24.「もし、あの家に人が引っ越してきたら、今そのまま、生活がすぐにできると思いませんか?」

「俺は一応、あいつの携帯に何度も何度も掛けてみました。だけど駄目です。まるで通じない」


 くっ、と山東は唇を噛む。


「日曜日、もう一度ここへ来ました。だけどやっぱり帰っていない、と言います。おばさんはもう大変でした。あいつによく似た綺麗なひとなんですが、そのひとが、俺の前で、化粧も直さず、髪も整えず、赤い目で飛び出して来るんですよ。娘が帰ってきたんじゃないか、って。……で、やってきたのが俺で、力が抜けてしまって」


 何となく、想像ができた。


「で、その日は親父さんも居たので、三人で、少し話したんです。警察や学校に言うべきか、それとも、って」

「それとも?」

「日名の件と―――少々、高村さんの話も気になりましたから」

「オレの?」

「ええ」


 山東はそしてそのまま、門を開けた。


「……い、いいのか?」

「大丈夫です。ほら」


 山東の大きな手には、鍵が握られていた。そのまま彼は、入り口へと向かった。周囲を見渡し、そうっと扉を開け、高村を手招きする。


「親父さんから、合い鍵を預かっていたんです」

「また、何で……」

「日名が『転校』した時のことを、親父さんに話したんです。家族ぐるみの付き合いだから、ここの二人も、日名のご両親がどういうひとであるとか、ある程度のことは知ってるんです。そしてお互い出した結論は、『転校/引っ越しなどする訳がない』」

「わけが、ない」


 高村はその部分を繰り返す。ええ、と山東は周囲を見渡してから、ぱち、と中の灯りを点けた。


「ほらまだ、電気も生きてる。『引っ越し』だったら、電気は止められてもおかしくはないのに」

「引っ越しって……」

「でしょう?」


 目前に広がったのは、「引っ越し」などまるでしていない部屋だった。家具はもちろん、今朝広げていた新聞も、みそ汁をひっくり返したままの朝食も、テーブルにそのまま残っていた。


「確かに今朝、引っ越し業者が来た、と隣の人は言っています。だけど、トラックを見ただけで、運び出す様子まではいちいち見ていないそうです。建て売り住宅ですよ? こんな『引っ越し』がありますか?」


 高村は首を横に振った。少なくとも、彼は、知らない。


「『夜逃げ』でも、ちゃんと家財道具の基本は持ち出して行くはずです。だけど」


 彼は慣れた足取りでさくさくと奥へと進んで行く。


「ほら」


 TVの下、ありふれたソフトラックの中に彼は手を入れる。


「これ、何だと思います?」


 山東は二つの巾着袋を取り出した。


「何?」

「大切な、ものですよ」


 さらり、と彼はベージュ色の絨毯の上に、その中身を空ける。


「え」


 銀行の通帳がざらざらと落ちた。印鑑を入れた袋がぽとり、と落ちた。


「幾らどんな引っ越しや夜逃げでも…… これを置いていきますか?」


 まさか、と高村も思う。


「……それじゃ、その親父さん、はそれを、本当にいざという時のために、君に教えて?」

「ええ」


 山東は大きくうなづき、出したものを元の場所に戻した。


「日曜日、どうしてもあいつからの連絡が入らなかったら、月曜日、学校と警察に連絡する、と言っていました。だけど、日名の件があったから」

「何か、あったら」

「ええ、何か、あったら、と」


 二人はその「何か」を具体的には言わなかった。いや、言えなかった。言ってしまうのが、怖い様な気がしたのだ。口にすれば、それがそのまま現実になってしまうような。


「月曜日、そう言えば、確かに遠野のご両親が学校に、来た」

「でしょう?」


 出ましょう、と山東は高村をうながした。長居は無用だ、と。電気を消し、音を立てない様にして、二人は外に出る。


「本当に、何処もかしこも、同じ家なんだなあ」

「ええ、時々気持ち悪い、とあいつも言ってましたがね」

「気持ち悪い?」

「マンションとか、ああいうものの中に住む所があるのならともかく、『家』一つ一つが、こうも同じ形をしているというのが、気持ち悪い、って」

「でも、住み心地は良さそうな家じゃないか」

「そうですよね。でも、住み心地ってのは、皆一緒という訳ではないでしょう?」

「それは」

「ちょっとしたことかも、しれないんですけど」


 山東は鍵をかけると、それをポケットに入れた。そして行きましょう、と再び駅の方へ向かって歩き出す。


「もし、あの家に人が引っ越してきたら、今そのまま、生活がすぐにできると思いませんか?」

「どういう意味だ?」

「俺にも、まだうまく、説明ができないんですけど…… 何か、嫌な感じ、がするんですよ」

「嫌な感じ」

「高村さん、学校の方では何かありませんでしたか?」


 山東は高村の方をじっと見た。


「学校…… 学校ね」


 ああ、と彼は大きくうなづいた。


「島村さんから、変なことを聞いたんだけど」

「島村…… そういえばあの先生も、妙なとこ、ありますね」

「教わったこと、あるのかい?」


 ええ、と山東はうなづいた。


「現代国語なんですがね、あんまり教科書を使わない授業で」

「へえ」


 それは初耳だった。


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