第一章
季節の扉
「かばんちゃーん、”ばしばし”とってー」
「はい、サーバルちゃん」
受け取ったばしばしをサーバルが大きく振りかぶる。
バンバンと小気味良くそれでいて重い音が二人の家の周辺に響く。
それは干した布団から埃を払う為に、サーバルがかばんお手製の布団叩き棒でバシバシと布団を叩いている音だった。
「うみゃみゃみゃみゃーっ!おふとんふかふかにしちゃうよーっ」
「はは、叩くとふかふかになるわけじゃないんだけどな・・・」
かばんが最近少しボロボロになりつつある布団を見て苦笑したが、サーバルの楽しそうな姿を見ればそんなことも許せてしまう。
かばんは指先だけを合わせ、布団さんごめんなさいサーバルちゃんが楽しそうなので・・・、と心の中で謝罪した。
今日は雲一つ無い快晴だった。
世界はこんなにも輝きと、温かさに満ちている。
草花を揺らす穏やかな風も、虫や鳥の鳴き声も。
何もかもがゆっくりと流れていく穏やかな時間。
あの日なんて、無かったんじゃないか。
まるでそう錯覚してしまうような、今までと変わらない時間。
これからもずっとずっと続いていく時間。
二人の家のすぐ側にある小さな切株が、かばんのお気に入りだった。
そこに座って博士達から借りてきた本を読むのが好きだった。
簡単でわかりやすいハッピーエンドのお話を何度もサーバルに読み聞かせる時間が、二人にとっての当たり前だった。
かばんは切株に腰かけ、部屋から持ってきた本を広げずに一旦地面に置く。
(もし・・・もし、僕がヒトを探す為に島の外へ旅立っていたら)
(こんな穏やかな時間は無かったのかもしれない)
壊れたバスに、広がる海に、そっと目を閉じて思いを馳せる。
(サーバルちゃんと二人で生きていくこんな日々・・・)
「間違いじゃなかったよね」
外の世界への未練は・・・少しある。
あったかもしれない自分以外のヒトとの出会い。
例え同類に会えずとも、新しい冒険の日々はあっただろう。
自分はそれを手放した、という思いがずっとかばんの心にはあった。
「かばーんちゃんっ」
「うひゃあっ」
いきなり顔を覗きこまれたかばんが素っ頓狂な声をあげた。
「ご、ごめん!驚かせちゃった?」
「ううん、僕がぼーっとしちゃってただけだから」
安心したサーバルがかばんの隣に座り込み、座っているかばんの膝に軽く頭を乗せる。
甘えたい、という彼女のいつものサインだった。
かばんは何も言わずに、サーバルの耳や尻尾を優しく撫でる。
太陽の色をした綺麗な髪にすっと指先を通し、何度も何度も優しく撫でた。
「みゃぁ・・・んん~~」
すっかり力が抜けきったサーバルを、かばんが優しく優しく何度も撫でる。
耳の裏を人差し指の関節で軽くくすぐると、小さくみゃあと漏らす。
そんな箇所を、方法を、かばんはいくつも知っていた。
「かばんちゃぁん・・・ご本読むのぉ~?」
サーバルは体中を愛撫されてもう声が完全にとろけ切っている。
「うん、まだまだ知りたいことが沢山あるから」
「私ももっと文字が読めるようになったらなぁ」
「サーバルちゃん、さしすせそまで覚えたじゃない。きっとすぐだよ」
「それ以外にも”ば”ん”ち”や”ん”も覚えてるよー」
「ふふ、そうだったね」
かばんが二人の家の方を見る。
二人だけの小さな家、たった一つの部屋で毎日を二人で過ごす家。
その扉の横にかけられた小さな板には「さあばる かばんさゃん」と書かれていた。
「ち」と「さ」が違っているが、これもサーバルの愛嬌だとかばんは満足していた。
「サーバルちゃんだって、きっと今に僕より賢くなって色んな本を読めるようになるよ」
「えへへ、そうなりたいな。私もご本読めるようになりたいもん」
サーバルが本への知的好奇心を持っていることにかばんはちょっと驚いた。
「サーバルちゃん、読みたい本でもあるの?」
「かばんちゃんと一緒に読めるようになりたいの、ご本」
「あっ」とかばんは心の中で声を漏らした。
「かばんちゃんに読んでもらうのも楽しいけど、でも・・・二人で一緒に読めるようになったらきっともっと楽しいと思うから」
「・・・そうだね」
かばんは嬉しかった、心の底から嬉しかった。
さっきまでの・・・パークに残ることを選択したことへの後悔が、全て青空に溶けていくように感じた。
「ありがとう、サーバルちゃん」
「ええっ、何のありがとう?」
「僕と、生きてくれて」
それはかばんの素直な心からの言葉だった。
誰かが聞いていたらきっと恥ずかしいくらいの言葉なのに、何の照れもなくかばんはそれを言えた。
「かばんちゃん、ありがとう!」
かばんがそれを言ってくれたから、満面の笑みでサーバルがかばんに微笑む。
そんなサーバルに何て返せばいいのか、かばんはわかってしまったからそこで少し照れて・・・それでもちゃんと返す。
「えへへ、何のありがとうかな」
「私と生きてくれて!」
かばんの膝にサーバルが頬を擦りつける。
友情を、愛情を、存在を刻みつけるように。
嬉しさと照れが混ざったかばんが、サーバルのお気に入りの本を手に取る。
「サーバルちゃん、今日もこれ読もうか」
「うみゃっ、そのお話すきー」
ボロボロになってしまった小さな絵本。
それはカラフルな絵がたくさん書かれた、ひらがなだけの本。
たった数十ページの冒険が、何度だって二人をハッピーエンドの結末へ導く素敵な本。
「じゃあ・・・始めるよ?」
かばんが本を膝に乗せページを開く。
「むかしむかし・・・」
「むかしむかし!」
始まりの一歩は二人で一緒だった。
文字が読めなくても、かばんちゃんの声で覚えてるもん。
そう言いたげな満足顔でサーバルがかばんを見る。
二人は微笑み合うと、次の行へと進んだ。
「おひさまと、おつきさまとが・・・」
「かわーりばーんこに」
春が終わり、夏の扉が少し開きかけた暖かな世界。
そんな優しい日差しの中で二人の朗読はいつまでも続いていた。
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