りりちゃん、ようやく、だね」

「はい。やっとできます」

 夢佳先輩に転ばせられてから、書道ができるようになるまで、本当に長かった。

 書道部に行っても、みんなにアドバイスをすることしかできなくて、すごくつらかった。

 だけど、それももう終わり!

 嬉しい気持ちがこみあげてくる。

 頑張ろう、そう意気込んでいると中野先生が私に毎月の成績がのっている本を手渡す。

 中野先生はとてもうれしそうな顔で私を見る。

「りりちゃん、今月は去年出した濱野山はまのさんの競書大会の結果がのってるよ」

 あ、そうだった!

 すっかり忘れてた!

 濱野山競書大会は、ここの地域の高校生だけが対象の赤林神社競書大会とは違って、全国の人が応募できるとっても大きな大会。

 だから、いい賞はなかなか取れないんだ。

 真希ちゃんと同じ名前の濱野、だし、いつかはいい賞を取りたいって思うんだけど……。

 それに……ここだけの話。書道もいろいろな事情があって、たくさんの人数を抱えている団体が賞を取りやすかったりするんだ。

 うちの支部は多い時でも30人くらいのとても小さな団体だから、よほどうまくない限り、1番上の賞はもちろん、上から5番目の賞だってとるのは難しい。

 それに、5番目って言っても上位5人しか取れないわけじゃないからね。

 そりゃ1番上の賞は1人しか取れないけど、その下になるにつれて、とれる人数が増えていくのになかなか取れないから上位入賞するのは、とても難しいんだ。

「今回りりちゃん成績良かったよ。ほら、はやく見てみなよ」

 うそっ!

 大慌てでページをめくる。

 一ページ目に内閣総理大臣賞の作品がでかでかとのっているがそれが私の作品であるはずもなく。

 その下に目を移すけど、違う。

 まぁ、ここにはないよね、って下の賞の入賞者がずらっと書いてあるページにしようとした、ら。

 その左のページに……、あった。

 う、うそでしょ……?

「りりちゃん、すごいよ。うちの支部じゃここまでいい賞は取れたことないよ!」

 先生の声が、今まで聞いたこともないほど興奮している。

 う、うれしい……!

 何度も何度も名前を確認して、ようやく実感がわいてきた。

 じわじわと込みあがってくる嬉しさ。

 ふわふわと浮いているこの感じ。

 どれも初めての気持ちだ。

 真希ちゃん。

 まだ約束は果てせてない、けど。

 一歩、その約束に近づけたよ。

 真希ちゃんに知らせたい。

 だけど、その手段がない……。

 それに……今日の一件で真希ちゃんが迷惑だって思っていることがわかってしまった。

 嬉しいけど、真希ちゃんと一緒に、喜びたかったな。

 悠希くん。私、壁を超えることができたよ。

「りりちゃん、今週末表彰式があるんだ。行けるよね?」

「もちろんです!」

 書道の表彰式って、本当にあるんだ……!

 ワクワクする。

 そんな感じなのかな……?


 ☆★☆


 うわぁ、すごい!

 濱野山の神社の和室ににばああっと入賞先品が展示されている。

 会場には座布団がたくさん並べられている。

 とても広いお部屋。

 エアコンはもちろんないんだけど、標高が高いからかな? 涼しいよ~!

 さわやかな風が流れてくる。

 でも、ちょっと緊張してきて暑くなってきたかも……。

 それに正座していて足がもうしびれてきたし……!

 うわぁ、これ、最後まで持つかな……?

 会場は静まり返っていて、前のほうに座っているから後ろからの視線が感じられて足を直しづらい……!

 するとぞろぞろと写真で見たことのある書道家さんたちが入ってくる。

 うわぁ、すごい……!

 心臓がバクバクと踊り始める。

 時計を見ると……もうすぐ始まりそうだ。

 そして——始まった。

「ただいまより第八十七回濱野山競書大会表彰式をはじめさせていだたきます。初めに開会挨拶。濱野山競書大会審査長を務められています山本先生よりご挨拶をいただきます」

 低く、美しい声。

 静かな会場にきれいに響く。

 この声、どこかで聞いたことのあるような。

 ちらり、と司会者を見る。

 整った顔。

 高い鼻にやさしい目。

 この顔は……!


 ―—ゆう、き、くん?


 表彰式のことは実はよく覚えていなくて。

 名前が呼ばれた時は隣にいた先生に促されて受け取ったみたい。

 その間中、私はずっと悠希くんのことしか見ていなかった。

 頭が混乱していて、なんで、しか考えられなくて。

 表彰式が終わったら記念撮影がある。

 だけど私はそれよりも大事なことがある!

 司会の悠希くんは記念撮影をしているときにはもういなくなってしまうだろう。

 追いかけなくちゃいけない。

 表彰式が終わり書道家さんたちと悠希くんが会場を後にするとざわめきが戻り始める。

 私は「すみません!」と叫びながら出口に向かう。

「りりちゃん!?」

 遠くで先生の声が聞こえるけど、それにかまっていたら、悠希くんを見失っちゃう。

 やっと出口まで出られたけどもうすでに人がたくさんいて、どこにいるのかわからない!

 悠希くん、悠希くん、悠希くん……!

「りりちゃん、どうしたの! そんなに焦って」

「先生……! 悠希くんが」

 と。先生を見るといいことを思いつく。

「先生! 肩車してください! 早く!」

 先生は身長がとても高い。

 のれれば人がたくさんいても悠希くんを見つけられるはず……!

 先生は最初はためらっていたけど、私の必死さに頷いてくれた。

 先生が立ち上がると視界が晴れる。

 どこ、どこなの悠希くん……!

 落ち着いて、私。確か悠希くんは表彰されている人が来ていた服とは全然雰囲気が違っていた。だから、見つけられると思ったのに!

 もう、なんで私、顔しか見てなかったの……!

 その時、「写真を撮りまーす、集まってくださーい」」というカメラマンの声が聞こえる。

 そして、人の波が消える。

「あ……!」

 視界の端に動く人影が見える。

 あれは……!

「先生、おろしてください!」

 考える間もなく、走り出していた。

「りりちゃん、写真撮影は……!」

 そんな先生の声も聞こえるはずもなく。


「悠希くん……!」

 息を整えながら悠希くんに話しかける。

 悠希くんは歩みを止めたけど振り返らずに私にこたえる。

「ファンの方ですか?」

「違う、私だよ……、梨々花」

 それでも悠希くんは振り返らない。けれど。

「……作品、拝見させていただきました。お上手でしたね。真希にも伝えておきます」

「え……? 悠希くん……?」

 私は近づこうとする。

 と。突然静かな声になる。聞き取りにくい、低い声になる。

「真希の件、聞いただろ。俺もいつみられているかわからないんだ」

 はっとして私は離れる。

「もう、俺たちに関わるな」

 ふと、タッタッタっと規則正しく駆ける音が聞こえる。

 悠希くんの前からスポーティーな女の人が顔を見せる。

 若そうな人。でも私たちよりは年上な気がする。

「悠希ー! ごめん、ちょっと迷っちゃって……て、あれ、その子、誰?」

「ファンの子だって」

「あー、ごめんね、悠希もう行かなくちゃいけなくて」

 私のほうを向いて両手を合わせた。

 ―—悠希くんのこと、下の名前で呼んでいた。

 この人、誰?

 そして、考えたくない考えが頭をよぎる。

 彼女?

「行こう、富田さん」

「うん。あ」

 富田さんと呼ばれたその人は私のほうを振り返って首をちょこんとかしげる。

「これからも悠希の応援よろしくね!」

 そして二人は車に入って帰っていった。


 また、引き留められなかった。

 告白された時も。

 今回も。

 なんで、私はこんなんなんだろう。

 自分に嫌気がさすよ。

 時間を巻き戻せるなら、巻き戻したかった。

 巻き戻して……、とそこまで考えて私はやめた。

 どうしたってどうあがいたって、結果は同じ気がした。





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