夜半


「ただいま・・・なのです。・・・助手?」


図書館に帰って来ると助手の姿は無かった。


・・・最近、助手とのすれ違いが多い。

あの日からずっと。


「・・・・・・ふぅ・・・」


壁際の椅子に腰を下ろし、そのまま壁にもたれるようにして全身の力を抜く。

今日は助手とすれ違って良かったかもしれない。


こんなにも泣きはらして真っ赤になった顔じゃ、また心配される。


「・・・でも、こういう時、側には・・・いてほしいのです」


誰もいないから、わざと声に出して小さく呟く。


サーバルの問題はどうすればいいのか、・・・どれだけ頭で考えても都合良く妙案など思いつきはしない。

言葉が届かないことが、こんなにも絶望的だとは思わなかった。

これが初対面の人物で、共通の言葉を持たないだけならまだコミニュケーションの方法はあったかもしれない。


だがサーバルは良く見知った相手で、同じ形、同じ言葉を持つのだ。

なのに・・・伝わらない、届かない。


サーバルの心が拒絶しているから。


最初はそうじゃなかった。


かばんはあの日死んだ。

そしてその姿を私もサーバルも一緒に見届けた。


ごめん、と。

ありがとう、だけを遺して彼女が逝く瞬間を見た。


それは当たり前に悲しいことだった。

それは意識を失いかけるような喪失感と、心が張り裂けそうな絶望。

でも、サーバルもかばんの死そのものを受け入れることはできたはずだった。


これからは、かばんのいない生活をしていく為にどうすればいいか――

それを最初の内は話せたのだから。


ある時、これからについてサーバルと話している時、サーバルがかばんの遺品であるあの帽子に話しかけたことがあった。


――ねえ、かばんちゃん私どうすればいいと思う?


あれを、私が止めなかったからなのだろうか?

それが心の安定に繋がるのなら、と見過ごしてしまった。

心を守る為の、ごっこ遊びのようなものだと思い込んでしまった。


その数日後に、あの家に二人の名前が掲げられたあの日になにがなんでもサーバルを引き留めなければいけなかったんだ。

あれがサーバルが最後の一線を踏み越えてしまうサインなのだと、私は気づかなかった。


――ねえ、かばんちゃん。どうすればいいの

――え?かばんちゃん、今なんて?

――今日ね、かばんちゃんがおはようって

――博士、かばんちゃんが

――かばんちゃんはいるよ!ここに!!

――なんでそんなこというの博士、やめて、言わないで

――わからない!博士の言う事なんてわからない!!!いやっ!!!


あの日、叩かれた頬の腫れはとっくに引いているが、それでも・・・思い出すとまだ痛む。それはずっとずっと消えない痛み。

自分の力では何もできなかったんだという、後悔の痛み。


そっと頬に手を当てる。

乾いた涙でかさついてしまった頬の感触を、心臓から伝わる鼓動を感じる。


・・・それらを感じられる私は、確かに生き残ったのだ。

だから、こうしてこれからを生きる為に、戦わなければならない。


セルリアンなんかより、よっぽど恐ろしい現実と。


―――――――――――



「サーバル・・・」


戻った助手の隣にはサーバルが立っていた。


「博士、・・・その、森でサーバルと出会って・・・博士に話があると」


泥や葉っぱでボロボロになった痛々しいサーバルの姿が博士の目に映る。

涙が込み上げてくるのを、博士はぐっと耐えた。


「サーバル、私の言葉がわかりますか?」


「あ、あのね」


「・・・・・・」


「今日は・・・色々、言っちゃってごめんね」


サーバルの謝罪は、二人がごく普通の喧嘩をしただけだったなら・・・とても綺麗なものに見えたかもしれない。


でも、今のサーバルの心には、ねじ曲がったフィルターがかかってしまっていることを博士も助手も理解している。

「色々、言っちゃって」の部分に、サーバルがどのような解釈をしているのかがハッキリと見えてこなかった。


「博士にがおーってしちゃった私にね、かばんちゃんが叱ってくれたの」


・・・その言葉を聞いて、博士が小さく肩を落とす。


「私ね、その、・・・きっと博士の言ってることちゃんとわかるようになるから!最近はね、ご本読んだりして、文字の勉強もしててね!」


サーバルが必死で博士に話す姿が、横で黙って見ていた助手の目には酷く歪んだものに見えた。

友人が友人に謝っているのに、まるで大の大人が親の顔色を窺って許しを乞うような、そんな滑稽な姿。


博士はサーバルの言う事の全てが虚像ではないことも知っていた。

先日、サーバルの家に様子見に行った時も、あの切株の傍らにボロボロになった本が数冊置かれていた。

きっとサーバルが、”かばんと一緒に”読んだのだろう。


家の前には布団が干してあった。

・・・布団には泥だらけの木の棒で滅茶苦茶に叩いたような跡と、おそらくは悲しみに身もだえ爪で搔き毟ったような跡が残っていた。


その日は朝から一日土砂降りだったから、布団も本も、ぐしゃぐしゃになってしまっていたのだが・・・。

サーバルが歪めた世界ではいかに楽しくかばんと過ごしたのだろうかを想像すると、博士の心に鷲掴みにされたような痛みが走る。


ただ、今の台詞を聞く限り・・・言葉が伝わらないのがかばんではなくサーバル自身になっているので、今日の出来事を機にサーバルの中で何か「設定」が変わってしまった事だけは明らかだった。


「今はその、うまくいかないけど」


「私、かばんちゃんと一緒ならなんだってできるから!」


力強く言うサーバルの姿を見て、博士は耐えていた。

自分より遥かに悲しいであろうサーバルより先に泣いてはいけない・・・。

世界を歪めてしまう程の悲しみを背負ったこの子より、長の私が弱くあってはならないのだから。

そんな思いだけで耐えていた涙の防波堤が、サーバルの言葉の槌で少しずつ砕かれて行く。


「みんななかよしでお友達で、かばんちゃんと一緒に」


「うーがおー!って、笑ったり怒ったり、かばんちゃんと一緒に」


「一緒に生きてくれて、ありがとうって!かばんちゃんと一緒に、かばんちゃんと一緒に!!」



「・・・・・・っ!!」


博士が両手で顔を覆って座り込む。

手の隙間からぼたぼたと零れる涙は、もう博士の意思では止められなかった。


「ううぅぅっ・・・ううあぁああっ・・・あああぁっ・・・」


何故博士が泣きだしたのかわからないサーバルの手が、宙をさまよう。

博士に駆け寄ろうとしたサーバルの肩を助手が掴んで止めた。


「博士は少し疲れてしまっただけなのです。私がついているから大丈夫なのですよ」


「え、え・・・でもっ」


戸惑うようなサーバルを無理矢理入り口の方へ押しやり助手が言った。


「ほら、お前には迎えが来てるのでは?」


その一言にサーバルがピタリと止まり、外の暗闇を見て何かをブツブツと呟いたかと思うとフラフラと外へと出ていった。

助手はサーバルの言葉を聞いてはいなかったが、聞かなくてもわかる。


”かばんちゃん、迎えに来てくれたんだ”


そんなところだろう、と。


助手は泣きじゃくる博士に寄り添い、その涙が止まるまで小さな肩を静かに抱いていることしかできなかった・・・・。


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