第五章

【無智 亦無得】

つまりだ この世界のすべてを解き明かしてさとろうとしたり 逆に この世界のあれこれを求めたりという欲望が天敵なのさ 『絵』に描いたものをほしいとおもう欲望が『苦しい』という『絵』をえがく 『映像』のなかのものをほしいという倒錯が『苦しい』という『映像』につながる この世界をうめつくす『苦しみ』さえもが『白紙』に描かれた『絵』であり 『膜』にうつされた『物語』だと気付くことだよ 苦しみは『この色はよい この色はわるい』という差別からうまれて 差別は欲望からうまれるんだ この欲望の一番厄介なやつが三毒さ 『なにかをもとめ 得られなくて怒り 不満におもう』 ここから差別がうまれる おれの基本的なかんがえは結果をなくすために原因をなくすことなんだ だから『不満』におもわないために『怒』ることなく 『怒』ることのないために『なにももとめない』わけさ 結局のところ世界は『白紙』に描かれた『絵』にすぎねえだろう 『膜』のうつしだす『映像』にすぎねえだろう 本物の餅は喰えるが絵に描いた餅は喰えねえ 本物の林檎は喰えるが映像の林檎には触れられねえ 欲望はそんなむなしい結果しかうまないんだ 『なにかがよくて なにかがわるい』という差別が苦しみをうむわけだから その苦しみをうむ欲望こそがラスボスなんだよ


【以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罜礙 無罜礙故 無有恐怖遠離 一切 顛倒夢想 究竟涅槃】

そこでだ 『すべてをさとろうとか なにかがほしいとか そういう欲望を捨てれば問題解決じゃね』とおもったから この世界の菩薩たちは『こわいなあ いやだなあ』という気持ちも捨てられて すっころんでまぼろしにまどわされるようなことがなくなってだな 涅槃=ニルバーナ=永遠の平穏にいたったわけだよ


【三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提】

世界のはじまりから世界のおわりまで おれたちのようにさとろうとしたものたちは みんなこんなふうに気付いたから しあわせになったわけさ



――つづく

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