12.「初期能力振り分け検査」前後

 しかし物事は、自分の思う通りには進まないものである。


 水曜日、一・二時限目に森岡の授業の見学があり、三時限目。ようやくできた空き時間に、高村は図書室に足を運んでいた。

 普通教室棟も、理科棟も、騒々しくて、どうにも落ち着かない。

 たった二週間しかないから、できることはやれるだけやろう、ということで、この日の六時限目から、南雲の担当する化学で、授業を担当することになっていた。


「まあ気楽に行きなさいよ」


と先程教室を離れる時、森岡は彼に穏やかに笑いかけた。


「何だかんだ言ったところで、この学校は、理系ではありません。ですからあなた一人が数時間担当したところで、できない所はできないし、できる所はできるんです」

「はあ……」


 高村も大学の方から指定されてから気付いたのだが、彼が派遣されたこの学校は、普通科中等の中でも、文系寄りだったのだ。

 改革で学校制度が変わった2032年以来、「普通科」の学校でも特性を明確にする様になりつつあった。

 高村が今現在居るここは、小学校卒業認定試験、及び日常成績によって、「どちらかと言えば文系科目に適性がある生徒」が入学してくる中等学校なのだ。

 やがてこの「普通科」というものは全く無くなるだろうと言われている。だが今は過渡期であるので、「文系」と「理系」、どちらかに寄った学校という形が取られていた。

 ところで高村は、現在の学校制度についてはそう詳しくはなかった。ここへ来て、森岡がじわりじわりとつぶやく中で、そうだったのか、と改めて気付いた位なのだ。


 だけど、仕方ないよな。


 彼は思う。森岡にとっては「変わった」と言う制度にしたところで、高村にしてみれば、それが普通だったのだ。制度の変わった年に彼は小学校三年だった。改革の中でも重要視された、「初期能力振り分け検査」からはぎりぎり外れていたのだ。

 彼の下の学年からは、その検査が活発に行われるようになり、必要とあれば、クラスや、時には学校も変わることが頻繁に行われる様になった。場合によっては、越境もある。その場合には小学生といえども、寮住まいとなる。


 森岡はこうも言っていた。


「いずれは全ての小学生をも全寮制にするつもりですね…… きっと、文科省は」


 そういう話は大学でも聞いたことがある。高村はその時思ったものだ。そんなことが可能なのだろうか? と。

 だがその疑問は、なるべく自分の中で封じ込めておこう、と彼は決めていた。同じ大学の先輩達も、かつて忠告してくれたことがあるのだ。


「いいか高村。お前はどっか抜けてるから、四の五の考えずに、これだけ覚えとけ」


 はあ、とその時彼はうなづいた。


「とにかく上の指令をちゃんと聞け。そして聞き間違えない様に注意しろ。制度の内容とか意義に関しては、深く考えない様にしろ。それだけだ」


 何となく先輩達から馬鹿にされている様な気もするし、実際、それでいいのだろうか、と高村も思わない訳ではない。

 だが、思っていると、この早い時流の中、立ち止まってしまう。周囲から遅れてしまう。それはまずい。

 とにかく、やれることをやるしかないのだ。

 半ばあきらめの心境で、彼はこの実習に取り組んでいた。そして目の前には、実習授業があった。

 がらり、と図書室の扉を開ける。

 この時間は誰も居ないはずだった。開けられた窓から体育実技の笛の音やかけ声が聞こえる以外は、静かな空間だった。

 カウンター奥では、あの司書が、端末を叩いている。

 だが閲覧席は無人ではなかった。


「……あれ」


 遠野みづきがそこには居た。

 ショートカットの長身の少女。改造制服の大きなスリーブ。間違いない。彼女は斜めの光の中、頬杖をつきながら、大判の写真系の雑誌を、ぱらぱらと物憂げに眺めている。


「……君、今授業中……」

「あ、さっきの」


 さっ、と遠野は彼の白衣と、手の中の書類に目を通す。


「……ああ、確か化学で、実習の先生がいらしてたと。今朝方はどうもすみませんでした」

「いや、こっちもあの時は、通り道を」


 立ち上がり、彼女はさっと礼をする。演劇部だからだろうか。身のこなしが綺麗だった。

 高村は何となく、彼女の向かいに座った。


「毎年でしたら、ちゃんと朝礼で紹介があるのですが、今年は無かったものですから、私のクラスなど、先生をまだ見たことが無いって子も多いんですよ」


 言葉使いも丁寧だ。何だ、いい子じゃないか、と高村は思った。

 背が高く、胸はそう大きくは無く、肩幅が広いわりにはすっきりとしている。ショートカットの下の顔の目鼻立ちは、くっきりとし、媚びが無い。確かに女生徒が遠野「サマ」と呼ぶのも判る様な気がする。


「先生、私達とそう歳変わらないですよね」

「……ああ、三つくらいしか違わないだろ」

「先生が中等の時にも、そんなことありましたか?」

「そんなこと?」

「実習に来た先生が、朝礼で紹介されないようなこと」


 首をかしげ、高村は自分の当時を思い返してみる。春先に実習生が来た場合……


「……そう言えば、うん、そうだ。必ず何らかの形で全体に紹介はされていたな。朝礼とは限らなかったけど」

「……そうか、変だ……」


 彼女はつぶやく。しかしそれは、高村に向けたものではない様だった。


「もう一つ、なんですが」

「何?」

「先生は、周囲で、友達が急に連絡も無く消えてしまう、なんてことありましたか?」

「それは君、日名さんの、こと?」

「ご存じでした? そんなに有名になっているんですね?」

「……まあ一応」


 そうですか、と遠野は苦笑した。そしてどうですか、あったんですか、と彼女は繰り返し問いかける。高村はまたも考える。思い出す。


「あったような、気もする」

「いい加減なんですね」

「いや、違うよ。だってさ、例えば、隣の隣のクラスの、名前だけ知ってる様な奴がいきなり転校した、……くらいのこと、君、覚えてる?」

「……」

「だから正直、今オレも、君に言われるまで、思いだしもしなかったし。それに普通、人には事情があると言われれば、大半はそれで済ませてしまうだろ」

「……確かに、そういうひとだったら、そうでしょうね」


 だけど、と遠野は両の拳を握りしめ、雑誌の上に大きく振り下ろした。だん、と机が大きく音を立て、振動する。


「……あの子が、あの子が私に黙って行く訳が無いんですよ!」


 浪々と響くその声は、図書室中に広がった。

 どうしたんですか、と司書室の扉が開く。司書の女性がカウンターの中から腕を組み、苦い顔をしていた。


「遠野さん…… またあなた?」

「申し訳ございません」


 遠野は丁寧な、しかし冷たい口調で切り返す。もっとも、それは司書の女性も同様だった。


「滅多にここに来ないあなたでも、ここのところ、ここで時間を潰すしかないのは判るわ。でもせめて、静かにしていてくれないかしら?」

「判りました。すみません」


 遠野はあっさりと頭を下げる。腰を下ろそうとした時、ポケットから軽い音が響いた。携帯だ。彼女は机の下でメールを読んでいる様だった。


「……高村先生、図書室で何か用事があったのでしょう?」

「あ? ああ」

「どうもお騒がせしました。私、用事ができたので、帰ります」


 遠野はがた、と椅子を引いて立ち上がった。


「では、失礼します」


 扉が開く音がした。


「本当に帰ってしまうのかい?」

「だって」


 遠野は苦笑する。


「授業の邪魔するよりは、帰れ、と皆言いますよ」

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