エピローグ 草の根レジスタンス

「……と言う訳で、今日から、新しい先生がやって来る訳ですが……」


 何やってるんだ、と生徒の後ろをぐるぐると見回りながら、体育教師は、一人の男の訪れを待っていた。

 2051年、春・四月。

 入学式を午前中に済ませた中等学校は、午後に進級式と、新任教師の歓迎行事を行うことになっていた。

 だがしかし、その当の新任教師が、やって来ない。仕方なく、プログラムは変更され、教師の紹介は最後の最後に回されることになった。

 ぼそぼそ、と後ろの少女達が囁く。


「今度新しく来る先生って、どんなひとだってー?」

「変わったひとらしいよ、だって大学出てから、も一度別の大学入った、っていうんだもの」

「こら、静かにしてろ」


 はーい、と少女達はお気に入りの体育教師に笑いかける。いかんいかん、と彼もまた、反省していた。人を叱る前に、自分が冷静にならねば、と。

 しかしこの日、彼には冷静になれない訳があった。

 と、その時、静かな場内に、たたたたたた、と細かな音が聞こえてきた。お、と体育教師は顔を上げた。

 やがて体育館の横の扉ががらり、と開いた。


「遅れて、済みません! ―――わぁぁぁぁっ!」


 ああああああ、とその時同時に叫んだのは、後ろで演奏のために待機していたブラスバンドだった。

 どーん、と大きな低い音が、その場に鳴り響いた。


「痛っえ」

「痛いのは、こっちですよ……」


 泣きそうな顔で、ブラスバンド部員は、破れた大太鼓のヘッドを指さした。


「あ…… ご、ごめん!」

「高村さん!」


 体育教師が慌ててその場に飛んで来て、スーツ姿の男の手を取った。


「何やってんですか、急いで急いで!」

「ごめんごめん、あー、後で謝っておいてくれない? ヘッドすべって転んで壊して―――」

「何でそんな、マンガみたいなことができるんですか! ほら早く!」

「だけど山東、君、相変わらず力強いなあ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!」


 そのままひきずる様に、体育教師・山東は、新任教師・高村を待機している教師達の所へ連れて行く。


「え? 俺、挨拶? 判った判った」


 押し上げられる様に、彼は壇上へと連れて行かれ、マイクを持たされた。渡したのは、にこやかな表情の――― おそらくは教務主任か何かだろう。

 さて。

 彼は生徒の方を向く。前期後期、入学生以外の五年分の生徒が一同に介している。一体、何を言ったものか。


「し、新任の、高村です。四年六組と、化学を担当します。えー」


 しん、と場内が静まり返る。

 二つの大学にわざわざ通ったという、噂の新任教師がまず何を言うのか、皆、期待していたのだ。

 高村は、ちら、とブラスバンドの方を見る。

 そして、やっぱりまずこれかなあ、と大きくうなづいた。


「遅れて、ごめんなさい」


 ぺこん、と彼は頭を下げる。

 次の瞬間、場内に大きな爆笑が巻き起こったのは、言うまでもない。



「それにしても高村さん、あんたがあの後、また大学に入り直した時には、俺、本当にびっくりしたんですからね」


 職員室で、遅刻の詫びをした後、彼は自分の席につき、セルフサービスのコーヒーを口にしていた。

 山東は彼と同じ後期部の四年の体育を担当しているようで、机もちょうど、彼の正面だった。


「うん、まあいろいろ考えてね」

「それで、五年間保留にしていた件は、どうなんですか?」


 山東はぐい、と身体を乗りだし、つぶやく様な声で問いかける。


「ねえ高村さん、結構俺達、あれからよく一緒に、飲み食いしに行きましたよねえ」

「そうだなあ、行ったなあ」

「その間に、森岡先生は定年にもなったし」

「うん、残念だったなあ」

「高村さんは、プライベートでは結構俺と良く遊んでくれるのに、この件については、ずっとはぐらかしっぱなしで」


 ふふん、と高村は口元を軽く上げ、コーヒーをすすった。


「なあに、さっそく山東先生に口説かれるてるの、高村先生?」

「やばいですよー、山東先生は、女には興味無い、と言っていたようですから」


 同じ学年の、同僚の女教師が口を出す。

 放っといて下さい、と山東は大声を出した。おおこわ、と彼女達は肩をすくめた。

 なるほどね、と高村は思う。この純情な男は、おそらく、あの二人のことが、結局ずっと、忘れられないのだ。

 彼はことん、とカップを置いた。


「では寂しい山東先生に、愛のお手紙を。手を出して」


 ぽん、と高村は前の席に向かって、小さなものを投げた。


「高村さん、これは」

「んー、何に見える?」

「そ、そりゃ」


 山東は、手の中に小さくちょん、と乗った折り紙のカブトムシを見つめた。

 太い指で破かない様に、かさかさ、とそれを解く。中には、小さな細かい文字と、組成式が書かれていた。


「それが俺の、答え」

「高村さん」


 山東は目を丸くして、顔を上げた。


「それを出すために、オレは四年間、薬学部に居たんだからさ」


 そう、教育学部を卒業してのち、彼は薬学部に入り直したのだった。


「おかげで、お前より後輩になっちまったけどさ。あー、できれば、森岡さんの現役のうちに、参加したかったんだけど」


 薬学部に居るうちに、「R」の組成式と生成法を掴み、その薬によって止められる症状を推察する。そこまでできたら、草の根レジスタンスに参加する。無論、その間に先を越す者が出るかもしれない。

 だがそれはどっちでも良かった。あくまでそれは、彼のけじめの様なものだったのだ。


「少し、遅れちまったけど」

「いえ、充分以上だと、思います。未だにここまで出した人は居ない様ですから」

「そうか……」


 ふう、と高村はコーヒーをすする。


「でも俺、何度もあんたに問いただそうとは思っていたんですよ? あの時、奴が渡したもの、俺も見ていたんですから」


 現在の山東は、「R」と「B」がどういう形で支給されるのか知っていた。


「そおかあ? オレ、気付かなかったけど」

「だから、高村さんが自分から……」


 まあいいです、と山東は深呼吸をする。そしてふと思い出したように、にやりと笑った。


「あ、そう言えば、島村さんとこの間、研修会で会いましたよ。相変わらず、元気そうでしたけど」


 ぷっ、と高村はコーヒーを吹き出しかけた。


「その名は、止してくれ」


 口を拭いながら、高村はうめいた。


「嫌ですか?」


 やっぱりな、という表情で山東は問いかけた。


「いや、嫌と言うより」


 ううむ、と高村はうなった。ぽん、と山東は手を叩く。


「そう言えば、何か最近、高村さん、態度が何処か、島村さんと似て来ましたよ。うん、そのいい根性のところとか」


 止してくれ、と高村は思わずデスクに顔をついた。そしてそのまま、しばらく、じっとその姿勢を続けた。


「高村さん?」


 心配そうな、山東の声が、頭の上で、聞こえる。きっともうじき、幾つかの再会もあるのだろう。

 だがもう、二度と会えない者も居る。


 垣内と村雨、あの二人の遺体は見つからなかった。

 もっとも、それは捜索を打ちきった、というだけであり、実際には生死不明とされている。

 「当局」に死を隠されているのかもしれない。消されてしまったのかもしれない。

 だが、もしかしたら、何とか生き延びたのかもしれない。そして生きられるところまで、生きているのかもしれない。

 心の何処かで高村はそんな期待もしていた。

 会うことは無いだろう。もし生きていたとしても、二人とも自分達には決して会おうとはしないだろう、と彼は感じていた。


 ただ、夏になると―――


 薬学部の研究室の外には、誰が作ったのか、花壇があった。簡単なものだったが、季節ごとに、それぞれの花を咲かせ、研究にいそしむ学生達にとって、気持ちの潤いになっていた。

 そこには夏にはひまわりが咲いた。

 誰が種をまいた訳でもないのに、毎年毎年、その花は窓の外から顔を見せた。

 それを見るたび、彼は少し胸が痛むのを感じた。

 そして、思った。


 これは忘れてはいけない痛みなのだ、と。


「山東」

「はい?」

「なあ、オレにできることなんか、大したことは無いかもしれないよ」


 高村はつぶやいた。


「それでも、できることを、できるだけ―――やって行きたい――― やって行こうな」


 はい、と明るい仲間の声が、彼の耳に届いた。


 もう迷うことは、無い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る