33.「ありがとう、楽しかった」

「今回は、さすがに余計な輩が多すぎたわ。手間取りは確かにあなた方にも責任はあるけれど、選別の点では私にも非があるしね」

「南雲先生」

「ねえ、私、あなたのこの六年間の『仕事』に関しては、評価しているのよ。大抵のペアは、六年間、続かないものよ」

「そうなんですか?」

「そうよ。大抵は、『R』が発狂するか、『B』が良心の呵責に耐えかねて自殺、そうでなければ、『仕事』自体をやり損じて、返り討ちにあってしまうとか、そういうことも、たくさんあるんだから」

「そうですか」

「で、私としては、あなたには、私と同じ様に、インスペクターになってもらいたいのだけど」

監査員インスペクターに?」


 あ、と高村はつぶやいた。垣内の腕の中の村雨が、その言葉に反応した様な気がしたのだ。


「ええそう。あなたならきっと、選別し、命令を下す方にも、充分なれるわ」


 いいえ、と彼は首を横に振った。


「俺にはできませんよ。南雲先生の様な、そこまでの意志力は」

「ねえ私、あなたのことは気に入ってるのよ」

「ありがとうございます」

「そう素っ気なく言うものじゃないわよ」


 いつになく、南雲の口調には、「女」を感じさせるものがある、と高村は思った。


「私はこの先、当局の中で、もっともっと、のし上がって行くつもりよ。あなたには、その片腕になって欲しいわ…… それしか、私達の様な者が、上手く生きて行く方法なんて、無いのよ」

「……」

「それに、お荷物だったでしょう? そんな、『R』の相手は」


 高村は、再び感情が沸騰するのを覚えた。何ってことを、あの女は。


「使い捨ての『R』の―――」


 その時だった。

 どん、と垣内の身体が突き飛ばされた。

 村雨だった。


「あ」


 高村は思わず声を立てていた。


「あ? ああーっ!!?」


 南雲は叫んだ。いきなりのことに、何が起こっているのか、彼女にも判らない様だった。

 だが、横から見ている二人には、よく判った。


「村雨さん! やめろ!」


 高村は隠れろ、と言われたことも忘れ、立ち上がり、叫んでいた。垣内もそれを止めることは、できなかった。


「やめなさい村雨、やめなさいってば!」


 村雨は南雲の首を右腕で抱え込み、そのまま走り出していた。

 不安定な体勢、後ろ向きに走らされる南雲の声は、ほとんど悲鳴に近かった。

 いくらもがいても、力一杯振り解こうとしても、抱え込まれた首は、びくともしない。

 とん、と村雨は、軽く屋上の縁に飛び乗った。

 そしてふわり、と南雲の足が浮く。


「いやーっ!!!!!」


 雨の中に、叫び声が、溶けて行く。

 迷うこと無く、村雨は、屋上から飛び降りていた。


 今、何があったんだ?


 高村はまたもや、自分の目が信じられない思いだった。

 それは山東も同じだったらしい。頭に血が上っても、冷静な判断ができるはずの男が、何をすることもできず、ただ呆然と、その場に、立ちつくしていた。

 だがもう一人は、そうではなかった。

 垣内が呆然としていたのは、ものの二秒、というところだった。彼はぱん、と自分の両頬を大きく叩くと、ものも言わず、階段室へと飛び込み、そのまま駆け下りて行った。

 ばたばた、とスリッパの立てる音で、ようやく残された二人は、今何をすべきなのか、思いついた。


「た、高村さん、行きましょう」

「お、おうっ!」



「ごめんなさい…… ごめんなさい……」


 廊下の窓に飛びつき、高村と山東が外へ出た時、最初に耳に飛び込んできたのは、その声だった。


「こんなこと…… するつもりじゃ……」

「いいよ」


 常夜灯の光は、ここでは全てを明らかにしてくれる。校舎周りの植え込みの縁石を枕にし、南雲がその場に倒れていた。


「う……」


 思わず高村は口を押さえる。頭から落ちたのは、明白だった。かっと開いた目、血は水に流れつつあるが、それ以外のものも、辺りには飛び散っている。

 だが村雨は。同じ高さから落ちたはずの村雨には、何のダメージも見受けられない。


「俺も」


 ぎゅ、と垣内は村雨をきつく抱きしめる。


「俺も、あんなこと、お前に言われるのは嫌だった。『使い捨て』だなんて」

「使い捨て?」


 高村は問いかけた。だが垣内からの答えは無かった。

 そして、その代わりに。


「高村先生」


 垣内は手の中の二つの小びんを、高村に握らせた。


「これは」

「これを持って、すぐにここから、山東先輩と、立ち去って下さい」

「だけど君、これは」


 確か、来週分の。そう南雲に、言っていたはずなのに。


「もう、いいんです」

「もういい、って」

「高村先生に、持っていてもらいたいんです」


 頼みます、と言って、彼は手を離した。びんにはまだ、垣内の手の温みが残っていた。


「一つ聞いていいか?」


 高村は二つのびんをぐっ、と握りしめる。


「何ですか?」

「何であの時、オレを助けた? 南雲先生は、オレも殺せ、と命令したんだろう?」


 ああ、と垣内は村雨の髪を撫でる。


「少しは、迷ったんですよ、俺も」

「迷った?」

「だってそうでしょう。殺してしまった方が簡単でした。あの場所、あそこから落とせば簡単じゃないですか。あなたは気を失っていたし」


 高村は空いた口が、なかなか塞がらない自分を感じていた。本当に、自分はあそこで殺されていたのかもしれないのだ。


「だけど、思い直したんですよ」

「思い直して、……くれたんだ」


 彼は心の底からほっとする。


「別にあなたをどうこう、じゃないですよ。ただ、あなたを殺してしまったら、こいつが泣くだろう、と思ったんです。いや、それも兼ねて殺してしまっても……」

「垣内、お前、それは高村さんに嫉妬してた、ってことか?」


 山東は口をはさんだ。


「そうかも、しれないですね」


 ふふ、と彼は笑った。

 あ、と高村は気付く。それは、今まで彼が見た垣内の表情の中で、一番晴れ晴れとした笑顔だった。


「高村先生」


 小さな声が、彼を呼び止める。村雨は、垣内にしがみついたまま、ちら、と振り返った。


「ありがとう…… 楽しかったん、です。とてもとても」

「村雨さん」


 高村は言うべき言葉を探した。だが上手く見つからない。それを察したのかどうなのか、垣内は、鋭い声で叫んだ。


「もう二人とも、行って下さい!」


 そして目を伏せて、つぶやいた。


「さよなら。……ありがとう」

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