第5話 才能と可能性
夢は人生のスパイスだ。スパイスのない食べ物はなんとも味気ない。でも、実際夢なんて叶わないことの方が多い。
先日、ぼんやりテレビを眺めていたら、コメンテーターがこんな話をしていた。老人の人生における後悔で一番多いのは「やりたいことをやらなかった」なのだそうだ。しかも、約8割の老人がそう答えたというから驚きだ。
つまり、ほとんどの人生はやりたいことをやらずに終わるということ。これはなんだかとても悲しい事実だと思う。
「だからな、俺はさ、お前らにはやりたいことを目一杯やって生きてほしいわけよ」
今日もハテンコー先生は、熱弁を奮っている。
「ハテンコー先生!この前、話していた夢の設定の話さ、聞かせてくれよ」
ヤンチャがぶっらぼうに尋ねた。
「ヤンチャよぅ。お前の夢、なんだっけ?」
「えっ?そりゃ、プロ野球選手だよ」
「じゃあさ、プロ野球選手になるためには何が必要だよ」
ヤンチャはしばらく考え込んだ素振りを見せたあと、意を決したような面持ちでこう答えた。
「才能だな、才能。イチロー選手並みの才能」
それを聞いて、ハテンコー先生は目を細めた。
「ほぅ…。それで、お前にはイチロー選手並みの才能はあるのか?」
そう尋ねられて、ヤンチャはたじろいだ。
「いや、そこまで才能は…。でも、俺は野球が好きだ!その気持ちならイチロー選手にだって負けないぞ」
「で、聞くが、野球が好きならプロ野球選手になれるのか?」
「いや、それは…」
ヤンチャは沈んだ表情を見せた。それでも気丈に声を張り上げ、
「そんな生徒の夢を壊すようなこと、先生は言っちゃダメなんだぞ!」
と言った。
突然、すっと手を挙げたのは、教室の片隅でいつも一人、ポツンと座る女の子がで、みんなから「ヒカゲちゃん」と呼ばれる女の子だった。
「おう、ヒカゲ。どうした?」
「あのぅ…、わ、私も才能のない人間です。才能がない人間は夢を見てはいけないのでしょうか」
先生はにこやかに微笑んだ。
「いい質問だ。じゃあ、みんなに尋ねよう。この中に自分には才能がある!って言える奴はいるか?」
教室が静まり返った。そして、誰一人手を挙げるものはいなかった。
「自分の才能に気がつけている大人なんてほとんどいない。まして、中学生ならなおさらさ。オテンバ、お前さ、自分の顔、見たことあるか?」
突然話を振られて、オテンバは思わず仰け反った。
「なっ、何よ、急に。そりゃ、あるわよ。毎朝見てるわよ。当たり前じゃない!」
「どこで?」
ハテンコー先生は質問を重ねた。
「ど、どこでってそりゃ、鏡でに決まってるじゃない」
「なんで?」
困惑しているオテンバに加勢したのはシュウサイだった。
「だって、僕らは鏡がなければ自分の姿が見えないじゃないですか」
「そうだ、その通り。さすがシュウサイだ」
「先生はそんな当たり前のことを話して、何を伝えたいのですか?」
ハテンコー先生は教卓の上に腰掛けて、話し始めた。
「いいか。学校の意味はここにある。教室にはいろんな奴がいる。シュウサイのように勉強が得意な奴。ヤンチャのように運動が得意な奴。ヒカゲのように絵が得意な奴」
ヒカゲちゃんが絵を描くことが得意だなんて初めて知った。先生は僕たちのことをよく見ている人だと思った。
「で、その得意ってのは、自分では気づかぬものさ。だから、鏡が必要なんだ。自分のことが一番わからない。自分の姿形は見えないからな」
ヤンチャが尋ねた。
「なんだよ、鏡って。教室には鏡なんてないぞ!あっ!わかったぞ、トイレだな。トイレに行った方がいいんだな」
「ヤンチャ、とりあえずバカはしゃべるな!」
それを聞いて「ムキ〜〜っ!」と怒り出した彼を、僕は必死になだめた。
「せ、先生。それで鏡ってなんですか?」
「そう、それが教室だ。ここにはいろんな才能が溢れている。思春期になると、周りの目を気にする。人と比べたりする。そうすることで、自分の優れている点や劣っている点に気づく。たくさんの人と触れ合うことで、自分とは何かを考えることができるんだ」
シュウサイが重ねて尋ねた。
「でも、先生。なぜ思春期なんですか?」
「シュウサイ、素晴らしい質問だ。いいか、小学生は友達100人できるかな?の世界だ。どんどんいろんな人とつながればいい。友達が野球選手になりたいと言えば僕もなりたい!と言うし、みんながケーキ屋さんになりたい!と言えば、私もケーキ屋さんになりたい!と言い出す。最近だとyoutuberか」
オテンバが口を挟む。
「あるある!私も昔、クラスの子が保母さんになりたい!って言うからさ、私もなる〜!って答えてたよ」
「そうだ、あの頃は鏡なんてもたない時代だからな。子どものころって何にでもなれる気がしてたよな」
みんな、一様にうなづいた。
「でも、今、中学3年生になってどうだ?何にでもなれるって思ってる奴、いるか?」
今度は一斉に首を振った。
「そうだ。お前たちは可能性に満ち溢れている。だが、何にでもなれるわけじゃない」
ハテンコー先生は、教卓から腰をあげると、机と机の間をゆるりと歩き始めた。そして、シュウサイの前で足を止めると、彼の肩にポンと手を置いた。
「なあ、シュウサイ。お前、プロ野球選手になれるか?」
彼は「なれません!」と即答した。そして、
「なぜなら、僕は野球をやったことはありませんし、なんなら興味もありません。したがって可能性はゼロです」
「その通りだ。こういう分別がつくのが思春期だ。周りの子と比べながら、自分とは何かに気づいていくんだ」
そして、今度は歩みを僕らの方に向けた。ハテンコー先生は、ヤンチャの頭を右手で鷲掴みすると、左右に激しく揺すった。
「逆に大人という生き物は分別がつきすぎて、すぐに夢をあきらめる。お金のせい、時間のせい、仕事のせい、家族のせいにして、夢をあきらめてしまうのさ」
そうか、だから実に8割の大人が「やりたいこと」をやらずに人生を終えてしまうわけだ。
「才能があるか、どうかなんて、あとになって気づくことだ。それよりも大切なことは可能性だよ。可能性が1%でもあるなら、挑む価値があるんじゃないかって俺は思うね」
「先生、でも可能性があるかどうかなんて、それこそわからないじゃないですか?」
僕は興奮して思わず声を出した。
「いい質問だ。たとえば、そうだな…。おい、ヤンチャ。お前の夢であるプロ野球選手な。プロ野球の選手になるために必要なカードが3枚あるとしたら、それは何だ?」
ヤンチャがいつになく真剣な眼差しで答えた。
「う〜ん…。甲子園に行くこと。それからやっぱ練習かな、必死に練習して。それと体力かな。健康な身体もそうだけど、やっぱ投げるのも打つのも身体が強くないとダメだからよ」
「いいね、ヤンチャ。そのカード、お前なら集められそうか?」
「うん、まあ、集められそうかな。いや、集めるよ」
今度はシュウサイの方を振り返って、ハテンコー先生は質問した。
「じゃあ、シュウサイ。今のヤンチャのカード、お前は集められそうか?」
「いや、無理ですよ。そもそも僕は野球に興味がありませんし」
「その通りだ。いいか、夢を叶えるためには必要なカードがある。そのカードを集め続けた奴だけが夢に近づく。可能性ってのは、このカードを集める方法を持っているか、それとも思いつくか。それが可能性だ」
僕は後を引き取って
「つまり、ヤンチャには可能性があって、シュウサイには可能性がないと」
「そういうことだ。もちろん、プロ野球選手になるという夢に限ればの話だけどな」
ハテンコー先生は、ゆっくりと黒板の前に戻ってきて、振り返った。そして、僕ら一人ひとりの顔を覗き込むようにして、こう伝えた。
「じゃあ、一番大切なカードをお前たちに伝えておく」
僕らは息を飲んだ。
「それが情熱、パッションだよ」
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