16.「だけど、行動するしかない時だって、あるでしょう!」
「高村先生! まだ居たの!」
鋭い声に、高村ははっと顔を上げた。
「あ、南雲先生……」
「何時だと思ってるの、あなた。司書室からもう帰るから、と連絡が来たのよ……ああ、何だ、こっちであなた、作業していたのね」
図書室の一角。机の上には、資料や指導案の下書きが散らばっていた。
「向こうでやれば、良かったのに」
「たまには気分を変えてみたら、と言われまして……」
「森岡先生ね……」
ち、と南雲は軽く眉を寄せ、舌打ちをした。
「ともかく時計を見てちょうだい。もう職員室の皆も帰って、あなた一人なのよ。ここの教員が残る場合は、鍵を渡せばいいだけのことなんだけど、あなたじゃそういう訳にはいかないのよ」
「わ、わかりました」
「熱心なのもいいけど、時間も少しは気にしてね」
「は、はい……」
矢継ぎ早の言葉に、高村は慌てて机の上を片付けた。
窓の外は既に夕方を通り越して真っ暗だった。
「南雲先生も遅かったのですね」
やや早足で階段を降りながら、高村は問いかけた。
「ええ、少し用事があってね」
「はあ」
高村は曖昧にあいづちを打つ。
彼女の口調には、その用事の内容に関して、決して踏み込ませない強さがあった。きっとこの女性には迷いも何も無いのだろうな。高村はややうらやましく思う。
「……ああ、一階も真っ暗ですね」
「防火扉が閉められてしまうのよ。だから、昇降口の方の常夜灯の光も入って来ない……どうしたの?」
廊下の真ん中で、高村は立ち止まっている。出入り用の小扉に手を掛けながら、南雲は問いかけた。
「……何か、音が、するんですが……」
「音?」
「向こうの突き当たり、って何でしたっけ」
「調理室だけど? ……そんな訳はないでしょう?」
「すみません、見て来ていいですか?」
「ちょっと、高村先生!」
ぱたぱたと、音を立てながら彼は、廊下の突き当たりまで駆け出した。確かにこの方向から、がらん、と物が落ちる音がしたのだ。
調理室だ、と言われれば納得する。あれは彼の記憶にあるものの中では、ボウルや小鍋を落とした時の音に近い。
扉に手を掛ける。がらり、と戸車の動く感触があった。
「開くの? 鍵は閉めたはずよ?」
南雲の声もやや上ずっていた。
「でも、ほら……」
彼は奥の扉も開けた。あ、と彼は声を立てた。窓に飛びつこうとしている二人組がそこには居た。
「おいそこの二人!」
彼は思い切り声を上げた。常夜灯の逆光に、一人は男、一人は女に見えた。どちらも長身だ。窓を開けて、そこから出ようとしていた。
「おい!」
男の方が先に出て、女を受け止めようとしている様である。高村は迷わず、女の方へと走った。やや長いスカートをうるさそうにまくりあげ、女は窓に足を掛けた……その時。
「きゃ」
ずる、と女はバランスを崩して、床に引きずり落とされた。高村が窓に掛けた足首を掴んだのだ。
「高村先生!」
「南雲先生、……女性のようなので」
「わかったわ」
南雲は高村が押さえ込んでいる手を受け継いだ。女はばたばたともがき続ける。
「やめて!」
はっ、とその声に、高村はこう呼んでいた。
「遠野さん?」
*
「……だからって、ねえ……」
はあ、と大きく南雲はこめかみに指を当て、ため息をついた。
「もう少し、何か方法があるでしょう? あなた方ともあろう者が!」
ああ声が大きい、と高村はふと思う。周囲の目が全て、このテーブルの四人に集中しているかの様だった。
四人。そう四人だった。
あの後、窓の外に出た男が、女――― 遠野のために、もう一度、窓から律儀に入り直して来たのだ。
「真っ暗な学校の中で口論しても仕方が無いわ」
南雲はそう言って、高村とともにこの二人を、最寄りのコーヒーショップへと連れて来たのだ。
この時間のコーヒーショップは賑わっていた。
会社帰りに小腹が空いた者、学校帰りの大学生、そんな人々であふれている。空いているテーブルを見つけるのが難しいくらいだった。
話し声もうるさい。音楽もひっきりなしに鳴り響いている。なのに、この二人と南雲の声は、その中ですら、実によく響くのだ。自分を加えれば、四つ巴の大声合戦になるのが見えていたので、高村はできるだけ発言を控えていた。
「山東君…… あなたまでが」
「だけど、行動するしかない時だって、あるでしょう!」
山東と呼ばれた彼もまた、声が大きく、響く人物だった。
身体も、顔のパーツも全体的に大きく、濃い。肌はよく焼け、髪は短かかった。
体育系の大学生と聞いていたが、確かにうなづけた。これが、森岡が言っていた「伝説の生徒会長」。
「だいたい、何で今更、あなたがが中等のことに足を突っ込むの? あなたはもう、大学の勉強が本分でしょうに」
「お言葉ですが、南雲先生」
山東はテーブルに両手をつくと、ぐいっ、と身を乗り出す。言葉こそ丁寧だったが、その口調には相手とは既に教師と生徒ではない、対等の人間に切り込もうとする時の迫力があった。
「日名は俺達の共通の友人でした。だからその行方を知りたい、と思うのは当然ではないですか。大学だろうが、中等だろうが、それは関係は無いはずです」
「そうです」
遠野もまた、強く言い放つ。
「もともと、学校側が、あの子の行き場所を最初からはっきりさせてくだされば、私達だって、こんな風に学校にもぐり込んだりはしません!」
どん、と遠野は右手でテーブルを叩く。一瞬、トレイに乗ったコーヒーが揺れた。
「だけどこっちも、日名さんについては、唐突に学校を辞めた、という連絡しか入っていないのよ。学校側もそうしたら、後は書類上の手続きをすることしかできないの。それは、どうしようもないことだわ」
「じゃあ、一体、何処に聞けばいいって言うんですか?」
遠野はぐっ、と詰め寄る。そして突然声をひそめ、抑揚の無い声でつぶやいた。
「あの子は…… 殺されたんだわ」
え、と高村は目を大きく広げた。
「……馬鹿なことを」
南雲は軽く目を伏せ、首を横に振る。
「馬鹿なこと、じゃないです」
「うん、俺も、その予測もしてみた」
山東もまた、声を低くする。
「……あの、どうして、君等、そう思う訳? それにどうして、調理室に……」
「高村先生」
「だって南雲先生、こちらが説明しない限り、結局この二人は、同じことを繰り返すんじゃないですか?」
ううん、と南雲は唇を歪め、腕を前で組んだ。
「どうして? 二人とも。遠野さん、それが判れば、ボイコットも止めるの?」
「それは、結果次第です」
遠野はきっぱりと言う。
「このままこんなことを続けていると、遠野さん、あなたの心証はどんどん悪くなるわよ。おそらくあなたが第一に希望している、演劇に力を入れている大学への推薦はまず確実に取り消されると思うわ」
高村はぎょっとして南雲の方を見た。そんなことをさらりとこんな所で言ってしまっていいのか。
だが受ける遠野の方もまた、堂々としていた。
「ええ構いません。私にとって、あの子が最初の観客でした。あの子が居ないのだったら、舞台で演じる意味など、半分以上無くなりますから」
そう、と南雲はふん、と鼻で息をつく。
「判ったわ。ともかく、あなた達に何があったのか、そしてこれからどうしたいのか、言ってみてちょうだいな」
「……ゴールデンウイークの最後の日のことです」
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