13.「生まれ変われるならひまわりがいいなあ」
「今日は何か、元気ないですね」
並んで足を投げ出す高村に、村雨は声を掛けた。
「元気無い? そう君には見える?」
ええ、と彼女はうなづいた。
昼休み。彼はまた、屋上の階段裏に居た。
「今日もいい天気で、風も気持ち良くて…… とーっても、いい気持ちなのに」
「まあ、いろいろあってね」
「先生でも悩むことが、あるんですか?」
「そりゃあオレも人間だからね。色々あるさ」
「私にも色々ありますよ」
そうだね、と高村は笑った。
「でも三年前の悩みと、今の悩みとは違うよ。あの頃、もっと大人になれば楽になるのかなあ、と思ったのに、未だにオレはこんな奴だしね」
そう言いながら、彼はがさがさ、と出がけにコンビニで買ってきた弁当と飲み物を取り出す。村雨はその様子をのぞき込む。
「今日は購買のパンじゃないんですね」
「うん、時間がもったいないな、と思ってね」
「あ、それは私と同じですね」
村雨は卵焼きを口にしながら、軽く笑った。君が? と高村は思わず村雨に向かって目をむく。彼女は首をかしげた。
「そんなに私がそうだと、おかしいですか?」
「……いや、そんなことはないけど」
ならどうして、あんなに作業のもたつきやパニックを起こしてしまうのだろう、と彼は思う。本人は気にしているのだろうから、あえて彼は口にはしなかったが。
「ただオレが君くらいの時には、そういうこと、考える暇も無かったなと思って……」
「時間は大切ですよ」
彼女は短く、しかしきっぱりと言った。
「私、自分がもっと、他の皆の様に、てきぱき物事ができる人間だったらなあ、と思うこと、すごくよくありますもの」
「だけどそれはそれで、君の個性だろ? いいんじゃない?」
「そうかも、しれませんね」
曖昧に彼女は笑った。
「そうだよ、そう。オレなんか、これと言って、強烈な個性なんてないし。中途半端なんだ」
「だけど先生には、先生になる、っていう未来があるじゃないですか」
「難関だよ」
「でも先生って職業は、昔と違って、色々あるじゃないですか? ほら、アルバイト教師とかパート教師とか。専属教師でなくても、本当にその職をやりたければ、色々道があるじゃないですか」
へえ、と高村は本気で感心する。自分など、大学に入ってから、そういった現在の状況を知ったのだ。先輩達には「お前知らずに入ったのか!」と怒鳴られたこともしばしである。
この現在の教育改革が続く限り、教員免状を持っていれば、出世や、安定した場所であるかはともかく、食うことに困りはしないだろう、と現在では言われているのだと。
「ひょっとして村雨さん、オレよりずっと、詳しいんじゃない?」
「そんなことないです。でも逆でしょう。先生が知らなかったら、その方がおかしいですよ」
それは彼にとって、耳が痛い話である。
「先生は、先生になりたいんじゃないですか? 違うんですか?」
村雨は不思議と食い下がってくる。
「……うん、確かに食える資格だから、欲しいと思うよ。だけど正直、迷ってるんだ。これでいいのかって」
「他にやりたいことがあるんですか? だったら、そっちを必死でがんばればいいんじゃないですか。どうしてそういうことで、悩むんです? ……私には判らないですけど」
彼女は本気で首をかしげる。
「……色々、あるんだよ」
高村はとりあえずそう答える。本当は理由なんて無い。ただ、自信が無いだけなのだ。
「……大人も、ややこしいんですね」
村雨はつぶやいた。
「大人になる程、ややこしくなるんじゃないかな」
ふうん、と彼女はうなづいた。
「君は?」
「私? 何ですか?」
「村雨さんには、何かやりたい事とかなりたいものとか、そういうものは無いの?」
「……ああ、無いです」
拍子抜けする程のあっけなさで、彼女は答えた。
「無い、って君」
「本当に、無いんです」
そしてふわり、と笑う。
「私はだから、今の時間、こうやって先生と、大好きな屋上の日溜まりでお弁当しているのが楽しいし、大好きな本に囲まれて委員の仕事しているのが楽しいんです」
「委員の仕事、好きなんだろ?」
「もちろん好きです。私、本が何よりも大好きですから」
箸を止め、両手をひざに置くと、彼女は空を見上げる。つられて高村も空を見上げた。
綺麗な空だった。五月特有の、うすぼんやりとした、青空と雲の境界線が曖昧な空だった。
「本の中にはたくさんの世界があって、それを読んでいるうちは、私は私以外のものになれるし、ここ以外の世界に居られるんです」
「……村雨さんは、今の生活が嫌いなの?」
「嫌い? いいえ、私今の生活、好きですよ。私がやっていること、全て、学校の生活全て、私が考えて、私が動いてやってることなら、何でも好きですよ。勉強だって好きです。決して得意じゃないけど。……もっともっと続けられたらって思います。ただ」
ただ? と彼は問い返す。
「それとは別に、本の世界って、ここではない別の世界に、自由に行き来できるでしょう? それが楽しいんです。少なくとも、読んでいる間、私は自由です」
「そうなんだ」
そういう見方もあるんだなあ、と高村は思う。そしてこれはこれで、説得力があるものだった。
村雨は空を見上げたまま、目を閉じた。
「じゃあ君、司書になればいいのに。本に囲まれて居られるじゃないか。君くらいの熱意があれば」
彼女は黙って首を横に振った。
「……駄目なんですよ」
「でも人間には、努力ってのが」
くす、と彼女は笑い、駄目なんですよ、と繰り返した。
「そうですね。努力して何でもなれるなら、私、ひまわりがいいです」
は? と高村は思わず問い返した。ひまわり? いきなり、ひまわりがそこで出るのか?
「だって高村先生、別に人間とか職業とか、って、さっき言ってなかったじゃないですか」
「それは、そうだけど」
それでもいきなり「ひまわり」は無い、と彼は思う。
「生まれ変われるなら、うん、ひまわりがいいなあ」
彼女はうっとりと目をつぶり、笑みさえ浮かべてそう言った。何だろう、と高村はふと、うすら寒いものを感じる。
「ねえ先生、私、今の季節の空も好きなんですけど、真夏の、ものすごく綺麗な強い青の空も、大好きなんです。入道雲がもくもくと出て、それがくっきりはっきり見えるような、そんな強烈な青い空も。それをずっと見上げて、大きな綺麗な花を咲かせて、それでたくさんの種をつけて、また次の年に、たくさんの花を咲かせるって、いいじゃないですか」
「だ、だけど……」
生まれ変われるなら、なんて。
「……先生、ひまわり嫌いですか?」
不思議そうな顔をして、彼女は高村をのぞき込んだ。
「や、好きだよ。花としては……」
だけど、そういうことではなくて。
「だったら良かった。……あ、先生、さっきからお弁当、全然進んでないじゃないですか」
彼女の手の中の弁当は、既に空になっていた。
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