第14話 青年にて 

 イービラスにある、ヒト族が治める国ライズ・ウォーランド国と異族の者が治める国ヨナ国との国境近くにある村に、シャロという青年が暮していた。

 生まれてから17年がたち、身長はヒト族の中では平均的で中性的な顔立ち、細見で特に特徴の見当たらない青年だった。

 シャロの職業は食物を育てる農民である。昨年、唯一肉親だった母親を亡くし、天涯孤独の身となっていた。

 仕事に対しては真面目にこなしており、一人生きていくのにギリギリではあるが、自立した生活を送っている。

 いつものように畑から自宅に向かう足取りを村民が遠目に眺めながら、シャロに聞こえないように話をする。

 

 「…あの子も難儀だとは思うがなぁ。」


 ヒト族の中では珍しい猿のような毛をはやした腕を持つ者が小さくつぶやく。一緒に世間話をしていた、鳥の翼の生えてた者がシャロの方に顔を向けて、苦い顔をする。


 「シャロか…、確かに唯一の家族を近頃亡くして辛いというのが普通だけどなぁ。」


 翼の生えた者の口ぶりに違和感を感じて、猿の腕を持つ者が聞く。

 

 「なんか、意味あり気な言い方だな。」


 「お前知らないんだな。シャロとシャロの母親は仲が悪かったみたいだぞ。」


 「そうなのか?」


 「ああ、シャロの母親は病気で床に臥せてからは、わがまま言いたい放題だったみたいでな。シャロも自分の母親だから無下にもできないし、いろいろと愚痴を取引先にこぼしていたみたいだな。」


 「そうなのか…。ちょっと心配だなぁ…っと、そういえばこれは知ってるか?最近勇者一行がこの辺の秘境に行く予定らしいぞ。」


 そんな会話がされていたとは露知らずシャロは自宅へと入っていく。

 小さな家だが一人で暮らしていくには少し広い部屋だった。母親と暮らしていたときは狭い思いをしていたが、今となっては寂しさがこみあげてくる。


 シャロは、ふぅと一息つき、目を閉じる。

 シャロのいつもの日課だ。


 (母さん…)


 シャロが目を閉じて鮮明に思い出そうとするのは、母親と自分の記憶。病気で床に臥せた母の世話は確かに大変なことだったが、シャロにとっては全く苦にならなかった。むしろ、これは自分にしかできない役目だと誇りさえ感じていた。

 シャロは子供のころに母親に優しく抱きしめられた記憶や叱られた後の優しい食事の記憶、泣いているときに母が『母はずっとあなたの味方』だと言ってもらった記憶を思い出す。

 村民が考えているシャロが母親に抱いているであろう感情と、実際にシャロが母親に抱いている感情は全く逆の感情であった。

 シャロはこの母親との愛に満ちた記憶を自分の生きがいとしている。この日課がなければ自分は生きてはいけないほどである。


 では、なぜ母親の愚痴を取引先の者にこぼし、村民から『言いたい放題の母親の世話をしている青年』『母親と仲が悪かった』という評価をされているのか。

 シャロはこの記憶を他人に知られたくないことと、他人から『君の母親はとても愛情深い素晴らしいヒトだった。』ということを言われたくなかったのだ。

 それは、シャロと母親の記憶は、文字通りシャロと母親だけの物にしたかったのだ。

 毎日の仕事、将来への不安や母がいない寂しさをこの記憶に縋ることで何とか生きてこれたのだった。


 シャロは記憶探索から戻り一人夜を過ごす。これからも寂しくはあるが何とか生活していけるだろう。というどこにも根拠のない若干の安心感を持って就寝する。


 次の日、シャロがいつもの様に農作業から村に戻る途中で、村の一番大きな入り口にヒトだかりができていることに気が付く。

 人数は4、50人ほどで、村民のほぼ全員が集まっているのではないかと思うほどの人数だった。

 彼らを遠目に自宅に帰ろうとするシャロにヒトだかりから声がかかる。


 「おーい!シャロー!こっち来なよ。勇者様が村に来てくださったぞ!」


 シャロが振り向くと、ヒトだかりの中心に綺麗な装飾の鎧を纏った者たちが居る。それらの外側から、猿の腕を持つ男が両手をぶんぶん振って手招きをしている。勇者一行がこちらを見ているのがわかる。猿の腕を持つ男を翼の生えた男が隣で何かを語り掛けている。おそらく、そっとしてやれ、とでも言っているのだろうか。


 シャロにとっては日常を守って生きていくだけで必死だ。勇者一行に対して一目見たい、話したいといった感情を抱く余裕は持ち合わせていなかった。シャロはヒトだかりに一礼してそそくさと帰路を進んで自宅に入っていく。


 荷物を片付けて、ふぅと息をついて目を閉じる。いつもの母との記憶を思い出す時間だ。いつもの様に母が優しくしてくれた記憶を思い出そうとする。

 しかし、いつもの様に記憶を掘り起こす作業は、シャロの家の戸を叩く音で遮断されてしまった。

 誰かが、家の戸を叩いている。その音に気が付くのに少し時間がかかった。

 少しその音にイラつきながらシャロは立ち上がり戸を開ける。おそらく、先ほど声をかけてきた猿の腕を持つ男だろう。さっさと追い返して思い出にふける時間にしたいとシャロは思った。


 戸を開けると、そこには猿の腕を持つ男ではなく、先ほどヒトだかりの中心にいたきれいな装飾を身に纏った同年くらいの青年が立っていた。


 「やあ、君と少し話がしたくて。今時間いいかな?」


 と、さわやかに言ってきた。


 「あ、貴方は?」


 「俺?俺は、一応勇者って言われてるんだが、アオイって名前なんだ。よろしく。」


 シャロは目の前にいる青年が異世界から召喚された勇者アオイであることに驚いた。村の中でも、外でも話題に挙がる勇者。世事に疎いシャロだがそれくらいは耳にしていた。


 「…なんで、ぼくの家に?」


 素朴な疑問をアオイにぶつける。すると、アオイはにこりと笑う。見ると、勇者についてきたのか村民たちもシャロの家の周りに集まっていた。


 「シャロはぼくっ娘なんだなー。うちにも居るんだよー」


 「ぼくっ娘?」


 「ああー。いや、こっちの話。さっき、村の人にシャロのことを聞いてね。歳も一緒みたいだし仲良くなれたらってさ。」


 アオイはまた、にこりと笑う。村の人に話を聞いたとあれば、母が亡くなったことも知っているだろう。『仲良くなりたい』というのもおそらく何かの口実だろうか、シャロは何を考えているか全くわからないと不気味に思った。


 「いや、ぼく今日は疲れてて、もう休みたいんです。」


 シャロはそう言ったが、勇者は、んーと少し考える素振りを見せるが一向に帰る様子はない。


 「聞いたんだ。君、前にお母さんが亡くなったんだってね。でも、少し仲が悪かったとか…」


 「…そうですが…なにか?」


 シャロは警戒しながらも勇者の質問に答える。


 「俺ね。転生する前は親から逃げるように家を飛び出してここに来たから、謝れてないんだ。だから、君の気持が少しわかるんだよね。」


 「………」


 気持ちが分かるといった勇者の顔は少し寂しそうな感じだったが、シャロにとっては母との思い出は良いものであったため、見当違いだと思ったが、口には出さなかった。


 「だから、お母さんを悪く言うのは良くないと思うんだ。きっと君のお母さんだって優しいところもあったと思うんだよ。」


 「…っ!」


 シャロは嫌な予感がして少し後ろに下がる。この勇者は自分と母の話を村民がみんな聞いているところで始めるつもりだと感じた。それは、とても嫌だった。とりあえず、この勇者と村民たちを離すために家に招き入れることにした。


 「と、とりあえず入ってください。ここでそんな話…」


 「うん!ありがとう。じゃあ入るね。」


 そう言って、勇者がシャロと母の家に入る。本当は他人を家に入れるのは嫌だったが、あの場所であのまま話をされる方がずっと嫌だった。

 家に入ってくると勇者は続けて口を開いた。


 「それで、どうして君はお母さんのことを悪く言うの?」


 シャロが怪訝な顔をしても懲りずに聞いてくる勇者に呆れ、いつもの様に他人行儀で言っていた母の愚痴を言ってみた。


 「…それは、あの人が好き放題言って来るからですよ。病気で寝たきりのヒトを世話するのにぼくがどれだけ大変だったか知らなかったんです。」


 「でも、それは病気になってからでしょ?それまでは、いいヒトだったみたいだよ?」


 母がいいヒトだったと他人から聞かされることが嫌だったシャロは眉にしわを寄せて勇者の言葉に続けていった。


 「病気になって先が見えるとヒトだって変わりますよ。」


 今まで、いろんなヒトに母の病気を心配されて声をかけられたが、ここまで言うとそれ以上追及してくる者はいなかった。病気になって1年と少しで母は逝ったが、それくらいの時間があればヒトは変わってしまうこともある。そういうことにしてある。

 しかし、勇者は引かなかった。


 「でも、君のお母さんでしょ?本当は感謝してるんじゃないの?」


 「………」


 勇者の言うことは正しかったが、肯定はしなかった。ここで認めてしまったら、母とシャロだけの愛に満ちた記憶が薄らいでしまいそうだったからだ。


 「…なんでそこまで突っ込んでくるんです?」


 シャロはあくまで冷静に、動揺を表に出さないように怪訝な表情を作って勇者に返した。上手に隠せているかはわからないが、ここは取り繕った。


 「…そんなに嫌な顔しなくてもいいんだよ。俺は君を救いたいんだ。このままだと君はずっとお母さんと喧嘩して別れたことになるんだ。そうすると苦しいのは君だ。母親の悪口を言うのは止めてちゃんと思い出すんだよ。」


 と、勇者は必死にシャロに問いかける。勇者の表情から笑顔の余裕がなくなっている。

 どうやら動揺は隠し通せたみたいだ。とシャロは少しホッとする。ホッとして少し余裕ができる。勇者がここまで自分に気をかけるのは何だろうとシャロは考えた。

 先ほど、「親から逃げて家を飛び出した」と言っていたことが本当なら、勇者アオイは自身の親と喧嘩別れしたのだろうか、そういう勇者自身とシャロを重ねているのではないか。自分を見ている様で見ていられなくなったのか。

 勇者自身が親に対して申し訳なさや、寂しさ等の感情があって、謝りたいとかそういう願望があるのか、突然飛び出したことを悔やんでいるのか。

 

 (どちらにしても、余計なお世話で、偽善みたいだ)


 「…ぼくは…あなたとは違いますから。」


 「同じさ!」


 シャロの言葉に勇者は重ねるように言ってきて続けて言葉を連ねる。


 「俺は両親のことが好きだし、たまたまイライラしていたところに嫌なことを言われただけで、ちゃんと感謝も尊敬もしてる!」


 たしかに、親に感謝、尊敬の感情があることは同じだが、シャロはその感情を自分の中心に取っておきたいというところは勇者と異なるところだろう。

 シャロははぁとため息をついて、少し諦めたように口を開いた。


 「わかりました。もう、母親の悪口は言いませんから…」


 「おおー。分かってくれた?そうだよ。自分のお母さんのことは悪く言っちゃだめよ。」


 (自分に言い聞かせてるみたいだ。)


 そう、シャロは思った。実際そうだろうとも確信している。この程度で納得してもらえるなら一応の危機は去ったと考えていいかとも思った。

 

 (まあ、今までの母への愚痴で、もうぼくに母さんのことを言って来るヒトはいないだろう。)


 母との記憶を自分だけの物にする作業はほぼ完成していた。この際いい機会だいい加減自分の母親の愚痴を言うのにも抵抗があったから、今後それが無くなるのであれば勇者がこの村に来たことも意味があったかもしれない。とシャロが考えているところで勇者が口を開く。


 「…そうだ。君のお母さんって病気になる前はどういう人だったか知らないんだ。どういう人だったの?」


 何を言い出すのかと思えば、村のヒトに聞いたんじゃなかったのか?とシャロは思ったが、この勇者に教える義理はないと、シャロは「覚えてませんね」と返す。

 すると勇者が、「そうかー。残念だなー。」と言って少し考える素振りを見せる。早く帰ってほしいとシャロが思っていると、勇者が指をぱちんと鳴らして。そうだ!となにか思いついた様だ。

 シャロは少し、嫌な予感がした。


 「君の中にある母さんの記憶を呼び起こしてあげるよ。それくらいできるんだぜ。」


 嫌な予感が的中した。シャロは明らかに動揺してその申し出を断ろうとする。


 「え、いや、いいですよ。やめてください。」

 

 「大丈夫、他の記憶は見ないからさ。それに、俺、読心の魔術も使えるから君の本当の気持ちも分ったりするよー?君の知らない君の気持ちとかさ。今は使ってないけどねー。それが分かればさ、素直にお母さんのこと好きになれるんじゃないかなー?」


 勇者はそう言って、懐から厚くて白い本を取り出す。読心の魔術。考えたことが分かるということだろうか。

 まずい、とシャロは考える。どんなにひた隠しにしても魔術に抵抗する術がないシャロにとってはすべて丸裸にされる様なものだ。とりあえず、すぐに何も考えないようにしなければならない。


 「……いま、『まずい』って考えた?ん?どうして?」


 シャロは必死に断ったが、勇者はすでに読心の魔術を発動させていた。なにも考えないようにすることは間に合わなかった。


 「……いや…」


 勇者の目つきが鋭くなる。シャロは背中に嫌な汗が滲むのを感じた。


 「何か隠してる?お母さんとの記憶で何かまずいことでもあるの?まあ、いいや、記憶を見てみれば分かるか。考えないようにしても無理だと思うよ。無くそうと思って無くせるものでもないからね。」


 そう言って、勇者は白い本に力を注ぎこむ。シャロは咄嗟に勇者に叫ぶ。


 「いや!やめろって!」


 しかし、シャロの恫喝も無意味に、勇者とシャロの頭上に立体映像のようにシャロの記憶が映し出される。

 そこには、いつもシャロが思い出している母の姿があった。母がシャロに向ける愛に満ちた笑顔がそこに映し出されてしまった。

 映像を見て勇者が口を開く。


 「…これって…、本当はとってもいいお母さんだったんじゃないか。」


 シャロはその場から動けなくなった。勇者の言葉も耳に届いていない。シャロの耳には速く強くなった心臓の鼓動が聞こえている。

 シャロがひた隠しにしてきた、シャロと母だけの記憶、他人の前では感情を殺して母の愚痴を言ってまで隠し通したかった優しい記憶たちが他人に知られてしまった瞬間だった。

 固まっているシャロを横目に勇者が再度口を開く。


 「これが本当のシャロのお母さんなんだね。病気になる前までこんなにシャロの事が大好きだったんじゃないか。」


 シャロの絶望する顔とは裏腹に勇者の顔は希望に満ち溢れた顔をしていた。勇者アオイにとっては、自分自身と似たような境遇のシャロの母が息子を愛し続けていたという事実が分かったことがうれしかったのだろう。勇者自身も救われたような気分なのかもしれない。


 「………」


 シャロは何も言う言葉が浮かばず固まったままだった。息が切れ、気分が悪くなる。嗚咽がこみあげる。吐きそうだ。

 そんなシャロに勇者は追い討ちをかけるように口を開く。


 「そうだ。このことを村の人にも教えてあげようよ!そうすれば、お母さんが悪い人っていうことも覆るよ!」


 そう言って勇者はその映像をどんどん大きくしていく。家の壁や天井から母の姿がすり抜けていく。


 「…い…い…やだ…、やめ…やめて…」


 シャロの小さな懇願は勇者には届かず、小さな家からその立体がはみ出していくのにそんなに時間はかからなかった。





 勇者アオイがシャロの家を訪ねた次の日、村のヒトの中で一生懸命に仕事をして、楽しそうに会話するシャロの姿が見られた。

 昨日の一件から一夜明けると、シャロは驚くほどヒトが変わった様子だった。村のヒトはその姿に多少気を使いながらもシャロを受け入れた。


 その姿を村の入り口に向かいながら勇者アオイがキラキラした目で見つめる。勇者一行は先代勇者の武具を集める旅の途中であったため、早々ではあるが、村を発つところだ。


 勇者アオイに対して、勇者一行の付きヒトである犬の耳を生やした者が声をかける。

 

 「勇者様。そろそろ行きましょう。」


 勇者はああ、と返事をする。が、目線はシャロに向けたままだった。


 「ねぇ、あの子はもう大丈夫だよね?」


 と勇者アオイは付きヒトに問いかける。


 「…あのヒトですか?勇者様がそうおっしゃるなら大丈夫だと思います!」


 と付きヒトは元気にそう答えた。

 勇者アオイは再度、撰白の書を懐から取り出し、読心の魔術を発動させようとするが、ためらって発動を止める。あれだけ元気に楽しそうにしているのだから、改心したのだろうと勇者は考えた。そのまま、踵を返し村民に見送られながら村を後にする。


 その日以降、勇者アオイの計らいでとある村の青年の心が救われたという噂が広まった。早くに母親を亡くした青年は病気で床に臥せる母親に対して本当の気持ちを押し殺してしまっていた。しかし、勇者アオイがその青年の記憶を呼び覚まし、本当の気持ちに気づかせることができたという内容だった。
















 (…また、あの読心の魔術をかけられてたら、また面倒なことになたってたかな。)


 勇者一行が去った後の深夜。シャロは静かにそう考えた。

 仕事が終わって家に帰ってから日課だった、母との記憶を呼び起こすこともしていない。先日の一件の後に心を静めるためにやってみたが、何一つ満足する結果は得られなかった。

 母が亡くなってから毎日続けていたシャロの日課は先日を境にシャロの中から無意味なものに変わってしまった。

 今でも思い出そうとすると思い出せるが、母の愛が他人に知られてしまって以来、シャロの中で母の記憶に縋ろうという気持ちが湧かなくなった。

 あの映像が村のヒトに知られてしまった日から一夜明けた今日は、母を悪く言っていたことを責める者も同情してくる者も居なかった。皆、同じように腫れ物に触れるようにどう接していいか分からず一定の心の距離を置いていた。

 そんな村のヒトの感情と視線を浴びたシャロは無理やりにでも元気であることを演じた。村のヒトには無理していることが分かったのか先日のことを話題に挙げる者はいなかった。唯一猿の腕を持った男は心から嬉しそうに笑っていた。

 畑で仕事をしているときに勇者がシャロのことを見ていたことには気づいてたが、あえて勇者と目を合わせなかった。また、あの読心の魔術をかけられることを恐れたからだ。今度は何を見透かされるか分かったものではなかった。

 

 シャロと母とだけの記憶を生きがいにしていたが、その生きがいは意味を無くした。


 これは、勇者に対する小さな意趣返し。


 シャロは小さな家に天井に縄を結び、椅子の上に立つ。縄を首に巻き付ける。


 勇者はシャロの本当の気持ちを魔術を持って明らかにしたが、その気持ちやあの記憶がシャロにとってどんなものだったかを知らない。それに、シャロの粗末な演技にでも騙されるお人好しだ。そして、偽善者だ。それを正義だとも思っている。

 おそらくこれからもあの勇者は勘違いをしながら旅をし続ける。どこかで気づこうがもう遅い。たとえ勇者がシャロに謝罪に来ようがその時にはシャロはもういない。

 だが、勇者に気が付いてもらいたいわけじゃない。できれば、気が付かずそのままお人好しで勘違いで、偽善者であってもらいたい。どこまでも滑稽な者であってもらいたい。シャロは考えていた。


 (これは、ぼくにできる唯一の意趣返しだ。)




 シャロは目を閉じて椅子を蹴飛ばす。そのまま重力に従って落下する。






 しかし、すぐに来るはずの首の衝撃がない。

 恐る恐る目を開けると、景色は変わっていない。あの小さな家の中で椅子の上にいる目線だ。足元を見ると、椅子は床に転がっているが、足は宙に浮いたままだ。

 

 (…空を飛ぶ神加護でも手にいれたのか?)


 そう思ったが、神加護は神から直接受け取る力。死に際にいきなり力が発動するということはないはずである。

 困惑するシャロの背後からふふっと小さく笑う声が聞こえる。


 「だ、誰!?」


 シャロが驚いて問いかける。


 「すみません。貴方があまりにも動揺しているみたいだったので…」


 言葉が返ってきた。誰かがそこにいる。しかし、ヒトの気配が全くしない。声がしても本当に後ろにいるのか確信が持てないでいた。

 後ろから聞こえてきた声は続けて言葉を発する。


 「貴方の勇者への純粋な恨みの感情を感じ取ったので、少しお話をしようと思ったものでして…あぁ、いきなりだとは思いましたが、貴方が自死されるおつもりだった様なのでその前に赴かなければと。死んでしまってはお話もできませんからねぇ…。貴方の憎しみの感情を思い出すくらいしかできません。貴方の勇者への憎しみ、あぁぁ…美しいですねぇ。」


 後ろからの声は、後半に連れて色がかった声に変わっていた。


 「あぁ、ご安心ください。少しお話させていただいたのちに貴方にかけている浮遊の魔術を解かせていただきます。」


 「ま、魔術…。あんたヒト族か?ぼくに何の用?」


 「貴方方からすれば異族の者です。貴方の憎しみ、勇者への意趣返しのつもりでご自身を傷つけようとするのであれば、あの勇者アオイという者は貴方の行動について本当の意味に気づくかどうかは分かりませんよ?」


 シャロは、声に対してはは、と笑う。


 「…そうだと思う。ぼくの記憶も、気持ちも勇者は…あいつは考えもしないと思う。でもそれでいい。あいつはそのままでいい。ご都合主義のまま偽善を振りまけばいい。」


 勇者をあいつと呼び、己の感情を言葉に乗せるシャロを見た異族の者は、悦のかかった声で語る。


 「あぁ…そうですねぇ。美しい憎しみの感情です。本当にあの者に対して絶望しておられるのですねぇ。母親と美しい愛の記憶を生きがいにしてきた貴方の中に土足で入り込み、あろうことかその記憶を他人にも共有してしまった。それを本人は『良いこと』と認識していると…。元から何も望んではいなかったのに、いきなり訪れていきなり心を崩された。その生きがいを崩された貴方は今は何もない。この世界への未練すらも…という事でしょうか。」


 次々と自分の考えを言い当てる声にシャロは別段驚いてはいなかった。可能性としては考えられる選択肢だ。


 「…そうだね。突然訪れるあたりあなたも勇者と同じだよ。」


 これはこれは、と笑う声が聞こえる。


 「その点についてはお詫び申し上げます。ですが、あの勇者と異なる点で言えば…そうですね。貴方にお願いがあるのですよ。もちろんお礼は差し上げます。といった所でしょうか。」


 生に絶望してしまったシャロにとって、お礼と言われても魅力に感じることはなかった。


 「…特に魅力は感じないよ。」


 「…あの勇者アオイに復讐する力と機会を与えると言ってもですか?」


 「…え?」


 意外な提案だった。ヒト族の者であれば、シャロの行動を止めに入ってくるか、事が終わった後に家のなかを物色して多少の金品を持っていくだろう。しかし、異族の者であれば死後に身体を喰われるか、生かされて恐ろしい契約を結ばれるか、等と考えていたからだ。


 「私はとても大切な仕事があるのですが、そのためにはヒト手が足りません。貴方が協力してくださるのであれば、神加護のような力を与えますよ。」 


 「…ちょっと魅力的だけど、どうせ裏があるんでしょ。」


 うまい話には必ず裏がある。独りで食物の取引をしてきたシャロには信じたくしても信じきれない所があった。

 後ろからの声は、うーん…と少し唸った。


 「…裏…と申しましても、今申し上げた通りです。一つ大切な仕事に協力していただきたいのです。そうですね。裏…と云うことになるかもしれませんが、貴方に力を授けるにあたって、貴方が死んでしまう可能性もあります。貴方の恨みの感情が弱いとそういうこともあるかもしれません。しかし…どうでしょう、貴方の感情ほど強いものであれば問題ないかと…」


 ほら見たことか、どうせそういって力を与えるとか言いつつも命を奪いにきただけじゃないか。と考えたシャロだが、すぐにその考えを修正する。

 では、なぜ自ら命を絶とうとするヒトを魔術を使って止めたのか…、命が狙いならそのまま放っておくはずだと考えに至る。


 「…まぁ、どうせ無くなってた物だ…、勇者に意趣返し出来るかもしれないなら、賭けてみようかな。」


 シャロは、ニィと笑いながら声からの依頼を受ける。


 「あぁ…そうですか。嬉しい限りです。ですが、最後の確認です。こう言っては何ですが、本当によろしいのですか。…死後までは縛りませんが…私は悪魔と呼ばれる者ですよ。」


 今まで、調子良く悦に入った声で話しかけてきた声が、突然冷たく鋭い雰囲気に変わる。

 しかし、シャロは恐れない。


 「いいよ。やろう。ぼくはやるよ。死んでも本望じゃないか。」


 声は、そうですか、と小さく呟く。


 「それでは貴方に私たちの力の一部を与えましょう。…大丈夫とは思いますが…耐えてくださいね。」


 シャロの背後に長身の悪魔が現れる。シャロからは見えないが先程と違い気配が感じ取れていた。

 シャロはふと疑問に思い、背後の悪魔に訪ねる。


 「…そういえばあなた…名前は…?」


 背後の悪魔は答える。


 「…皆からはベリウッドと呼ばれています。」

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