第12話 路地裏にて

 ヒト族の町、「グレイキル」の奴隷解放の事変から約30日後、猫族のミラは町の裏路地に留まっていた。

 主の館に雇われていたころとは打って変わってみすぼらしい服装になっていた。生地が薄くなった左肩からは奴隷の烙印がチラついている。

 勇者一行が町の奴隷制度を撤廃してから、奴隷として雇われていた身寄りのない者たちは解放され、町の至る所で見かけるようになっていた。

 奴隷といっても一種の住み込みで働いているようなもので、ヒトとしての権利として制約はあるもののその日食べて眠れることに関しては困らなかったのが事実だった。

 勇者一行は奴隷制度を撤廃しヒトに奴隷も主人もない皆平等の権利と立場を与えてこの街を去った。

 世渡りがある程度身についている元奴隷たちは早々に新しい仕事と住居を確保し新しい街に溶け込んでいる。これだけ見れば勇者が行った新制度の発足も成果があった。

 しかし、ミラのような奴隷の中でも汚れ仕事を担っていた者や新たな街の制度についていけずに町の裏側で燻っている者も増えたのも事実だった。

 まっとうな仕事に就こうと思っても、時すでに遅しで、どこでも人材が有り余っているというような状況だった。それらのものに仕事を振り分けていたのが、町でも権力のある主や館の主人たちだった訳だが、勇者から『必要最低限のヒト族のみ雇用するように』ときつく言い渡されていた。

 

(この町にいても居場所はない)


 ミラはそう考えて街を出ようと考えたが、異族との緊迫した情勢で国境に近いこの町の外は時折、ヒトが国境を抜けてきた異族の餌食となっていると噂が絶えなかった。

 今となってはこの町を単独で出ようとする者は居ない。


 ミラの神加護≪糸操の縁≫があればあるいは、別の町にたどり着くことも可能かもしれないが、この町に留まることと、異族と戦闘になるリスクを考えて、後者を選択した。


 かれこれ30日以上も路地裏で過ごしているとどうにも人相の悪い連中の目にとまるようで何度も襲われかけた。その度に糸の力で退けていき悪ヒトが差し出してきた金品などを売ってその日暮らしを続けていた。

 

 今日も路地裏で一人、大通りからの喧騒に顔を歪めたミラだった。

 そんな時に、一人の男がミラに声をかける。


「お前が噂に聞く、路地裏の蜘蛛か・・・」


 見ると男もミラに似つつみすぼらしい恰好をしている。ミラと違うのは腰に下げた刀がキラリと光っていること。一目見てわかる、『裏のジュウニンだ』と。


「噂になってるぜ。お前みたいな背格好の若いヤツが、この町の裏で弱いものいじめとはな。」


「・・・・・・・」


 ミラは答えず、不可視の糸を周囲の小石や瓶の欠片に取り付かせる。いつでも男の死角から攻撃を繰り出せるようにするためだ。


「しかしまあ、確かに若いな。俺なんかより全然よ。こんなガキが『蜘蛛』なんで忌み名を付けられるってのも難儀なもんだ。」


「・・・ガキじゃない」


「?」


 ミラは男の挑発に言葉で乗り返す。攻撃の準備が整った。


「・・・名前、ミラ。」


「はーん?女みてぇな名前だな。」


 男はどうやらミラを少女ではなく少年と勘違いしているようだった。無理もない。まだ体格的に膨らんでくるところは膨らんでいないし、顔は手入れを怠っているぼさぼさの髪が半分以上隠している。


「まあいいか。俺はアオイって勇者を追ってる。この町に来たって話じゃんか。お前知ってるか?」


「知らない。」


 用がそれだけならとっとと消えてくれと言わんばかりに片腕の甲をひらひらと男に振って見せた。


「なんだよ知らねぇのか。会いてぇんだよな。俺は強いって言われてるやつを倒して腕試しがしたいんだ。だから、お前の話も聞いて飛んできたってわけだぜ」


 男が言い終わると途端に、殺気をミラに飛ばして見せる。脅しだ。しかし、ミラは他人からの殺気にヒト一倍に敏感に察知する。

 

 ミラは糸を手繰り寄せて、男の死角から小石を叩きつける。が、小石は男に触れる前に弾き飛ばされて狭い路地の壁に当たって砕ける。


 「!?」


 ミラは驚いて男を正面に見据える。男が腰の剣を抜いたところは見えなかった。懐からナイフを取り出して、糸を付けて男に向かって投げる。と、同時にもう一度四角から瓶の欠片で切りつける。


 しかし、その二つともほぼ同時に何かに阻まれて弾き飛ばされてしまう。


 「ああ、これか。お前が『蜘蛛』って言われてるのはよ。」


 男は余裕の表情でミラに話しかける。ミラはどういう仕組みなのかはわからないがこの男の実力は相当なものだと感じた。

 投げたナイフに付けていた糸を操作して、ミラと男の間にナイフを浮かせて牽制する。


 「これは不思議な神加護だな。短刀が浮いてるぜ。」


 ミラの神加護≪糸操の縁≫は両手の指から延びる不可視の糸を物体に取り付かせて操ることができる能力がある。指を動かさずに意識のみで動かすことも可能だがその分威力は落ちる。逆を言えば指や手をかざして力を注ぎこめば手にもって突き刺す以上の威力を出すことが可能だ。

 ミラは、威力のある攻撃を繰り出すため左手をかざす。肩からは奴隷の烙印が見える。一気に左手から糸をたどって力を注ぎ込む。宙に浮いていたナイフは静止から一気に速度を上げて男に向かって突き飛ばす。


 「ああ、まぁ、でもよ―」


 ミラの放った担当はまたしても男に到達する前に空中で弾き飛ばされる。と同時に、ミラは男の姿を見失った。決して目をそらしたわけではない。おそらく目に見えないほどの速度でミラの視界から消えたのだ。


 「ちょっと威力が足りないんじゃねぇか?」


 気が付けば、ミラの視界いっぱいに男の姿が映る。もうすでに腰にぶら下げた刀に手をかけて抜刀の体制をとってる。


 「っ!?」


 ミラは即座に身体を後方に反らし、回避の行動を取る。が、遅すぎた。


 「遅えな!」


 男の抜刀が始まる。ミラの身体は後方に反らしたが刀身がミラの首筋めがけてまっすぐに薙いで来る。


 (しまっ!)


 ミラは刀身が自分の首に達する瞬間をほんの一瞬で覚悟した。

 死ぬ。

 そう思った。


 その瞬間、手入れを怠っていた髪が大きく揺れる。清潔とは言えないがミラの血の気の引いた顔面が露になる。


 しばらくしても、ミラの首に鋭い衝撃は訪れなかった。冷静に自分の状況を確認する。

 意識は、まだある。首は、まだ繋がってる。手は、動く。足は、竦んで動かない。糸操りの縁は、宙に浮いてミラと男を囲っている。刀身は、首元でギリギリで止まっている。男は、目を見開いて少し驚いたような残念そうな顔を浮かべている。


 「…くっ!」


 ミラは、身動きが取れず息を詰まらせる。目の前のは男は、ハァとため息をついて先ほどまで放っていた殺気を消す。


 「んだよ。お前、女か。」

 

 「??」


 「最初に言えよな。俺は女は斬らねぇ主義なんだ。」


 そう言って、男は刀身をミラの首から離して後ろに下がる。


 「は?」


 ミラは何と言ったらいいか、言葉に困っていた。女だから?何?そんなこと言って絶好のチャンスを逃すというのか。

 ミラが言葉に詰まっていると、男が刀を手にしていない左手で頭を掻きながら、ばつが悪そうに口を開いた。


 「まあなんだ。そういうことだからよ。お前もこんな所で腐ってねぇで。いい仕事見つけろや。あ。別に女が弱ぇって思ってるわけじゃねぇぞ。俺の師匠の教えなんだ。破れないもんでな。」


 男の言葉や気配にはもう殺気は皆無だった。ミラは久しぶりに殺気のないヒトと言葉を交換する。


 「な、なによ。それ。…私、死にたいんだけど。」


 いつの間にか、本心を少し打ち明けていた。殺気のない殺し。ミラが望んでいるものだ。


 「あー。そういう感じか。悪いな。俺は無理だわ。つーか、死ぬとかやめとけ?そんなにいいもんじゃねぇぞ。多分な。お前みたいなやつは、仕事して、いい飯食って、いいおべべ着て、適当な奴と一緒になってればいいじゃねぇか。」


 「う、うるさい!そんなこと出来るわけないじゃない!なに?説教?いい迷惑よ!私にできることなんて、これしかないんだから!」


 ミラは、糸操りの縁を周囲の小石やガラス瓶の欠片に取り付かせて、再度男を攻撃する。

 しかし、男は刀を一振りしてそれら全てを弾き飛ばす。そのまま、刀をミラに向けて口を開く。


 「いいって。お前じゃ俺に勝てねぇだろ?やれやれ、せっかくいい腕試しになると思ったんだがな。」


 そう言って、男は刀を鞘に閉まって。路地を大通りに向けて歩き出す。ミラの横を通り過ぎようとするころに、ミラは先ほどの攻撃も刀を向けられたときも、まったく殺気を感じなかったことに気が付く。


 自分より強い相手に殺されそうになった。しかし、そこには全くの嫌悪が感じられない。


 (これって、私に対して殺意がない?)


 (………)


 見つけた。ミラは、心の底から嬉しそうに満面の笑みを浮かべて、男に振り返った。


 「あ、あなた!ちょっと待ちなさいよ!」


 「ああん?」


 もう大通りに出ようというところで男が振り返る。薄暗い路地裏に対して明るい通りから光が差し込んでいて、男の顔はよく見えない。

 

 ミラは、笑いながら大きな声で男に語り掛ける。


 「私のこと殺してくれるー?」


 男はあっけにとられて、口を大きく開いたまま硬直していた。


 「…あー。無理だなー!」


 「私ー!あなたに殺されたーい!」


 「物騒なこというもんじゃねーっつの!俺は、勇者と戦うことしか頭にねーの。」


 「じゃあ、私が勇者を殺してあげるからー!」


 「それは俺がやるんだっつの!」


 「やだー!絶対殺してもらうんだからー!」


 数回、言葉を交わしただけだが、この時のミラは本当に心底楽しかった。やっと自分を理想の形に終わらせてくれる人物と出会ったのだ。

 

 「じゃあな。変な女の…ミカだったかー?」


 「まってよ!私また、あなたの名前知らない!ねえ!しかも私の名前違うし!ミラ!ミラだよー!?みーらー!」


 男はミラの言葉を聞き終わる前に大通りに姿を消した。すぐにミラも追いかけたが、大通りのヒト混みに紛れて、男の姿はもう見えなくなっていた。


 「ちぇー。絶対追いついてやるんだから。」


 ミラは決意する。あの男を追いかけよう。この街を出よう。そして、強くなってあの男に殺してもらおうと。



 

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