君の笑顔が好きだったから
あきなろ
プロローグ
プロローグ
アフリカオオコノハズク。
「博士」と呼ばれる彼女が扉に手をかけようとしてその手を下ろす。
扉の前でそんなことを何度も繰り返してから博士はようやく扉を小さく押した。
「サーバル」
声をかけた相手は部屋の中心で、ボロボロになった椅子に腰かけたままこちらを振り返った。
「あ・・・博士、いらっしゃい」
いつもと変わらないサーバルの笑顔。
あの日より前の、元気いっぱいの明るい笑顔というよりは柔らかく優しい笑顔。
博士の目に、部屋の隅の寝床が目に入る。
一人で使うには少し大きめの寝床の上にはごちゃごちゃと色々なものが置かれていたが、その中心にぽっかりと何も置かれていない空間があった。
それは、この部屋の主が毎晩そこに丸まって眠っているであろう証。・・・一人分の空間。
その空いた空間の隣には大きな布団で覆われた膨らみがあった。
それは、そこに誰か一人が隠れていてもおかしくないくらいの丸い膨らみ。
博士を迎え入れたサーバルが、抱いていたものを隠すようにその山の中に仕舞いこんだ。
それの端がちらりと博士の目に映った。それは、あの子がかぶっていた帽子。
それが名ではなかったが、あの子を象徴する・・・帽子。
来客が来たから帽子を布団の中に隠すなんてことは普通しない。
しかし、博士にはそれももう見慣れた光景だった。
博士はサーバルの奇行とも言える動きに何も言わなかったし、奇行と共に聞こえてきた「ごめんね、もう少し我慢してね」というサーバルの声も、聞こえなかったフリをした。
「サーバル、とりあえず今日のお土産を」
博士がリュックからジャパリまんをいくつか取り出しテーブルの上に並べた。
「わー!いつもありがとう博士」
サーバルは嬉しそうにテーブルの上のジャパリまんを1つ掴む。
「調子はどうですか」
「ありがとうね博士、ジャパリまんおいしいよ」
急ぐようにジャパリまんを口に頬張るサーバルを見て、博士がハンカチを取り出す。
「ほら、落ちついて食べるのです」
口元を拭ってやると、サーバルは申し訳なさそうに目を細めた。
慌てて口に放り込んだ割には、食べるスピードはとても遅い・・・。
きっと、口の中のものを噛んでいる時間は言葉を交わす必要が無いからだろう。
長い時間をかけて一つのジャパリまんをもそもそと食べるサーバルを、博士は無表情で静かに見つめていた。
やがて食事を終えたサーバルが手についたジャパリまんのカスをペロペロと舐め始めるのを待って、博士がようやく口を開いた。
「サーバル、体はおかしくないですか、眠れない、動けない・・・等の異常はありませんか」
「あ、あはは・・・そんなに心配そうな顔してどうしたの博士、私は大丈夫だよ」
博士の問いに、彼女にしては珍しいぎこちない様な笑顔でサーバルが返す。
不自然なサーバルの返事を聞いても、その困ったような笑顔を見ても・・・博士はふぅと小さく息を吐きだしただけで表情を変えなかった。
「・・・わかったのです」
博士がリュックを背負い立ちあがる。
「また来るのですよ」
扉の前まで歩いてから振り返り、寝床の上のふくらみを何秒か見つめた後、そして机の上を指さした。
「今日もそれを置いていきますから、後でちゃんと食べるのですよ」
机の上には小さな紙に包まれたジャパリまんが三つ置かれていた。
サーバルがハっと気づいたようにお礼を返す。
「ありがとうね博士」
博士はそれ以上は何も返さず外に出ていった。
部屋の中からサーバルは目だけで博士を見送ると、博士が飛んでいった方を窓からのぞき、その姿がどこにも見えなくなったことを確認してから安堵したように大きな溜息をついた。
部屋には残されたサーバルが一人・・・ではなかった。
「もう大丈夫だよ!」
さっきまでの困ったような表情は消え、サーバルに太陽の様な明るい笑顔が浮かぶ。
「ごめんね、かばんちゃん」
寝床に積み上げられた”ごちゃごちゃ”をどけると、中からかばんがもぞもぞと這い出てきた。
「ぷはっ、えへへ・・・気にしないで」
「ごめんねごめんねごめんねー!」
サーバルがすかさずかばんに抱き着き、甘えるように頬を擦りつける。
「サーバルちゃんは気にしないで、・・・しょうがないよ」
「うぅー、でもかばんちゃんだって博士とお話したかったでしょ」
「それは、その・・・そうだけど」
二人は寝床に腰かけて体を寄せ合う。
「でも今の僕じゃ、博士とうまくお話・・・できないから」
「うううぅみゃぁ~~なんでこんなことになっちゃったんだろうね・・・」
あの日。
あの日が、二人の全てを変えてしまった。
―――――――――――
「ろあょぬつほうおげずいめよを」
寝床の中で布団をかぶって隠れている自分の耳に聞こえてきた博士の言葉。
強い耳鳴りとノイズを滅茶苦茶に混ぜ合わせたような不協和音は、自分が理解できる「言葉」とは大きくかけ離れているものだった。
「わー!いつもありがとう博士」
サーバルがお礼を言う声は、ちゃんと聞こえるのに。
「そこどえあさあろでねょ」
博士の言葉だけが、どうしてもうまく聞き取ることができない。
あの日から、どうしても・・・
布団に隠れている自分の不安を察したのか、サーバルが隙間からかばんの帽子を押し込んでくれた。
あの日、自分という存在が大きく変わってしまったという恐怖に取りつかれる自分に、自分は自分のままであるという証を渡してくれたのだ。
そして博士には聞こえないくらいの小さな声で「ごめんね、もう少し我慢してね」と囁いてくれた。
「ありがとう、サーバルちゃん」
きっとサーバルにも聞こえないくらいに小さな声で返す。
本当は今すぐにでも飛び出して大きな声でありがとうを言いたかったが、自分がここに隠れていることが博士にバレないようにと小声で気をきかせてくれたサーバルの好意を無駄にはできない。
サーバルは帽子をくれる時に、隙間から一瞬だけ手を握ってくれた。
それだけで不安に小さく震えていた心に、じんと安らぎの熱が灯る。
―――――――――――
「博士さんとお話できないのはかなしいけれど・・・」
あの日を境にかばんは博士の言葉がわからなくなってしまった。
わからない、というより・・・何故か言葉として聞き取れないのだ。
「また、・・・あんな風にしちゃうと怖いから」
かばんの脳裏に、あの日の博士の表情が浮かぶ。
何が起こったのかわからないまま尻もちをついた状態で呆然と自分を見る博士の姿。
博士の言葉がわからなくなった直後のかばんは、博士との会話を何度も試みた。
博士の助手とも、もちろん他のフレンズ達とも。
でも、一向に回復の兆しも見えない状態に苛立ち、困ったような表情を見せる博士の姿を見て、つい感情が昂ってしまったことがあったのだ。
その時のかばんは博士が差し伸べてくれた手を乱暴に振り払ってしまった。
それがたまたま博士の頬に当たってしまった。
元々、博士が小柄だったこともあったせいか博士は派手にひっくり返り、かばんの脳内に焼き付いたあの呆然とした表情を浮かべたのだ。
信じていた仲間が、何かわからないものになってしまったと驚く様な、あの表情を。
「こわい・・・よ、僕はこわいんだ、このままずっと・・・なんじゃないかって」
かばんが怯えて手を震わせる。
「大丈夫だよかばんちゃん、かばんちゃんが治るまで私が側にいるから」
そんなかばんの手を、サーバルが自分の手とぎゅっと繋ぐ。
あの日、博士の頬を打ってしまった罪深い手を・・・まるで許しを与えるように。
「かばんちゃんの痛いのは私も一緒に痛くなってあげる」
「サーバル・・・ちゃん」
「何回でも試してみようよ、かばんちゃんはすごいんだから!きっとすぐに前みたいにお話できるようになるよ」
サーバルの前向きな言葉が、すっかり落ち込んだかばんの心に染みこんでいく。
「それに、元気が無い時は今日みたいに隠れちゃってもいいんだよ!私がいればかばんちゃん一人隠すのなんて簡単なんだから!えっへん!」
「ねえサーバルちゃん、博士さんさ、本当は気づいてると思うんだ」
「ええーっ!なんでー?」
「気づいてて、それで・・・気づかないフリしてくれてるんだと思う」
机の上に置かれた三つのジャパリまん。
一つは隠れていた僕の分、残り二つは夜に二人で食べろ、と。
そういう博士からのメッセージだとかばんは受け取った。
「じゃあじゃあ博士もやっぱりかばんちゃんとお話したいんだよ!お友達だもんね!」
「次は、僕も隠れないでちゃんとお話できるかな・・・」
「できるよ!ぜったいに」
恐怖は決してぬぐえない。
言葉が通じなくなったことへの恐怖、それに苛立ち過ちを繰り返してしまうかもしれない恐怖。
「じゃあさ、かばんちゃん。次に博士が来た時はずーーーっと手を繋いでいようよ」
「ええ、手を?ずっと?」
「そう!そうすれば怖くないし、前みたいには絶対にならないから!」
「それでももし僕がカっとなっちゃったら?」
「その時は私が、うーがおーってかばんちゃんを脅かしちゃうから!」
「あはは・・・サーバルちゃん、実はそのがおーってあんまり怖くなかったり・・・」
「ええーっ!!」
ショックを受けたサーバルがわたわたと慌てる。
そのまま後ろに倒れ寝床に転がったので、かばんもそれに続いて寝転がる。
「でもね、そのがおーが僕は好き。大好き」
「がおーなのに?」
「うん、安心する。サーバルちゃんが隣にいてくれるんだって」
「えっへへー!じゃあいつでもがおーしちゃうよ。がおー!」
サーバルが繋いだままの手をぎゅっと強く握りなおす。
彼女は歯や牙でなく、繋いだ手で優しくかばんを噛んだ。
かばんもそれに返す様に、指先を開いたり閉じたりして・・・何度もサーバルの手を握り返す。
「サーバルちゃん、がおー」
「かばーんちゃんっ、がおがお、がおー」
二人はそのまま眠りこけてしまうまで、何度も何度もお互いの手を握り返していた。
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