あなたがいたから


夏の終わり、世界に秋の扉を開く、最後の夏の日。

それはいつもなら彼女が願い、理不尽な悲しみを自ら再び繰り返す呪いの日。


辺りはすっかり闇に染まり、静かに新しい明日を迎え入れようとしていた。




サーバルとかばんの、二人の家・・・

部屋の真ん中に椅子が二つ並べられ、サーバルが座っていた。

膝の上には・・・かばんの帽子が抱かれていた。


「ねえ、かばんちゃん・・・、私達いつまで一緒にいられるのかなぁ」


サーバルが、肩を預けるように少しだけ隣に体を傾けた。


「みんなね、私がヘンになっちゃったって思ってる。・・・それでも、博士はいつも私を心配して来てくれるの。・・・本当に嬉しいのに、いつも辛い思いさせちゃうばかり」


サーバルはそっと目を瞑り、慈しむように椅子の座を優しく何度も撫でる。

まるで・・・隣の椅子で眠ってしまった愛しい人の膝を撫でるように。

少しだけ、もやがかかってしまったその影を・・・何度も何度も。


「私・・・ね、本当は・・・もう、わかってるの」


ぽたぽた、とサーバルが涙を零す。


「でもね、・・・心が行ったり来たり・・・、どうしようもなくて・・・。もう少し、もう少しだけね・・・一緒に、いてくれれば・・・きっと大丈夫だから・・・。きっと、またみんなと一緒に笑えるから・・・」


サーバルがかばんの帽子を胸に抱きしめた。強く、形が変わる程に強く。

サーバルの涙をどれだけ吸っても、もうその帽子は・・・何も返さない。



サーバルに必要だったのは、時間。


ただ・・・それだけだった。そして彼女はようやくその悲しみを乗り越えようとしている。悲しみを受け入れ、現実を歩む為に立ち上がる寸前だった。


「かばんちゃんはね・・・私の、一番のお友達なの。ずっとずぅっと。・・・だからね・・・もうちょっとだけ、私のわがままで・・・ここにいてほしいよ・・・ダメかなぁ?」


ゆっくりと目を開け、隣の椅子を見ると・・・

そこにはもう・・・誰もいない。


サーバルが現実を認め、それを受け入れるのなら・・・役目を終えた幻は・・・消える。

でも、それにサーバルの認めたくないという心が追いつかない。


「かばんちゃっ・・・」


サーバルは跳ねるように立ち上がって手を伸ばし、やがてその手をゆっくりと下ろし静かに項垂れた。

もう一度、目を閉じて椅子に手を伸ばすと、ぼんやりと人の形をした何かに手が触れた。

その形を確かめるようにゆっくりゆっくりと指先を滑らせていくが、どうしても・・・途中で指先が宙を彷徨った。その度に何度も何度もヒトの輪郭をえがこうとするが、それも・・・次第にできなくなっていく。


「うっ・・・うっうっ・・・うぅぅぅ・・・」


覚えていないわけじゃない。忘れたわけじゃない。

でも・・・声が、匂いが、感触が・・・少しずつおぼろげになっていく。


生者が死者を思い出にしていくのはきっと自然なこと。

そして、それに葛藤して罪悪感を覚えることも、自らの心を苦しめてしまうことも・・・自然なこと。


小さくコンコンと扉が叩かれて、サーバルの返事を待たずに扉が開かれた。


「・・・・・・はかせ」


博士は、サーバルを見たまま何も言わなかった。

博士のいつもと同じ真剣な眼差しの中に、ほんの少し申し訳なさそうな表情を見つけて、サーバルは今の自分を見られていたのだろうと感じた。


「サーバル、私の言葉が、わかりますか?」


我が子に語り掛けるような、そんな優しい口調だった。


「・・・うん」


サーバルが頷く。その声は涙を含んだままで小さかったが、サーバルはしっかりと博士の目を見て答えた。


「サーバル、・・・こっちへ」


「え・・・・・・?」



―――――――――



博士に連れられ案内された場所にサーバルが立つ。

そこには、小さなお墓があった。

ここにはサーバルも一度だけ来たことがあった、・・・いや、二度目以降は来なかったという表現の方が正しいかもしれない。


現実から逃げ、幻のかばんと過ごしている今までは・・・ここに来なかった、来れなかった。心が無意識にここを避けていた。・・・だから、サーバルは最初から・・・きっと。


「かばん、サーバルが来てくれましたよ」


博士が墓の前でしゃがみ語り掛ける。

そしてリュックから小さな押し花の栞を出して、墓前に添えた。


「さぁ、サーバル。・・・この子は、お前を一番待っていたはずなのです。たくさんたくさんお前の話を聞かせてやるのです。お前が・・・今日までどう生きてきたか、どう悲しんだか、どれだけかばんを思って泣いたか。どれだけ・・・好きだったかを、ちゃんとここで、かばんに伝えるのですよ」


「・・・・・・あ、ぁ・・・」


サーバルが、一歩一歩、力を振り絞る様に歩く。

何度も唾を飲み込み、帽子を抱く手の震えを抑え、目を背けそうになる自分の心と戦いながら・・・ようやくその数歩を進め、愛しい人へ向き合った。


「・・・・・・・・・か、・・・ば・・・ん、ちゃ」


そしてお墓に、帽子をそっと添え・・・

お墓を見つめるサーバルの、その見開いたままの瞳からぼろぼろと・・・大粒の涙がとめどなく溢れていた。


「うえええええん・・・うあぁああああっ、ううう、うううああああああんっ・・・」


何も言葉など出なかった。


「うわあぁぁああああん、わあああぁああああぁん!!うぅうううう、うううぅぅぅっ・・・うええええええん!!かばんちゃああああん・・・っ」


帽子ごとお墓を抱き締めて、ひたすら泣き叫ぶ。

ずっとずっと押し込めてきた悲しみの分だけ、サーバルは泣く。



一緒に生きてくれてありがとう。

たくさんのごめんねも、たくさんのありがとうも。


全部、あなたがいたから。

笑うのも泣くのも、全部全部あなたがいてくれたから。

私と一緒に居てくれた、一緒に過ごしてくれた。


もっと一緒にいたかった。

もっともっと大好きだって伝えたかった。

ずっと手を繋いでいたかった。

どこまでも遠くまで、ずっとずっと一緒に行きたかった。


涙が止まらないのも、どれだけ泣き叫んでもちっとも楽にならないのも

こんなに悲しいのも、こんなに愛おしいのも

こんなにも胸が痛くて、死んでしまいそうな程に心が苦しいのも・・・



君の笑顔が好きだったから。



君の笑顔が大好きだったから。




ほんとうに・・・君の笑顔が・・・好きだったから・・・。





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