12 独占しよう

 夢佳先輩、すみちゃん、このはちゃんは締め切りまじかの赤林神社競書大会に向けて必死に作品を仕上げている。

 私はまだ書道ができないから、見守ることしかできないけれど。

 みんな、全然納得いく作品ができないみたい。

 特に夢佳先輩は、一枚も書きあげられていない。

 突然静かにドアが開いた。陸先輩だった。

 よかった、陸先輩、書道部に来てくれた。

 ごめんなさいを言うために陸先輩のもとに行こうとしたけど、夢佳先輩のほうが早かった。

「陸!」

 夢佳先輩が駆け寄る。

 陸先輩がひらり、と一枚の紙を夢佳先輩に押し付ける。

「これお願い」

 その紙を見た夢佳先輩の顔がこわばる。

「これって……!」

「退部届。俺、書道部やめるから」

「やめるって……、やめないでよ、やめないで!」

「真希がいないんだ。もう俺に書道をやる必要はない」

 夢佳先輩は言葉を返せない。

「夢佳だって、俺がいるから書道部に入ったんだろ。書道だって、真希のことがあったから、嫌いなんだよな。なのにずっと続けてきて、つらかっただろ。ごめんな。今まで付き合ってくれてありがと」

「違うよ! 私は……!」

 でも、夢佳先輩の言葉は続かなかった。

 私は陸先輩に近づいて謝った。

「先輩、この間は申し訳ありませんでした」

 深々と頭を下げる。あげてくれ、と言われて私は頭を上げる。

「俺の頭がパニクってたのがいけなかったんだ。須藤のせいじゃない」

「それでも、私の配慮が足りなかったのは事実なので……」

 陸先輩は悲しく笑う。

「配慮って。俺もお前も大事な奴を亡くしたのは変わりないだろ。お前だって混乱してんだ。配慮とかそんなのできる状態なわけないじゃんか」

 私は陸先輩から目をそらしてうつむいた。

「陸先輩!」

 みんな口をつぐんで静かになった部室で大きな声が響いた。

 すみちゃんは陸先輩の肩をガシッっとつかむ。

「先輩、先輩は赤林神社の競書大会で最高賞をとるんですよね! 真希さんとの約束を守るんですよね!」

「守るつもりだった。でも、もう真希はいないんだよ」

 陸先輩の声は悲しく、冷たい。

「だからって……! 天国の真希さんは——」

「天国とかいうな!」

 陸先輩は声を荒げる。

「真希は、真希は……!」

 一度、大きく深呼吸すると、陸先輩は苦しそうに言葉を紡ぐ。

「俺だって、信じたくない。現実を受け入れられてないんだよ……だけど……俺はもう、書道をやりたくない」

 そして、呼ぶ。私の名前を。

「須藤」

 私は顔を上げた。陸先輩は筆を手にしていた。真希ちゃんからもらった、あの筆。

「これ、お前にやるよ。俺は、筆だけは持っていたくない」

 私はしっかり、断った。

「陸先輩……。真希ちゃんは……もう、書道できないけど……先輩は、できるんですよ……? 真希ちゃんは赤林神社出せなかったけど……先輩は、出せるんですよ……なのに、なんで、やらないなんて言えるんですか……?」

 それに。私だって今は書けないのに。

「そうですよ! 逃げないで少しでもうまくなろうって努力してください! 私が、私が教えますからあぁぁ」

 すみちゃん、真希ちゃんのこと知らないのに、——泣いてる。

「俺は……俺だって。何度も書こうとした。頑張って練習しようとした、でも——、でも、無理なんだよ。半紙がぬれるんだ。それでぐちゃぐちゃになるんだ。墨が垂れてにじむんだ。俺はそれを見て、なんで書道をやっているのかわからなくなったんだよ」

「先輩……」

 すると、小さな声で、でも確かな声で、このはちゃんが話し始める。

「真希さんは——私は一度しかお会いしたことはありませんけど、すごく優しい方でした。それに、陸先輩を見る目もすごく優しかったのを覚えています。たぶん、真希さんは、陸先輩の選択を応援してくれると思います。やりたくなかったら、やらなくていいと思います。でも、真希さんは——陸先輩に、書道をやってほしいから、筆を託したんじゃないですか? 真希さんを忘れないでほしいから……そうじゃなかったら、どうして、筆なんですか」

 陸先輩ははっとしたように顔を上げる。

 その顔はもうぐちゃぐちゃだったけど、希望の光が見えた。

「……ありがとう」

 小さかったけど、でも決意は伝わる声で陸先輩は頷く。

「ごめん、みんな。俺、真希が喜んでくれるような作品を書く」

 夢佳先輩は涙をぬぐって陸先輩に近づいて、陸先輩を抱きしめた。

「陸、すみちゃんだけじゃない。私もいるよ。頼っていいんだよ」

 夢佳先輩は陸先輩から離れる。

「うん、ありがとう」

 そして私に向きなおる。

「須藤。真希から教わったこと、俺に教えてくれるかな」

 もう陸先輩の目に迷いはなかった。

「みんな」

 私たちは集まって輪になった。

「赤林神社の競書大会、私たちで上位独占するよ。いいね?」

「はい!」

 私たちは大きく叫んだ。


 次の日から猛特訓が始まった。

 私は陸先輩の指導と始めた。

 陸先輩はまだ線もふらふらしているし、これを見て陸先輩のだってわかる人はいないだろうってくらい、性格を反映していない。

 書道じゃないでしょうってくらい細いし、余白がたくさんありすぎる。文字が小さい。

 反対に名前は大筆で書いたの? ってくらい大きくて。

 つまり、バランスが悪い。

 私は一つ一つ指摘をしていく。

「陸先輩、お手本を見るのはいいことです。素晴らしいことだと思います。でもお手本しか見ていなかったら線がふらついちゃいますよね」

 そこで、と私は提案する。

「はい、三十秒だけ集中してお手本を見てください」

 呼吸する音も聞こえないくらい静かな空間。

 それほど集中している。

「……見たよ」

「では、お手本は没収です」

「え、お手本なしでどうやって書くんだよ!?」

「お手本を見ながらだと、どうしても書に迷いが出てしまうんです。とりあえず、見ないで書いてみてください」

 先輩はしぶしぶお手本を見ないで書き始める。

 書き上げた作品は、お手本とかけ離れていた。

 でも、私はこっちの作品のほうが好きだった。

 さっきのより、元気があって、陸先輩らしい。

「ほら、な。さっきのほうが断然よかっただろ」

「でも、比べてみてください。どっちのほうが生き生きして見えますか?」

「……もう一回書く」

 ちょうど、十枚目になった時に、陸先輩もお手本を見なかった作品のほうがいいと思えるようになっていた。

「その調子です。じゃあ、次はお手本とよく見比べてみてください。左右に並べてみてみるとお手本と違うところがわかりますよね」

「ほんとだ……俺のほうは小さいし、曲がってる」

「そうですね……字が小さい原因はわかりきっています。——真希ちゃんからの大事な筆なのに、よくこんなにできましたね」

 陸先輩の筆は、根元が墨で固まっている。

「筆の洗い方はあとで教えるとして、私がこの筆を預かっていいですか? 水をためたバケツに筆をつけておくのを繰り返すと、元に戻るので。——戻らない筆もありますが」

「お、おう。でも、俺が使う筆はどうするんだ」

「私の筆を使ってください。これも真希ちゃんからもらった筆です。陸先輩、それでいいですよね」

 陸先輩は強く頷く。

「曲がっているということでしたけど……」

 私の指導は部活終了時間まで続いた。

 全部を直すことはさすがに難しかったけど、格段にうまくなっていて、陸先輩の可能性を感じられた。これなら、もっとうまくなれるかもしれないって思ったんだ。


 ☆★☆


 お休みの日。夢佳先輩が家で陸先輩を指導している。

 今日は私も呼ばれたけど……夢佳先輩の部屋じゃない。


「あれ、私、陸先輩を指導するんじゃなかったんですか」

「ごめんね、梨々花ちゃんとお話したくて嘘ついちゃった」

 小さく舌を出す。

 ――え、可愛い。

 かと思ったら夢佳先輩は急に真面目な顔になる。

「あのね、私、まーちゃんのこと調べてみたの。交通事故だって聞いたから」

 笑っていた顔が引きつっているのが自分でもわかる。

 真希ちゃんの話、私はもう聞きたくない。

「梨々花ちゃんさ、まーちゃんの事故のこと、ニュースかなんかで聞いた覚えある?」

 私は静かに首を振る。

「いいえ」

「やっぱり。私ね、考えていたらあれ? って思って」

「……どういうことですか?」

「交通事故で亡くなったなら普通報道される気がするなって思って。だけどテレビでそんなの見た覚えなかったから」

「……たまたまじゃないですか? 最近ほかの話題で持ちきりでしたし」

 私のその発言は無視された。

「それで、いろいろ探ってみたのよ、ニュースだけじゃなくて、新聞記事とか、ネットニュースとか。まーちゃんのお母さんに何回か電話かけてみたけどつながんなかったし」

 一呼吸おいて。

「それらしい記事なんてどこにもなかったの」

 私は冷たい水をかけられたかのように動けなくなる。

 夢佳先輩が何を言いたいのか、わかった。

「でも、真希ちゃんのお母さんが亡くなったって言ったんですよね」

 私の声はびっくりするほど冷たかった。

「うん」

「先輩。真希ちゃんは亡くなったんです。もう、この世にはいないんです。どれだけあがいたって無駄です」

 びっくりした。

 私はまだ真希ちゃんの死を受け入れられてないって思ってたのに。

 受け入れたくもないし、信じたくもないのに。

 口から出た言葉は真希ちゃんの死を肯定するような言葉で。

「夢佳先輩。話はそれだけですか?」

「……うん」

「私、帰りますね」

 家から出て、ドアに寄りかかる。

 涙があふれてきて、でも拭わなかった。

 なんだか自分が自分じゃない気がした。









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