15.「君は、教師になる気があるんですか?」

「……ああ、言い過ぎましたね。でも高村先生、人を見た目で判断しないで下さいね。俺のしたいことと、できることが違う、というだけですから」


 判った、と高村は言った。付け足しくさい、とは思ったが、垣内の口調に、それ以上は言わせないぞ、という何やら強い覚悟が感じられたのだ。こうなるともう切り返せないのが、彼の弱いところだった。

 ただそうなると、もう会話は続かない。森岡は黙ってTVを見続けている。

 そんな空気を察したのか、垣内はつぶやいた。


「……南雲先生、遅いですね。やっぱり俺、化学室の方へ行ってきます」

「ああ、そうした方がいいですよ」


 ひらひら、と森岡は手を振った。では、と見事な会釈をし、垣内は部屋を出て行った。

 出て行ったのを確認するように、森岡はひょいと顔を上げた。机の上には、小さな百合の花がいつの間にか幾つか並んでいる。


「……ふうん。彼、君には喋るんですねえ」

「え?」

「垣内君は南雲さんにべったりですから、私は彼の夢やら何やら、聞いたことは無いんですよね。それに彼が怒った所を見たのは初めてです」

「初めて…… ですか?」


 はい、と森岡はにっこりと笑った。


「彼自身は面白い子だ、と思うんですがね」


 はあ、と高村はうなづく。その拍子に、彼の視界に百合の花が入った。

 花と言えば。


「でも…… 森岡先生、今の子、って皆、ああなんですか?」

「皆、ああ、とは?」

「いや、今日、別の子からも、『将来別に何もなる気ない』っていう意味のこと言われて、『生まれ変わるならひまわり』とか……」


 ずず、と森岡は茶をすすった。ああ冷めたな、と彼は立ち上がった。別に聞いていない訳ではないのだろう、と高村は続けた。


「別に皆が皆、そうじゃないと思うんですが、オレが今日聞いたその子と、今の垣内君と、全然違うのに、……何か何処か、同じ様な答え、するから」

「君が屋上で、話していた子、ですか?」


 高村は黙ってうなづいた。


「全部が全部、ではないでしょう。例えば、今少々問題起こしている遠野さん」

「ああ……」

「彼女は卒業後、ちゃんと演劇の勉強ができるところを本気で探しています。劇団なり、大学の演劇学科なり、とにかくそういう主体性がある者も、ちゃんとそれなりに居ます。ただ全部ではない、というのも、確かですね」


 そういうものなのか、と高村は黙って二度、首を縦に振った。


「そういう君は、どうなんですか? 高村君」


 え、と彼は顔を上げた。


「君は、教師になる気があるんですか?」


 それはあまり、ここでは聞かれたくない質問だった。しかしそこでごまかせるほど、彼は器用な人間でもなかった。


「……判りません」

「では何か、別の夢でも?」


 それだけでは満足できない、といった表情が、森岡の上にはあった。


「そういう訳ではないんです。今結構、こうやって指導案とか苦労しているけど……」


 未だに半分も埋まっていない用紙を持ち上げ、彼は言う。


「これはこれで好きなんです。オレにはたぶん合ってます。人前で喋るのも嫌いじゃないです。ちゃんと理解してくれるのを見るのは楽しいです…… ただ」

「ただ?」


 とどめの様に、森岡は問いつめる。


「何か、一つ、オレの背を押すものが無いんです」

「背を押す?」

「どうしても、これじゃなくちゃいけない、ってものが」


 ふと森岡は、表情を和らげた。


「……高村君、まずそういうものは、そうそう現実には無いと思った方がいいですよ。そう、誰かが背を押してくれる、というのは期待しない方がいいですね。結局は選ぶのは君ですよ」


 確かにそれは正しい、と彼も思う。おそらく、答えは既に出ているのだ。


「まあでも、選んでみたらそれが必要だった、ということもあるでしょうが」

「はあ」


 結局、その時が来ないと判らないのかもしれない。高村は黙ってシャープペンシルを動かし始めた。

 部屋の中には再びTVの音だけが広がる。

 と、がらり、と扉が開く音がそこに加わった。


「……高村先生、ようやく処理、終わったわ。あなたの方はどうなの? 進行状況は!」


 疲れの反動なのか、威勢の良い声でまくし立てながら、南雲は彼の指導案をのぞき込んだ。


「まだこれだけ! 何をやっていたの、あなた?」

「まあまあ南雲さん。彼は彼で、自分の将来について、悩んでいるのですよ」


 ふふふ、と森岡は声だけで笑った。


「将来?」

「自分は本当に教師に向いているのか、とかね」


 やや違うぞ、と高村は顔を上げ、口を開きかけた。だが森岡の目線が、ちら、と向いた時、自分の言葉が止まるのを感じた。

 南雲はそれを聞くと、両手を広げ、首を大きく横に振る。


「……それは考えても仕方ないことじゃないですか。教師になれるコースに居るなら、それで万々歳ですよ。何を迷うことがあるの? 高村先生」

「それは……」


 迷いの無い、その口調に高村は圧倒される。


「このコースに居る、そのこと自体で、あなたは既に『向いている』と国から保証されているようなものじゃないの」

「それは、そうですが……」


 確かにそうなのだが。

 教育系大学に進学できた、という時点で、既に「適性」は保証されているのだが。


「だったら四の五の言わず、今は自分の作業を進めてちょうだいな。また明日も同じ実験よ。同じ失敗を繰り返されては、たまったものではないわ。今日の失敗を生かせないようだったら、意味が無いのよ」

「どうもすみません」

「謝らないで。謝りたくないのだったら、自分のすべきことを完璧にやってちょうだい。私の言いたいのは、それだけよ」


 判りました、と高村は深く頭を下げた。確かにそこまで言われると、彼も悔しかったのだ。


「ああ…… ところで、垣内君を見かけましたか?」


 再び小さな百合を作りながら、ついでのように、森岡は問いかけた。一体幾つ作るつもりだろう? ふと高村は思った。


「垣内君ですか? いえ? 何か?」

「いや、さっき廊下で見た様な気がしたので」


「また何かあったのかしら……全く、今年の連中は」


 南雲は首をひねる。あれ、と高村は思った。確か彼は。

 しかし森岡は何事も無かったかのように、平気で紙を折るばかりだった。

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