君の笑顔が好きだったから


怖い。


リカオンが最初に感じた感情がそれだった。


「あ、あのね!今日はかばんちゃんおでかけしてて、せっかく博士達が来てくれたのに!」


「・・・そうですか」


サーバルに会うのなら、覚悟をしておいた方がいい。

リカオンは、ほんの数刻前に博士に言われた言葉の意味を軽く捉えていた自分を呪った。

いや、軽くなんて捉えていなかった。


大切なパートナーを失って、傷ついているであろうことをちゃんと察していた。

だから、無理をさせないように、無責任に元気出せなんて言わないようにただ寄り添い支えよう――


そう、ちゃんと考えていたのだ。

そしてその考えが、いかに浅はかなものだったかを思い知る・・・。


「リカオンもごめんね!せっかく来てくれたのに!あ、あのあの、私がちゃんとかばんちゃんにリカオンが来てくれたってこと言っておくから大丈夫だから!」


「・・・・あ、・・・あぁ・・・」


見たことの無い形相で、必死に言葉を捲し立てるサーバルの姿が怖かった。

目の前の彼女が、自分の知っているどの姿の彼女とも重ならない。


「サーバル・・・、あ、・・・っ」


言葉が、何も出てこない。

何かを言おうと喉元まで色んな言葉が出かかっているのに、そのどれを口にすればいいのか、どれを口にしてはいけないのか。

今のサーバルの姿を見ているだけで、飲み込んだ言葉の中にいくつ言ってはいけないであろう言葉があったのかリカオンには想像もつかない。


「サーバル!あのね・・・!」


何を言おうとしたのかリカオンは自分でもわからなかったが、何かを言う前に博士がテーブルの下でサーバルには見えないようにリカオンの手をそっと掴んだ。


今は何も言わないであげてほしい。


博士の小さな手の、その震えからリカオンはそれを感じた。


「・・・・・・ご、ごはん、ちゃんと食べてね・・・」


リカオンはそれだけ絞り出すように言うと、うつむいてしまい、あとはテーブルの木目を意味もなく視線でなぞっていた。


「サーバル、私の、言っている言葉が、わかりますか?」


博士が優しい口調で、一つずつ言葉を区切ってサーバルに話しかける。


「この前、助手から、サーバルが助手の言葉を、理解したと聞いたのです」


「あ、あのね!昨日は、二人で狩りごっこをしてっ、それで」


噛み合わない返答を聞いて、博士も口を噤む。


「今日はね、その、博士ともお話できるかもねーって言ってたんだけど、たまたまお出かけしちゃって」


「サーバル」


「だからっ、あの、かばんちゃんも博士とまたお友達に」


どん、と博士がテーブルを叩く音でサーバルの言葉を遮った。


「・・・ろ・・え・に」


「・・・博士?」


博士の目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

隣で博士がテーブルを叩いても、リカオンは視線を上げられないままだった。

サーバルの顔を見れなくて、テーブルに視線を落としたままだったから、見えてしまう。


ぽたぽた、と涙が落ちてくるのが見えてしまう。


「をろくがえだねえそそに!!」


博士の口から飛び出たノイズの様な雑音がサーバルの耳を襲った。

わからない言葉に、サーバルの困った視線が彷徨う。


「えをぬぶふにそおくみえだ!!」


博士が立ちあがり今度は両手の拳でテーブルを叩いた。


かばんはもういない―――

リカオンには博士のその言葉が聞こえていても、何もできることは無かった。


「こんな生活続けていたら、サーバルまで死んでしまうのです!!悲しいのも辛いのもわかるのです!でも、でもお前がしっかりしないとかばんだって・・・」


博士の言葉も最後の方はもう言葉になっていなかった。

絶望で絞り出した正論が、悲しみの渦中にいるサーバルに届くわけないのだと博士自身わかっているのだから。


「わかんないよ!!!!」


サーバルも立ちあがって叫ぶ。


「わかんないわかんないわかんないの!!!博士の言ってること全部わかんない!!!もういやだよ!!かばんちゃん!かばんちゃん!!どこ!?」


サーバルが部屋の中をバタバタと暴れ回る。


怪我をさせないように、博士が取り押さえようとするのを見てようやくリカオンの体が動いた。


「サーバルっ、おちついて」


「いやだあぁぁ!!!かばんちゃん!!!かばんちゃんかばんちゃん!!!」


暴れるサーバルの腕や足が体中に鈍くぶつかる。

それは友達同士の力加減じゃないし、ましてや自分に向けられたものですらないただの暴力を、リカオンが羽交い締めにするようにしてなんとか抑え込む。

リカオンはひたすら「落ち着いて」と繰り返し、暴れるサーバルにしがみつくことしかできなかった。


そして、しばらく暴れていたサーバルの動きが、急にピタリと止まった。

サーバルは一点をじっと見つめて止まっていた。

リカオンが安堵して、サーバルの視線の先を見る。


そこにはサーバルの手があるだけで、何もおかしなところは無い、が。


サーバルは何度か、ぐっぱ、と手を握る動作をすると小さく「かばんちゃん」と呟いた。


抑えつけていたサーバルから力が抜けたので、リカオンと博士がサーバルから離れる。


「かばんちゃん・・・帰ってたんだ。おでかけ、どうしたの?」


何もない、誰もいない”隣”に向かってサーバルが話しかける。

その姿を見てリカオンは呼吸も、瞬きすらも一瞬忘れてしまっていた。


「そっか・・・かばんちゃん、一緒だからね・・・」


サーバルが、見えない誰かと手を繋ぐようにして歩き出す。


「サーバル・・・?」


リカオンが尋ねるが、サーバルの耳には届いていない。


「一緒に、一緒にいこ・・・?・・・かばんちゃん、どこ?・・・どこなの?」


フラフラと扉から出ていくサーバルを、二人はただ黙って見ているしかできなかった。


その繋いだ手は誰と?かばんと?

じゃあ、誰を探しに出ていったの?サーバルは・・・どうなってしまったの・・・?


リカオンの頭が理解できない恐怖でぐちゃぐちゃになる。


「・・・すみませんでした、リカオン」


「・・・・・え?」


「私が、会うのをもっと強く止めていれば・・・こんな思いさせずに済みましたね」


「そんな・・・」


何で博士が自分に謝るのか。

これは、自分の考えが甘かったから・・・だから・・・


「・・・リカオン、ここにはしばらく来ないようにしてください。サーバルは私と助手がなんとかしてみますから」


「ですが、かばんのお墓には・・・たまに顔を見せてやってほしいのです・・・」


「はか・・・せ・・・」


どう、なんとかするというのか。

今のサーバルの姿をこうして見せられて・・・その”なんとかする”などという希望がどこにどう存在するのか・・・。


ぐちゃぐちゃになった部屋を掃除し始める博士の弱々しい背中を眺めながら、リカオンはひたすら絶望と後悔に心を染めるのであった・・・。



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