17.「『見ぃつけた』、って」
あああの日か、と高村はふと、自分にとっても服の調達に忙しかった日のことを思い出す。
「私達は、もうあの期間を思う存分遊び倒しましたから、その日はそれぞれゆっくりしようと思って、会う約束はしていなかったんです。ところが、夜中に急に端末に電話が入ってきて―――」
そこで遠野の言葉が詰まった。
「入っては、来たんです。ナンバーが彼女のものでした。だけど、会話でも、メールでもなく、外の音だけが入ってくる、って感じで。変だな、と思いながら、私、しばらく聞いていました。……すると、何か変な声が入ったんです」
「変な声?」
「『見ぃつけた』、って」
かくれんぼか? と高村はふと考える。
「それからあの子の…… かどうかは判らないんですが、ひいっ、って悲鳴の様な声と、がたん、と何か落ちる様な音がして……どうしたのか、と耳をぐっと当ててみたんですけど、音がして」
「切れてしまった?」
南雲が問いかける。遠野はカップを両手で包む様にすると、大きくうなづく。
「たぶん。だからもう後は、聞こえなくなってしまって……」
「でも、それだけでも十分怪しいじゃないですか」
山東は拳を握りしめ、震わせる。
「どう考えても、怪しいじゃないですか。それでいて、いきなり翌日居なくなった、なんて。しかも火曜日、こいつから俺、呼び出されて聞くと、あいつの家、引っ越したとか言われたらしくて」
「だから、急な……」
「だけど、あのうちはもうご両親とも定年退職して、悠々自適の生活を送られてたんですよ?」
南雲の言い訳めいた口調に、即座に遠野は切り返した。
「私達三人とも、お互いの家によく行き来してました。だから多少は家庭の事情も知ってます。あの子よく言ってました。上のお兄さんもお姉さんも、皆もう独立してしまってるから、今住んでるあの家は、いつか自分がもらうのよ、って。そこからわざわざ引っ越すなんて、おかしいじゃないですか」
「……え、だって、日名さん…… って五年生だろ?」
高村は思わず計算してみる。
「あの子、末っ子なんです。しかも、上のきょうだいとは少し歳の離れた。それでご両親も彼女をずいぶんと可愛がっていたんです…… だから、ちょっとわがままな所も多かったけど、だけどそこが私達には可愛くて…… ねえ!」
「ああ」
山東も大きくうなづく。
「俺も遠野も、日名が本当に本当に大好きだったんだ。日名も日名で、俺も遠野も同じ様に大好きだ、と言ってた」
それはまた不思議な関係である。
はあ、と興奮した気持ちを治めようと、遠野は自分の分のコーヒーに手を伸ばした。ブレンドにミルクだけで、砂糖は入れない。山東はブラックのままだった。
何となく、ここに日名という女生徒が居たら、彼女はミルクも砂糖もたっぷり入れる様に高村には思えた。
「……それで、もしかして、校内の何処かに彼女の端末が落ちていないか、と思ったの?」
南雲は問いかける。遠野は黙ってうなづいた。
「私もこいつも、学校の中のことは、熟知しています。特にこいつは、隅から隅まで把握してました。だから、私、あの時のことを、自分の覚えている限り、こいつに話したんです」
そう言いながら、遠野は隣に座る山東の肩をぽん、と叩く。
「それで? それが調理室だった、ということか?」
「調理室…… とも限らないんですが、普通教室ではない、と思ったんです。『見つけた』と夜の教室で言える場所。月明かりや常夜灯でも、普通教室はあまりに机と椅子ばかりですっきりしていて、隠れる所など何も無い。としたら、特別教室のどれか、と思ったんです」
「そこでまず、という訳?」
「ええ、一階ですから」
なるほど、と南雲は軽く目を伏せ、低い声でつぶやいた。
「……ともかく、今日のことは、学校側には何も言わないから、今後、この様なことは二度としないでちょうだい」
「南雲先生」
珍しい、と高村はふと思った。このひとがこういうことで見逃す、ということが何となく彼には不思議に思えた。
南雲は続けた。
「とにかく遠野さん、あなたのここ数日の行動は本当に目に余っているのよ。ただでさえ、あなた達三人は、学校で目立っていたのよ。他の生徒に、良くも悪くも影響を与えてしまうの」
「それは」
「無論、そのくらいの個性も能力もある人物を育成できた、ということは、我々教師としても嬉しい限りだわ。でも、影響が強い、というのは、プラスにもマイナスにもなりうるの。実際、今年になってからの日名さんは、それがマイナスに傾いていたし、月曜日からの遠野さん、あなたもかなり、そうやって周囲を巻き込んでいたのよ」
「だけど、それは巻き込まれる方も」
「自分にそれだけの影響力がある、ということを自覚しないのは、あなたの問題だわ」
ずばり、と南雲は言い放つ。
「それは時に置いては、影響を与えられるばかりの一般生徒より、時にはたちが悪い、と私達教師の側としては、見てしまうこともあるのよ」
遠野は黙って首を横に振る。
「南雲先生の言われることは、私には理解できません」
「あなたは頭のいい生徒でしょう?」
「頭の問題じゃない。気持ちの問題だ!」
今度は山東が、大きく両手の拳をテーブルに叩き付けた。
あ、という高村の視線とともに、コーヒーカップがゆっくりと床に落下して行った。かしゃん、と幾つかの音が響き、周囲のざわめきが一瞬止まる。
お客様、と店員が慌てて飛んで来た。ふう、と南雲はため息をつく。
「……そろそろ引き上げ時ね。ここの支払いは私がしておくわ。遠野さんは私が自宅まで送るから。山東君、君も彼女にあまり悪い影響を与えないでちょうだい」
「俺は……!」
「あなたは、優秀な生徒会長だったじゃないの」
山東はぐっ、と言葉と歯を噛みしめた。
行くわよ、と南雲は遠野の手を引き、さっさと店の支払いを済ませ、出て行った。
それを見送ると、山東はすぐに腰をかがめ、自分が落としてしまったカップの破片を、迷わずつまみ上げ、拾っていた。
「お客様、それは我々が……」
「誰がやったって、こういうことは早く済ませた方がいいだろ? それに俺のせいだし。俺これ拾ってしまうから、あなた床を早く拭いてしまった方がいいよ」
ウェイトレスもバイトらしく、その口調に、はい、と従ってしまった。
高村も破片を拾おうとかがむ。
「高村…… 先生だっけ、あんた」
ちら、と山東は高村の顔を見る。
「あー…… 実習生だけどね。だからまだ、大学の三年だな」
「じゃあ先輩ってとこか。いいですよ、高村さんあんたは。俺のしでかしたことだし」
「いや、今、君も言っただろ、誰がやったって、って」
「そう言えば、そうですね」
ははは、と山東は笑った。明るい笑い。迷いの無い行動。歳は二つ下だが、明らかに自分より器が大きい男だ、と高村は思った。確かに「伝説の生徒会長」にはふさわしい気がした。
「よし、この位でいいかな」
一カ所に破片を集めると、後はよろしく、とテーブルと椅子の位置をある程度直し、行きましょう、と山東は言った。
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