7 悠希くんと真希ちゃん
「りりちゃん、筆洗ってくるの?」
月例の課題が書き終わって筆を洗いに行こうとすると先生に止められた。
「そうですけど……なんでですか?」
「今、晃くんが筆洗ってるから」
晃くんは小学一年生で入ったばかりの子なんだけど……ちょっといろいろ危ない子、なんだ。
いたずらが大好きみたいで他人の書き終わった作品に落書きしたり筆を持ってる子に足を引っかけて転ばせたり。
先生もそのたびに怒ってるし、お母さんにも注意してはいるんだけどなかなかなおらない。
今月分の月謝は払っちゃっているから今月はやめさせられないみたい。
それで、今日が最終日、らしい。
私はちょっと迷ったけど、にこっと作り笑いをした。
「大丈夫です、たぶん」
さすがに最終日にいたずらなんてしないだろうって思ったから。
「そうか、じゃあ気を付けてね」
「はい」
私は靴を履き替えて外にある水道まで行こうとした。
ドアを開けて外を出ると、急に大きな声がした。
「危ないっ!」
前から悠希くんが走ってきて私を突き飛ばしたのと晃くんが黒い水を投げるのが同じだった。
私は芝生に倒れこみ、持っていた筆も遠くに行ってしまった。
バシャン。
大きな音がした。
何が起きたのかわからず、とりあえず筆をとろうと思うと。
「いた――ッ」
私は足を変にひねってしまったのか足が動かせない。
その時悠希くんが視界に入る。
そして私は目を疑った。
悠希くんが――黒い? びしょ濡れ?
「悠希くん!」
私は急いでそばに行こうとするけど足が痛くて動けない。
その時大きな音を不審に思ったのか先生が違うドアから出てくる。
私に気づいて駆け寄ってくると――。
バシャン。
みごとに私も先生もずぶ濡れ。
そして晃くんを見ると――彼は笑顔だった。
「へっへへ~! いたずら大成功!」
私たちは全員筆を洗った水をかけられていた。
あの後晃くんのお母さんが急いでやってきて謝った。
服は弁償してくれるみたい。
筆を洗った水とはいえ墨は落ちないから。
私たちのお母さんも急いでやってきて替えの服に着替えた。
ほかの生徒たちはみんな帰っちゃってお母さんたちと先生はお話中。
今は私と悠希くんだけ。
「ごめんね」
悠希くんは私の足を見る。
「ううん、大丈夫だよ」
嘘。ほんとは全然大丈夫じゃないんだけど。
悠希くんは私が水をかけられないようにしてくれただけだし。
「……梨々花、その服お気に入りって言ってたから、とっさに……」
覚えててくれたんだ。
私は胸が温まるのを感じる。
「でも結局梨々花の足を痛めさせちゃったし、服も汚れちゃったし」
私は悠希くんを安心させるように首を振る。
「足はすぐ直るだろうし、服は晃くんのお母さんが買ってくれるって言ってたし」
悠希くんは首を上げて空を見つめる。
「俺、何やってんだろ」
すごく自分を責めているみたいに感じて私は何も声をかけられなかった。
「……梨々花」
長い沈黙の後、突然悠希くんが私の名前を呼ぶ。
「さっきは言えなかったけど、さ。梨々花、服すごく似合ってる」
どきっ。
別に特別な意味があるわけじゃないんだろうけどそんなこと言われることなんてないからっ。
胸のドキドキがおさまらない――。
大きく深呼吸して、心を落ち着かせてドキドキしていることがばれないように口を開く。
「あ、ありがとう」
声は震えているし小さいし、ああああ。
そんな私の様子を見て悠希くんはくすっと笑う。
「そんなに慌てなくてもいいのに」
ええ、ドキドキしてたのばれてた!?
「ねえ、梨々花」
真剣な目で見つめられて私はどきっとする。
「梨々花のこと、好きだよ」
私、今何も考えられない。
今悠希くんが言ったことが信じられなくて。
悠希くんは私の頭をなでると立ち上がった。
「返事はいらない。それだけ、伝えたかったんだ。じゃあまた。――どこかで」
ドアの開く音がして最後のほうはよく聞こえなかった。
お母さんたちが出てきて悠希くんは車に乗り込んじゃったから私は引き留めようにも引き留められなかった。
次の書道教室の日。私と真希ちゃんは教室であった。
それで真希ちゃんと悠希くんが引っ越すことがわかった。
「本当に行っちゃうの?」
私は泣きそうになりながら真希ちゃんを見つめる。
「うん」
真希ちゃんとは年齢は一歳しか変わらないけれど私はその時身長が低かった。
真希ちゃんは私に目線を合わせて優しく頭をなでる。
「ごめんね。私、もっと梨々花ちゃんと遊びたかったし梨々花ちゃんと書道やりたかった」
私はぎゅっと真希ちゃんに抱きつく。
「行かないで」
「ごめんね」
真希ちゃんは私を一度強く抱きしめると手を離す。
そして指切りげんまんをした。
「でも、一生会えなくなるわけじゃないから。梨々花ちゃん、大きな競書大会で最高賞とってよ、そうしたら私梨々花ちゃんが頑張っているのわかるから。私も頑張ろうって思えるから」
「そ、そんなの――」
口癖が出そうになったけど真希ちゃんにさえぎられる。
「無理じゃないよ、梨々花ちゃんなら、できる」
強い口調で言われて私は思わず頷いてしまった。
「あとは――赤林神社」
「赤林神社?」
「そう。あんまり大きな競書大会じゃないんだけどね、私は出せなかったから。梨々花ちゃんには最高賞とってほしいな。高校の三年間で三回最高賞とってよ」
真希ちゃんは優しく微笑んだ。
「ずっと待ってるから」
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