25.「だったら俺は太陽になるから」
「とにかく現代国語ができる様になりたかったら、四の五の言わずに本を読め、何だっていい、好きなものでいい、とにかく量を読め、というのがあのひとの主張でしたよ」
「……そんなこと、あのひと言ってたのか……」
嫌味ばかり言う人か、と当初は高村も思っていたのだが。
「口は決して良く無いですね。でも俺は、結構好きですよ」
「そうなのかい?」
「ええ。趣味や好き嫌いがはっきりしているし、あ、そう言えば、何故か好きな子は苛めるタイプなんですよ」
「何だそりゃ」
「子供っぽいでしょ」
くく、と山東は笑う。
「嫌いなひとには、いくらでもご丁寧な言葉を吐けるけど、好きな奴の場合は、当初から苛めて様子を見ているんだ、と、日名の奴が良く言ってました。あいつ、そういうところ、鋭かったから」
「女のカン、って奴かな」
「かも、しれませんね。で、島村さん、あんたに何言ったんですか?」
「ああ」
気を取り直し、高村は「黒い箱」の件を簡単に説明した。
「で、よく考えてみたら、それと同じものかどうか判らないんだけど、オレが最初に来た月曜日? 先週だけどさ、オレ、教師用の玄関で、黒い箱につまづいてるんだよ」
「つまづいて」
「遅刻したからね。勢いあまって、突進してしまったんだけど、凄く重い箱らしくて、オレが転んで青あざ作っただけで、箱はびくともしなかったんだ」
「その『行き先』、高村さん、読みました?」
「いや、そんな暇無かったよ。だってその日、朝礼があると思って、オレはもう焦りまくりだったし。だけど」
朝礼はあるはずだった。あの日。
「山東君、朝礼がいきなり中止になるってのは、あまり無いことだよな?」
「そうですね。だいたい『重要なこと』があるから、するんです。だからそれが無いってことは」
「あの朝、もっと重要なことがあった、ということ…… だよな。実習生なんか、どうでもいいような」
黒い箱。黒い封筒。
「そう、島村先生、こう言ってたんだ。月曜日に。とうに引っ越していなくてはならないご両親が乗り込んで来ている、って。だから余計に大騒ぎになっている、って」
「とうに引っ越していなくてはならない?」
山東は足を止めた。
「ああ。だって教頭先生までが、ずいぶん焦っていたし」
「……あの鉄面皮が?」
顔をしかめる山東に、嫌いだったのかな、と高村は思う。
「と言うことは」
「うん」
「高村さん、ちょっと俺の部屋、寄って行きませんか? 考えをまとめたいんですが」
「仕事の道具も持ち込んでいいなら」
「当然です」
大きく二人はうなづきあった。
*
「ねえ『R』……ちょうだい」
ベッドの上に身体を伸ばし、女は男に向かって腕を伸ばす。
「今日は、駄目になったよ」
「……また?」
薄暗い照明の中、女は悲しげに男を見つめた。
「ねえ、今度こそ、これで、終わりよね」
「ああそうだ。もう、これで本当に終わりにしたい」
「そうね」
女はふっ、と微笑む。
「ごめんね、あたしなんかと組まされて」
「おい!」
悲しげに笑う女の両肩に、男は手をかける。
「あなたはあたしと違って頭もいいし、このまま『B』を続けていれば……」
もうやめろ、と男は女を抱きしめた。
「そんなこと…… 言うんじゃない」
「どうして? だって、ねえ、もう、ずっと前から判ってたことじゃない。いまさら」
「それでも、だ。俺は聞きたくない」
女はつ、と男を離す。そして真っ直ぐ見据えた。
「ねえ、あたしはあなたが好きよ。大好きよ。あなた知らなかったかもしれないけれど、最初にあたしを止めて、ぎゅっと抱きしめてくれた時から、ずっとあなたのこと、大好きだった」
「……過去形で、言うなよ」
「だけど、どうしようもないことだわ。これで最後だと思ったから…… あたし達、気を抜いてしまったのね。手順も何もかも、大狂い」
「いいや、俺のせいだよ、手順は…… だから、あんな奴が、変に気付きだした」
「気付いているのかしら、本当に」
「おそらくは」
「でも、あのひとなら、あたし、構わない様な、気がする」
「気に入っている、ようだな」
「そうね……」
女は目を伏せる。
「あたしと楽しく話を続けてくれるひとなんて、ここに来てから、誰もいなかったもの」
男は女の普段の様子を思い浮かべる。そう、確かに女はいつも、一人だった。
「あなたはあたしと親しくしてみせることはできなかったし、それに近くにあたしが居ては、あなたもうっとうしいでしょ」
「おい」
「本当に、今度生まれ変われるなら、ひまわりがいいなあ。あんな綺麗で、そう、あのひとのような、ぱっとした明るい、綺麗な、居るだけでその場が明るくなるような、そんな花だし。そうしたら、あたし、ずっと空ばかり見て過ごせるでしょ? 今の季節から、真夏の青い空まで、ずっと」
「だったら俺は太陽になるから」
女の言葉を遮るかの様に、男はそう言った。
「お前がそうなりたいって言うならそれはそれでいい。だったら、俺はひまわりが空に追い続けるって言う太陽がいい」
「何で…… そういうこと、言うの」
「お前は、お前のままで、充分、俺は」
「やめて!」
悲鳴の様な声を上げると、女は耳を塞ぐ様にして、大きく首を横に振った。
「それじゃあ駄目よ。あなたはあなたに似合った、普通の可愛い女の子と、楽しくやって行くべきなのよ。……六年も、あたしの後始末ばかりを、……ずっと、ずっと……」
「言うな、って言ったろ!」
「だけど」
「本当に嫌だったら、お前も放って、俺は屋上からでも飛び降りてた。その位、『仕事』は俺も嫌だった。だけど、お前だから―――」
「……」
「お前だったから……」
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