第11話 奴隷の国にて

 ヒト族の国、ライズ・ウォーランド国の最東端にある町、奴隷制度の町『グレイキル』、ヒトがヒトに隷属し、主は隷属するヒトを管理する。

 隷属するヒトには奴隷の証『烙印』が身体のどこかに押されている。烙印は熱した鉄で押されるものではなく、魔術的な証で刻印される際に痛みはない。また、証というだけで、命令を強制させる類の束縛する力を持たない。

 奴隷を奴隷と呼ばず、『烙印持ち』と呼ばれるのがこの町のしきたりになっている。


 烙印を押されることにも強制力はなく、主に借金で首が回らなくなったヒトや親を亡くした孤児などが生活する場所を与えてもらう代わりに家事や雑用をこなすといった労働契約の証としてみなされている。


 勇者アオイが召喚されるよりも数年前、このグレイキルの町に住む猫族の少女がいた。

 名を『ミラ』という。


 両親も猫族の一人娘だ。両親に烙印は押されておらず、この町では一般的な家庭を築いているように見える。

 だが、はたから見れば一般的な家庭でもその実は父親の日々の暴行が暗躍している家だった。気に入らないことがあれば、母やミラを殴る蹴るの暴行が行われていた。

 母は夫の暴力に日々おびえ、機嫌を損ねないように震える体を抑えつけながら、食事、酒の準備、家事など夫の希望するであろうものを先回りしてこなしていた。


 ミラも父親の機嫌によっては叩かれる日と撫でられる日があるということは幼いながらも理解していた。母が殴られる日はそのまま難癖をつけられて同じように手を挙げられる。しかし、撫でられる日は父も母も笑顔で食卓を囲んでいた。叩かれることに違和感はあれど、「自分が悪い」と決めつけて飲み込んでいた。


 しかし、ミラには一つ気になることがあった。母のことだ。ミラは叩かれているときはひたすら自分が悪かったことを謝っていたが、母は毎度のように『あいしてる』と訴えていた。父親が笑っているときも『あいしてる』、父親が怒って手をあげているときも『あいしてる』。ミラには、なぜ母が父にこれほど同じ言葉を繰り返しているのかが分からなかった。


 ある日、酒を大量に飲み干した父が母を殴った。これまでならそれで終わるのだが、その日はそれだけでは終わらなかった。ミラも殴られていたが、何に苛立ったのか怒りが収まらず、農作用の鉄製の鍬を持ち出してミラに突き立てようとした。

 母はさすがに止めに入ったが、それがさらに怒りをあおった。命の危険を察した母は、食卓に置いてあったナイフをつかんで父に突き刺した。突然の反撃に驚いた父は状況を理解しきれずに仰向けに倒れこんだ。母はそのまま馬乗りになって、何度も何度もナイフを父に突き立てた。

 

 その一部始終を見ていたミラは、その地獄のような光景の最中に母の父への感情を垣間見る。

 絶命しているであろう父だったものに、何度も何度も何度も何度もなんどもナンドモ、ナイフを突き刺しながら「あいしてる、あいしてる、あいしてる、アイシテル」と囁いていた。父がミラに向けていた殺意の塊のような視線とは別に、母がいつもミラに向ける優しい愛情のこもった暖かい視線だ。殺意のない殺害というと変な聞こえだが、ミラはそのような印象を強く強く目の当たりにしていた。


 しばらく母の狂気とも言える愛情の形を見守っていたミラだが、母がどこか遠くに行ってしまうような不安に駆られて思わず声をかけた。

 

「お、おかあさん?」


 ピタリと父だったものに突き立てていたナイフを止めて、母が首だけを曲げてミラを凝視する。その時に見た母の目にやはり殺意は感じられなかった。母は何も言わず、一瞬悲しそうな表情を浮かべてから父の死体に視線を戻す。そして


「あはは、あなた。アイシテルわ。だから、アイシテね。これからもよ。ずぅっと・・・」


 といい、自分の首にナイフをかけて刃を何往復も滑らせる。鮮血が噴き出し、うめき声があがると同時に首の骨を削るギリギリという音が鳴る。それから、母が母だったものに成り変わるのに数秒もかからなかった。



 地獄のようなあの日以来、ミラは孤児となって満ち足りない日々を過ごした。誰と話をしても、誰にやさしくされても、どこに行ってもあの優しかった母の愛情は得られなかった。


 ある日、他の孤児の子と些細なことで言い合いになり、取っ組み合いに発展したことがあった。相手の子は本気でミラを傷つけようと躍起になって暴れ始めた。その時だ、殺意のこもった父の目を思い出し、ミラの防衛本能が働いたのかミラの周りに目視では確認できないほど細い『糸』が出現した。

 

 ミラの神加護≪糸操の縁あやつりのえん≫が発動した瞬間だった。孤児の中でも神加護持ちは珍しくもともと居場所が少なかったミラの拠り所は何処にも無くなっていた。

 しばらくしてから、町の中でも権力のある家系の主が使用人を雇うためにやってきた。その時に、ミラの神加護のことを知り、うちで働かないか?と誘われた。


 行くところと居るところがなかったミラは二つ返事で了承した。もう、諦めに近い感情があったが、主の男の冷たい瞳に殺意が見えなかったから着いていった。


 しばらく主の家で家事をこなしていたミラだったが、雨の降った日の夜に主の書斎に呼ばれて新たな仕事を指示された。


 仕事の内容は暗殺だった。


 ミラの神加護の≪糸操の縁≫は暗殺には向いたスキルだった。糸は目に見えない特徴があり、光が反射することもない。だが、ヒトを縛ったり絞めたりとする力は弱かった。しかし、もう一つの特徴があった。それは、糸の先が物体に取り付きある程度操作することができることだ。ヒトや剣のような重いものは操作できないが、ミラ自身が操作できる小さなナイフは自由に浮かせたり素早く確実に標的に誘導して突き刺すことができた。


 初めてヒトを殺めるように告げられた主の目に殺意が全く込められていなかった。暗殺を成功させ、帰宅したミラを主が屋敷の裏口で出迎えた。成功を告げると、優しく頭を撫でられた。

 主の目を見上げると、ヒトの死を告げられているのにも関わらず、変わらず冷たい瞳の中に殺意が見受けられなかった。


 それから、ミラは主を慕うようになった。母のような優しい目ではないが、ヒトの死を当然のように見受けするその目に夢中になった。この人なら、殺意なく自分を殺してくれるかもしれない。そのように思い始めた頃にミラは自分の気持ちに気が付く。

 自分は殺意なく他人に殺されたいのだ。母の口にしていた「あいしてる」のように、殺意なくあいされたいのだ。殺意のない殺害こそ究極のアイノカタチなのだと疑わなかった。


 そのことに気が付いてからのミラはより一層暗殺業務に勤しむようになった。猫族の特徴として、自分の慕うヒトに尽くすことが喜びなのだ。

 ヒトを殺める度に、主から与えられる称賛の言葉がうれしかった。



 数年後


 奴隷制度の町、グレイキルの町に勇者一行が現れた。


 奴隷制度に気が付いた勇者が町の住人を集めて訴えた。


「この町の奴隷制度は廃止するべきだと思う!だってそうだろ?同じヒトなのに、ヒトがヒトを買ったり、従わせるのは間違ってるよ!」


 人々はなんだ?なんだ?と集まってきた。


「みんなも聞いてくれ!この町の奴隷のヒトは魔術で奴隷の烙印を押されてヒトの権利を奪われてるんだ。こんな制度じゃだめだ。奴隷のヒトも自由に仕事をしたり生活する権利はあるはずなんだ。俺はこれから町長にあって奴隷制度を廃止するように直訴する!その権限は俺にはあるんだ。みんな自由になろう!」


 ざわざわとどよめきが町民に走ったが、勇者は振り返らずに町長の館に向かった。


 その日の主は珍しく慌ただしく部下に命令を下していた。烙印持ちのヒトにも隠れているようにと言いつけていた。


 ミラは主のもとに訪れた。


「主様?どうしたの?」


「ああ、ミラか。今は忙しい、烙印持ちの部屋に行ってなさい。」


 主はミラの方を見ずにそう告げた。ミラにも主の焦る様子が見て取れた。そんなことは烙印を押された日から見ても初めてだ。


 ミラは何とも言えない気持ちになり、なんとか、主にミラの方を見てほしくて言葉をかけた。


 「だ、大丈夫だよ。主様。主様をいやな気持にさせるヤツはあたしが消してくるよ?」


「ミラ。そうじゃない。今は部屋に戻りなさい。」


苛立たせてしまった。ミラは自分の発言を少し後悔する。


「あ、主様。ごめんなさい。で、でも、主様が困ってるならなんとかしたくて・・・だから、主様・・・こっちむい、」

「ミラ!いいから!部屋から出なさい!」

「!?」


 主はミラの言葉をさえぎって怒鳴った。主に怒鳴られるのもミラは初めてだった。急な不安がミラを駆り立てる。


「あ、あるじ・・さま・・・。ご、ごめんなさい。・・・やっぱりミラ、あのヒトやってこようか?・・・」


「それがマズいと言うんだ!」


 主がミラに向きかえって目が合う。その眼には冷たさや優しさは見えない。怯えと不安が見えた。そして、微かに


「あ・・るじ・・さま・・・その眼」


「ああくそ!烙印持ちを開放だと!?ふざけてるのか。この町はそうやって貧しいもヒトの働き口を用意して裕福なヒトが生き場所を用意してきたっていうのに!あの、何も知らない部外者が!」


 微かに、殺意を含んでいた。


「主様。その・・・その眼、やめて」


「なに?眼だと?何を言ってる?くそ、お前もか!訳のわからんことを・・」


 ミラはどうにか、殺意の込めた眼を向けられたくなくて、必死に懇願する。どうすれば、いつもの殺意の無い瞳に戻ってくれるのかを考える。


「あいつ?あいつが悪いんだよね。あたしの主様にそんな眼をさせるなんて、やっぱり殺して・・」

「勇者を殺せると思うのか!?この馬鹿者が!もし、お前が失敗して主犯が俺と知れれば俺の立場はどうなる!?お前に殺させてきた俺の邪魔者をバレないように少しづつ準備してから実行するんだよ!ったく、殺せるものなら殺してほしいがね!だが無理だ!あの、守護隊副隊長のナッシュを倒した勇者だぞ!もしそんなことをしようとしたら俺はお前を殺す!殺してやるからな!」


 微かだった殺意が大きくなり、主の瞳には殺意のみが込められていた。


「・・・・・」


 ミラは言葉を発することをやめた。いや、同時に慕う心も捨て去った。


 主はミラから目線をそらし続ける。


「くそっ!とにかく、烙印持ちをどう処分するかが問題だ。部屋に毒でも流し込んで死体をどこかに隠す・・・・か・・・カハッ!」


 主が言葉の途中で吐血する。見ると主の腹にナイフが数本突き刺さっている。主がミラを再度見ると、右手を主に向けて冷たい目を向けたミラが見えた。


「お、おま・・・え・・」


 ドサッと前のめりで倒れる主を見下ろしミラは部屋を後にする。主の殺意のこもった瞳を見たときに、このヒトもあの暴力的な父と同じ、ミラが愛するに値しない男だと悟ったのだ。殺意なくミラを殺すことはできないと悟っのだ。


 閉まる主の書斎の扉の隙間からミラが主だったものを振り返る。


「バイバイ。・・主様。・・・アイシテタよ」

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