27.「利用じゃないですよ。共闘って言うんですよ」
それにしても。
高村は扉近くの床に座りながら、ぼんやりと窓の外を見上げた。
星が全く見えない。
雲行きが怪しい。雨が近いのだろうか。ゴールデンウイーク明け以来、この時期にしては安定して晴れていたのに。
低気圧が迫っているのかもしれない。森岡が腰が痛む、とつぶやいていた記憶がある。風向きも多少変わって来ていたようだ。
しかし実際のところ、どの程度の雲行きなのかは、この時間でははっきりとは判らなかった。
彼はぴ、と端末で時間を見る。手元だけがぼっ、と明るくなる。午後八時。そろそろだろう、と彼はズボンのポケットから、ワイヤレスイヤホンを取り出し、左耳に入れた。
耳にすっぽりと入れる形なので、髪を下ろせば、入っていることは判らない。
そして白衣のポケットからは、一枚の地図を取り出す。
校内の平面図だった。その昔、山東が校内改革を進める時に、何でも、当時の工事業者から建築の平面図をコピーさせてもらったのだ、という。
さぞ工事業者もびっくりしただろうな、と高村は思う。一介の学生が、数十年前の工事図面が無いか、と掛け合いに行ったのだ。結果的には見つかったし、それは首尾良くコピーできたが、そうそう手に入るものではない。山東の熱意の程が感じられた。
そして更にそのコピーが、今、高村の手の中にあった。
建築図面は、距離が正確に表されているから、欲しかったのだ、と山東は言っていた。何処に購買分室があれば便利なのか、それが可能な場所は何処なのか、割り出すのに必要だったのだ、と。
しかし実際、先週末彼の部屋で見たその地図には、もっと様々な、細々としたことが書き付けられていた。
*
先日、遠野の自宅の探索を終えた二人は、そのまま山東のアパートへと直行した。
「自宅じゃないんだ」
六畳一間の部屋に入った時、高村は思わずそう口にしていた。
「ええ、俺、中等の途中から一人暮らしなんです」
「適性検査のせい?」
「まあそんなものでしょう。それに親父が転勤族で、ちょうど俺が後期部に入る頃、東北の方に行ってしまったんですよね」
ああ、と高村はうなづいた。確かにそれは遠い。遠すぎる。
六畳一間のアパートには、無駄なものは無かった。
高村自身の部屋よりずっときちんと整頓されていた。ただ、本だけはやや雑多に広がっていた。量があるのだ。それもまた、ちょっと見ただけでも「節操なし」と言える様な、多彩なジャンルである。
「……全部読んだの?」
思わず彼は感心して問いかける。
「そりゃあまあ、読むために買ったんですし」
それはそうだった。
「と言っても、古本屋とか、友人からもらったものもありますよ。それにほら、そいつは図書館の本だし」
確かに、指された厚い本のカバーには、バーコードのついたラベルが貼ってある。
「こんな高い本、買えませんよ。所詮貧乏学生ですからね」
「それはオレだって同じだよ」
ははは、と二人は笑い合った。
「……で、気の合ったところで、本題に入りましょうか」
ああ、と高村も表情を引き締めた。
「まず、整理してみましょうか」
山東は新聞の広告の裏に、ボールペンで箇条書きにしていった。
ゴールデンウイークの日名の「転校」。家族の「引っ越し」。
月曜日に高村がつまづいた「黒い箱」。
遠野の「転校」。家族はそれを知らず、その後に「引っ越し」があった。しかし「引っ越し」たのは家族だけらしい。
島村の意味ありげな言葉。黒い箱と封筒の伝説。
高村の記憶。
「考えたくはないです」
山東は眉を寄せ、口を歪めた。
「けど、目をそらしてはいけない、と俺は思うんです。それが冗談であって、実はあいつらが何処かに隠れていて、俺を驚かせよう、という計画だったなら」
彼はボールペンを持った手を強く握りしめる。みしみし、とペンがきしむ音が、高村の耳にも飛び込んでくる。
「それだったら、俺は喜んで驚いてやります。笑い者になってもいい。あいつ等が無事で帰って来るなら。だけど」
ぴし、とボールペンが、音を立てて折れた。中の芯だけが、かろうじてその形を保たせていた。
「本当に、……あの二人が、君は、好きだったんだ」
「ええ」
山東は迷うこと無くうなづく。
「俺が苦しい時に、あいつ等は俺を力づけてくれた。だからあいつ等が困った時には、何が何でも、俺にできることなら、いや、できないかもしれなくても、守ってやりたかった。そうするつもりだった。……なのに、何です?」
どん、と山東は、折れたペンを握ったまま、座卓に両手の拳を思い切り落とした。折れたプラスチックが、手に食い込んで赤くなっていた。
「俺は何にもできなかったじゃないですか」
高村は黙って聞いていた。下手に掛ける言葉など、彼には見つからなかった。
彼にはそれほど強烈に思いを寄せる様な友人は、いなかった。
いや、その友人を選ぶ自分の目を信用できなかった。
どれだけ相手が親切にしてくれようが、その行動の何処までが本当で、何処までが嘘なのか、判断するだけの自信が持てなかったのだ。
そんな自分が、この男に掛けられる言葉など、何処にあるだろう?
ただできるのは、握りしめすぎて、とうとう血が流れている山東の手から、壊れたボールペンをゆっくりと離してやることくらいだった。
「……すみません」
「いや、いいよ」
「本当のこと言うと、高村さんを巻き込んでしまって、申し訳ない、と思うんです。これは俺達の」
「いや」
高村はペンのかけらをゴミ箱に入れながら、首を横に振った。
「オレの問題でもあるんだ。いや、君以上に、これはオレの問題かもしれない」
「記憶のことですか? でもそれは、忘れてしまえば」
「忘れられないんだ。結局」
高村はぱら、と手を払った。
「忘れられるものだったら、もうずっと昔に忘れてしまってる。でも結局それはオレにはできなかった。そしてずっと、オレ自身を縛り続けてる。それこそ、君が、友達を無くした悲しみとは違うところで、オレはオレの、カタをつけたがっているんだ」
「高村さんは、高村さんのカタを」
「そう」
彼はうなづいた。
「こう言ってしまうと、卑屈だと思うんだけど、オレは君の様に、自分の行動に自信を持ってやっていけない。せいぜいがところ、カラ元気だ」
「だけど俺だって」
「それだけ大事なひとが居る奴、に自信が無い訳ないだろ?」
それは、と山東は口ごもった。
「オレにはそういうひとが居ない。友人ができても、彼女ができても、結局何だかんだで離れていってしまう。いつもそうだ。オレがどれだけその相手のことを思っている、と思っても、それが何処かずれてしまう。オレはそれが嫌で嫌で仕方なかったんだ」
「昔の記憶が、それに関係していると?」
「判らない。……でも、可能性は、ある」
「可能性」
「だからオレはオレで、君を利用しているのかもしれない」
「利用、ですか」
「そう、利用。だから君がオレに悪い、と思う必要は無い」
そうですか、と山東は苦笑した。そして、そこのばんそうこう取って下さい、と彼はいきなり言った。高村は唐突な話題の転換に少し困惑しながらも箱を渡すと、巻いてくれますか、と山東は更に付け足した。
高村はばんそうこうの一枚を取ると、傷ついた山東の右手にぺたり、と押し当てた。
「あのね、高村さん」
山東はそのばんそうこうに視線を置きながら、言った。
「利用じゃ、ないですよ。こういうのは」
そしてひょい、と顔を上げた。
「共闘、って言うんですよ」
「共闘」することになった彼らは、その晩作戦会議を延々続けた。結果、高村はそのまま山東の部屋から学校へと行くことになった。
服を貸しましょうか、と言われたが、クラスメートのスーツよろしく、まるでサイズが合わないので、それは遠慮した。
「会議」は明け方までかかった。だがおかげで何とか方針が決まった。
と言うより、もう次の朝から、臨戦態勢に入らざるを得ないだろう、というのが二人の共通の見解だった。
日名と遠野、そして二人の家族の失踪。これを生きてるとみるか、死んでいるとみるか。
最悪の状況を考えよう、と山東は言った。
「最悪の状況」
「ええ」
既に皆死んでいる。それが最悪の状況だった。
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