6 遥大くん
「梨々花さん、ちょっといいですか?」
放課後。
一人でゆっくり帰る準備をしていたらすみちゃんに呼ばれた。
すみちゃんだ!
だけど……。
一瞬舞い上がった心は、一気に沈んだ。すみちゃんだって私が悪いと思ってるに違いない。
「すみちゃん、部活行かなくていいの」
私の口から出た声は思っていたよりも硬かった。
そして質問してから気づいた。今日は緊急の職員会議で部活がなしになったんだっけ。
「今日、部活休みなんです」
「……何か用?」
すみちゃんは静かに口を開く。
「梨々花さん、このはさんに下手って言ってましたよね?」
やっぱりすみちゃんは私を責めに来たんだ……!
「それがどうしたの。このはちゃんが上手くないのは本当じゃない」
途端、空気が変わった気がした。
すみちゃんの目が厳しい光を見せる。
でもそれはどこか悲しい光だった。
「……書道にはうまいとか下手だとか、関係ありません! 楽しむことが大事なんです!」
すみちゃんは走って教室を出て行った。
すみちゃんの言葉がはっと胸をつく。
私は糸が切れたように地面に座り込む。
「ちがう。私はこのはちゃんが書道をやっちゃダメなんて思っていない。ただ、客観的に述べただけなんだよ……」
私の言葉は教室にむなしく響いた。
『客観的』、か。
私、夢佳先輩と同じこと言ってるじゃん。
こんなの、言いたくて言ってるわけじゃないのに。
口から出た言葉は、最悪だった。
あんなに泣いて、反省したと思っていたのに。
頬に何か冷たいものを感じて、それが涙だとわかるのに少し時間がかかった。
なんで、こうなっちゃったんだろう。
良いライバルであるすみちゃんと出会え、これから楽しい生活が送れるはずだったのに。切磋琢磨してもっと腕を高められるはずだったのに。
このはちゃんとも仲良くやれるはずだったんだよ……。
あんなこと言うつもりじゃなかった。
夢佳先輩に言われなかったら……。……でも、思っていたことは本当だ。
考えるとさらに涙があふれて止まらなくなる。
それに、私が原因なのがわかっているから余計につらい。
私はなんて嫌な奴なんだろう。
嫌な奴で、それに、泣いてばっかりだ。
泣けばどうにかなるはず、ない。
その時、ガラガラッ、とドアの開く音がした。
急だったから私は涙を隠すこともできずにただ座ったままだった。
「梨々花……?」
遥大、くん……?
遥大くんは私に恐る恐る近づいてきた。
私はただ茫然として、涙をぬぐうこともせずに彼を見ていた。
どうすることもできなかった。
私の涙を見た彼の顔色がさっと変わる。
ポケットからティッシュを取り出すと私の頬から涙をぬぐう。
「梨々花。けがはしてないか? 誰かに何かされたとか?」
「大丈夫、なんでもない」
無理やり作った笑顔を見せる。
「なら、いいけど」
そういいながらもまだ信じていない様子。
遥大くんは、優しい。
私が泣いていた理由は、そんなんじゃないのに。
でもそんなことを言えるはずもなくて。
ごめん、と心の中でつぶやく。
私は涙がとまり、落ち着いてきた。
沈黙にいたたまれなくて口を開く。
「遥大くんはどうして教室に?」
あ、と彼は顔をしかめてから彼の机の中をのぞく。
一冊のノートを取り出すとリュックサックにしまう。
彼の特徴的な字で部活ノート、と書いてあった。
「下駄箱まで一緒に行こうぜ」
……そういえば……?
「遥大くん、それ今日の放課後提出って言ってなかった?」
しまった、という顔をする遥大くん。
「ち、違うんだ。明日の放課後と間違えただけで……ん、いや今日部活なくなったから今日出さなくていいのか? じゃあ俺の言ってることはあながち間違ってない……?」
自分から嘘ついてたこと、ばらしてる。
私は思わず笑ってしまった。
「そっか」
すみちゃんと話したときは素直になれなかったけれど。
なぜだか遥大くんと話しているときは素直になれる。
書道部員じゃないから、なのかな。
「じゃ、一緒に行こうぜ」
私は頷く。
立ち上がろうとして、足がぴきっと痛む。
「うっ」
足をおさえて顔をしかめると先を行こうとしていた遥大くんが慌てて私に駆け寄ってくる。
「大丈夫か? やっぱり怪我してるんじゃ――」
「ち、違う。怪我はしてるけど、昔の怪我だから」
夢佳先輩のせいで悪化した、あの時の、思い出の、怪我。
悠希くん。まだ治っていないんだよ。
だけど、あの時は、ありがとう。
私、嬉しかったよ。
そう思うけど、その思いは、届かない。
「遥大くんって何部に入っているんだっけ?」
話題を変えようとして、さっきのノートのことを思い出す。
「サッカー部」
「へえ、すごいね。サッカーやってる人ってかっこいいイメージある」
「ありがと」
「最近なんかいいことなかったけど。遥大くんに会えたのはいいことだったのかも」
「最近……何があったの?」
明るく言ったつもりだったけど、わかっちゃったのかな……?
でも、夢佳先輩に言われたことは言いたくない。
なんでだかよくわからないけど、たぶん、それを言ったら泣いちゃうから。
これ以上遥大くんに迷惑かけたくないから……。
何を言おうかなって迷って、……言えること、発見した。
「……習い事で書道をやってるんだけど、ライバルの子に負けちゃったんだよね」
すると、遥大くんは不思議そうな顔。
「負ける? 俺書道よくわかんないけど、書道にも勝ち負けってあるんだ?」
「あ、うん。ほら、小学校でも夏休みに書道の宿題あったでしょ? あの時も選ばれる人と選ばれない人いたじゃない? あれも一種の勝ち負けだよね」
「あ……確かに」
「書道教室だと大体大きな書道団体に属していてね。毎月課題をだして昇級・昇段していく制度があるの。それももちろん全員が上がれるわけじゃないから、結果的に昇段できないと負けたってことになるわけ。最近同じ勢いで昇段していた子がいたんだけど、私だけ上がれなかったんだよね」
「そういうことか。でも、梨々花なら大丈夫だよ」
私は小さく笑う。
「何でそう言い切れるの?」
私の書道、見たことないでしょう?
「悠希の好きな人だったからな。大丈夫」
「え? ち、ちょっと、どういう意味?」
「俺は悠希の親友だったんだぜ? 何でも知ってますよー」
な、なんでそのこと知ってるの!? てゆうか悠希くんが好きだったから私は大丈夫? どういう意味だかさっぱり分かんない!
すると遥大くんはこっちを向いてニヤッとした。
「ちょっとからかってみただけ。……悠希は、あいつ、書道はすげー上手かったのに、字だけは今でも直んないんだよな。その点梨々花は字も上手いから書道も上手いんだろうなって」
遥大くんの言葉に何か引っかかる。
でもそれはなんだかわからないまま昇降口についた。
「だから、とりあえず大丈夫だって。自信持ちなよ。俺が付いてる」
私、また笑っちゃった。
俺が付いてる、だって。
普通の人はそんなこと言えないよ。
でも。
そんな自信に満ちた彼の言葉を聞いたらなんだか元気になって。
素直にありがとうって思った。
言葉にはできなかったけど。
「また明日な、梨々花」
「うん。また」
遥大くんの言葉で――私はあの時のことを思い出していた。
嬉しくて、悲しかった、あの時の出来事を――。
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