30.「箱詰め」。
誰だ? と高村はきょろきょろと辺りを見渡した。
頬を冷たい水が滑って行く。耳に頭に延々と流れて行く水の落ちる音も聞こえる。
雨が降っているのだ。
そこには誰も―――
いや、居た。
斜め前に、見覚えのあるすっきりとした姿勢の男が腰掛けているのに、高村は気付いた。
「気が付いたんですね、高村先生」
バリトンの声。
「垣内君」
常夜灯の光もここまでは上手く届かないせいか、表情までは判らない。ざらりとした、濡れたコンクリートに手をつき、高村は身体を起こそうとする。
「痛っ!」
「すぐには起きあがれないと思いますよ。鳩尾をやられたんでしょう? あの人の腕は半端じゃないから」
「あのひと?」
高村は、自分の状況を思い返す。
確か、図書室へ、山東の応戦に行こうとしていたはずだ。そしてその途中で出会ったのは……
「南雲先生か?」
眉を寄せ、高村は問いかけた。だが垣内はそれには答えなかった。それとも、雨の音で、かき消されてしまっていたのかもしれない。
そう言えば。高村は慌ててポケットの携帯を取り出す。自分を起こしたのは、この声ではない。そして山東の声でもない。一体。
受信したナンバーを確かめる。見覚えがあるような、気がする。だがすぐには思い出せなかった。
「それで連絡を取り合ってたんですね、山東先輩と」
ふらり、と垣内は高村の手の中の光に目をやる。ああ、と高村はうなづいた。
「高村先生」
あ? と高村は顔を上げた。
「どうして足を突っ込んでしまったんですか? 遠野さんも、山東先輩も――― 先生も」
「どうして、って」
「余計なことをしてくれた、と言ってるんですよ」
「余計なこと?」
ええ、と垣内はうなづいた。余計なこと。余計なことなのだろうか。高村は自分の中で何かがふと、揺らぐのを感じた。
不意にぐいっ、と垣内は高村に掴みかかった。階段室の壁に、身体を押しつけられる。
「余計なことなんですよ! あなた達が、下手に動かなければ、……俺達は、こんな無駄なことをしなくても、済んだのに」
ぎり、と歯ぎしりする様な音が、高村の耳に飛び込んでくる。
「今年の『仕事』は、これで終わりのはずだった…… 俺達は、最後の一年を、精一杯、一緒に過ごすことが、できたのに」
「『仕事』?」
その言葉に高村は引きつけられる。
「『仕事』って、何だよ!」
その問いには垣内は答えずに、顔を逸らした。
「さっき南雲先生も言ってたけど、何が君等の『仕事』なのだよ? 一体!」
おい、と力の抜けた垣内に、今度は高村が手を伸ばした。両肩を掴み、強く揺さぶる。だが垣内は、視線を逸らし、それをただ、振り解こうとするだけだった。高村は力を込めた。この問いには、どうしても、答えてもらいたかったのだ。
「校内の、ファッション・リーダーを殺すことなのか?」
「ファッション・リーダー?」
その言葉に、一瞬垣内の力が緩む。
「ああ…… そういう言い方をするのかも、しれませんね。ファッション・リーダー…… はははは」
垣内は笑い声を立てた。
「ファッション・リーダーねえ…… いいなあ…… その言い方、すごく、いいなあ…そうかあ…… 俺達は、ファッション・リーダーを消してた、って訳かあ……」
ははははは、と垣内の乾いた笑い声は、しばらく続いた。頭をがくん、と後ろに倒し、彼はしばらく、笑い続けた。
雨が、彼の顔に、強く降り注ぐ。その様子をまるで、楽しんでいるかの様に、高村には見えた。
「おい」
大丈夫か、と高村は掴んだままの垣内の肩を大きく揺さぶった。
「おい! 垣内君!」
「ははははは…… 大丈夫ですよ、高村先生。別に俺、どうかしてしまった訳じゃあないですから…… いや、もともとが、どうかしてるんだっけ」
「しっかりしてくれよ、垣内君!」
「そうまだ、大丈夫だ。そう、あなたの言う、ファッション・リーダーを消してたのは、俺達ですよ。でも俺達には、その意味は、別に重要じゃないです」
「重要じゃ、ない?」
高村は思わず頭に血が上る自分を感じた。今まで自分達が考えてきたことは、意味が無いことだったのか、と。
「その意味を決めるのは、俺達じゃ、無いんですよ」
「じゃ、一体誰なんだ」
垣内は首を軽く前に落とす。ぽとぽと、と水滴が、髪から途切れることなく、落ち続けている。
「俺達の上ですよ。俺達はただ、ターゲットとされた生徒を誘い出し、その手で殺して、箱詰めすることだけなんです」
「箱詰め」
―――俺達ヒラの教師が知ってるのは、ある日いきなり朝、校長室に黒い箱と黒い封筒がやって来ることだけさ―――
高村は島村の言葉を、思い出していた。
「もしかして、俺が、先週の月曜日に玄関でつまづいた、黒い箱は」
「そうですよ」
さらり、と垣内の口から言葉が流れ出た。
「箱の中には、あの前日に俺達が殺した日名が、入ってたんです」
「!」
「行き先は、ああ、でもこれを言ったら、もう全く取り返しがつかなくなりそうだ。俺達の役割は、そう、それだけ、なんですよ。それが誰であろうと」
「俺達…… 村雨さんも、か?」
「ええ」
「何故」
高村には、想像ができなかった。
図書室の彼女。屋上の彼女。彼の知っているどちらの彼女も、垣内の言う「仕事」とは結びつけることができなかった。
「高村先生は、あいつのこと、どう思いましたか?」
力が抜けた高村の手を、垣内はそっと自分の肩から外した。
「珍しい女だ、と思いませんでしたか? 動きがとろくて、ちょっといつもと違うことが起こると、すぐにパニック起こしてしまって、本の世界が大好きで、友達の一人も居ないような、そんな女生徒」
ああ、と高村はうなづいた。
「何故だと思います?」
「何故って」
「俺達は、小学校卒業認定試験で、『R』と『B』のランクをつけられたんですよ」
「『R』? 『B』? 何だよそれは?」
高村は問い返した。そもそも、そんなランクの存在すら、彼は知らない。
垣内はくく、と笑う。
「先生には判らないでしょう。判る訳、無いんです」
「そりゃあ、判らねえよ!」
ばん、と屋上の扉が、開いた。
高村はその声に、慌てて段差から飛び降りた。
「山東君! 大丈夫か?」
「大丈夫じゃ、無いですよ…」
はあはあ、と息をつきながら、山東は扉にもたれかかる。その身体に近付くにつれて、熱気が漂って来るのが高村にも判る。顔も身体も、汗まみれだ。
「おい垣内、どんな事も、言わなきゃ、判る訳、無いだろ!」
山東は叫ぶ。叫びながら、背後の様子を伺っている。
あ、と高村は気付いた。
よく見ると、山東は扉にもたれかかっているのではない。背中で、腕で、腰で、力一杯、扉を押さえているのだ。
やがて、ばん! と大きな音が、扉から響いた。
う、と山東は顔を大きく歪めて、歯を食いしばる。
「おい垣内、言ってみろ…… あれは、何だ?」
うめく様な声で、垣内に向かって問いかける。
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