第6話 平原にて

 イービラス ライズ・ウォーランド王国 


 ここは、イービラスのヒト族が治める。ライズ・ウォーランド王国。その、首都から北に位置するロンドの森に隣接している平原に、ヒトではない者、異族の悪魔が1人、平原を見渡せる木の枝の上で息を潜めていた。


 身長は高くない。屈んでいるが、両の足を伸ばして背伸びをしても、160cmに満たない程度だろう。黒い髪と黒い瞳、黒いマントを携えている。この格好では夜の闇のなかで彼の姿を捉えることは難しいだろう。


 体格は細身で、手足が長い。顔全体はマントの襟で隠れてしまっているが、男である。まだ若い。 


 なぜ、ヒトではない者の彼が、ヒト族の領土内、しかも王都の近くの森に潜んでいるのか。


 それは、彼の神加護と魔術のおかげである。潜伏、侵入、情報収集、暗殺に長けた魔術を使い、これまでの危険な潜入作戦を、なんとか切り抜けてきた。


「…………」


 男はゆっくりと本当にゆっくりと、肺に空気を送り込む。そして、また時間をかけて吐き出していく。ごく普通の呼吸とは違い、音も身体の揺れも、胸部の膨らみも見受けられない。


 完全に気配を消して、木々の枝葉と同化している。また、目の前が明るい日向である平原で、森の外れにある大木の枝に出来た日陰に紛れているため、常人が彼の存在を察知することはほぼ不可能だろう。


 彼の潜む大木の根本、平原からは死角に位置する所に、白い甲冑を纏ったヒトの遺体の山が積まれていた。木の枝の上で息を潜める彼の仕業である。


 彼は、いずれこの位置に訪れる異界からの召喚者を一早く発見し、襲撃に適したこの場所を安全に確保し、数多の罠を仕掛けるのに必要な犠牲になってもらったのだ。


 仕掛けた罠の数はは「10」を超える。そのすべては、異界からの召喚者に向けられ、常人であれば、1つの罠でその生命を終わらせることのできるものばかりだ。


 彼は、「ヒト族が異界の者を召喚する」という情報を秘密裏に入手し、異族側にその情報を流した。10日ほど前に知らされた緊急の指令では、『転生者が現れる位置を変更することができる。その位置に赴き、転生された直後に抹殺せよ』と言い渡された。暗号文で告知され、読み解くのに1日、情報収集と移動に6日、罠を仕掛けるのと、甲冑のヒト族を数人殺傷するのに3日の時間を要した。


 彼の神加護の特性上、ヒト族を殺めることは必須の条件であった。彼がヒト族を殺める時は、感情を意識の下に隠し、いかに迅速にかつ確実に相手の命を刈り取るかが重要になる。命を奪うことに関して、感情が揺さぶられるということはもうなくなっていた。


 異族の魔術師たちは、ヒト族の魔術に干渉し、転生者を召喚する位置を、王都ウォーランドから、このロンドの森近くの平原に移動させる。召喚直前には異族からの干渉を察知されて、すぐに場所がバレて、王都の騎士たちが、この場所向かって来るだろう。だが、騎士たちが到着するまでの数刻の時間があれば、転生者を襲撃し、その命を奪うための行動は完遂される。

 

 —パチィ—


 その時、平原に電気が流れるような小さな音が鳴った。木の上の彼はその音を聞き逃さなかった。一瞬心臓が高鳴る。


 (来た)


 彼は、微動だにせず静かにその時の訪れを待った。平原には先ほどの小さな音とは別に数多の電流のような音が鳴り響いていた。


 やがて、白のような黄色のような色の空間が現れて強い光を放つ。暗殺者の彼は魔術を展開する。自分の目に黒い膜のようなものを張り、光の中心に表れるであろうヒトの姿を見逃さないようにする。


 光の中心に、ヒトの形を確認した。


 「おおおっ!まぶしっ!」


 光の中心のヒトがそうつぶやく。どうやら、先ほどの光に目が眩んでいるようだ。


 (その光が君の最後の景色だ)


 暗殺者は予め仕掛けてあった罠を一つ発動させる。神加護による、魔術の力を罠に流し込むことで容易に発動する。


 地面から、赤色の太い槍が転生者に突き立てられる。


 ドドドッという音とともに、槍の先端が転生者を突く。


 しかし…


 (貫かない…)


 赤い槍の先端は、転生者の体を突いているように見えたが、先端が体を突き破ってこないのである。


 「うお!なんだ!?」


 転生者の驚く声が響く。赤色の槍は、転生者の体に触れる前に止まっていた。


 (それなら…)


 暗殺者は2つの罠を同時に発動させる。


 森の木々の根元からの数十の赤い弾丸。地面から赤色を纏った蔓。


 赤の蔓は転生者の体を縛る役割を担い動きを止める。そこに、赤い弾丸を打ち込む。


 しかし、この襲撃も転生者に届かない。


 赤い蔓はギギギと音を立てて縛り付けているようにも見えるが、体に絡みつき、皮膚に食い込んでいない。赤い弾丸は転生者の体に到達する直前に消滅してしまった。


 「なになに?」


 (頭上からは)


 三度目の襲撃。転生者の頭上約数メートルの位置の何もない空間から、先ほどの赤い弾丸が現れて、雨のように降り注ぐ。


 ドドドドドという音を立てて、赤の雨が転生者もろとも、その周囲を襲う。


 「攻撃されてるの!?」


 転生者は三度目の襲撃にようやく自分が襲撃されていることに気が付いた。辺りを見渡しているが、暗殺者の姿は肉眼では確認できない。


 暗殺者は転生者を観察する。思考を巡らせる。脳を回転させて、この状況を分析する。


 (攻撃が当たってない。本人の様子から意識的に防いでいるわけじゃない。神加護か?自分の神加護を理解していない?いや…それは考えにくいか。)


 (三回目の襲撃でようやく自分が攻撃されていることに気が付いている。遅い。戦闘に慣れていない。逃げもせず、反撃しようと魔術を練っている様子もない。)


 (肉眼で俺を探そうとしている。魔術で攻撃されているのに、魔術で対応しようとしてない。)


 (ヤツの周りには赤の雨は届いている。が、ヤツの周辺だけには落ちていない。ヤツの周り、10センチ程度が無傷だ。)


 先ほどの赤の雨によって、転生者の周りは赤く染まっていたが、転生者のすぐ側、10センチ程度は元のまま緑の草が健在していた。


 魔術障壁。しかもかなり強力。


 暗殺者は思考の末、そう結論づけた。先ほどまでの襲撃は簡易な障壁を簡単に貫くほどの威力が出せるように魔術が何重にも練りこまれている。それを、受けても傷一つ負っていない。


 「んー。あそこかな?」

 

 転生者が、平原から暗殺者の潜む木の枝に視線を向ける。


 (位置がばれた?バカな。こっちは魔術を少し練った程度。微動だにしていない。普通は察知できない。)


 ある程度大がかりな魔術であれば、発動した者の位置を特定することはできるが、それもこの短時間には不可能だ。


 「いきなり攻撃してきやがって!魔術の練習相手になってもらうよ!」


 転生者は左の手を広げ、暗殺者の潜む大木に向ける。先ほどまで、魔術の気配を感じさせなかった転生者から、膨大な魔術の気を感じ取った暗殺者は残りの罠をすべて発動させる。


 (っ!)


 「ファイアボム!」


 転生者が技の名?を叫ぶと、掲げた左手から火の玉が出現した。その玉が暗殺者めがけて放たれる。


 暗殺者は鉄球ほどの大きさの玉が、大木に到着する直前に木の枝から飛び出す。火の玉は大木に到達すると、大きな音を立てて爆発した。爆発の範囲は大木から後範囲10メートルほどを一瞬で吹き飛ばした。大木の死角に積んであった甲冑の騎士の死体も跡形もない。爆風が暗殺者を背中から押す。


 (なんて火力)


 暗殺者は空中で体制を整え、そのまま転生者の頭上めがけて飛んでいく。転生者の周りには先ほど発動させた残りすべての罠が展開されていた。数百に及ぶ赤の弾丸が何もない空間から現れる。しかし、転生者には届かない。


 「効かないよ!」


 (目くらましだ)

 

 転生者は赤の弾丸によって、空中の暗殺者を見失う。その隙に乗じて暗殺者は腰に差していた双剣を引き抜く。赤の弾丸の弾幕が終わると同時に、暗殺者が転生者の頭上から双剣を逆手に持って、全体重をかけて突き立てる。


 暗殺者は考えていた。魔術障壁によって、赤の攻撃がすべて防がれてしまうのなら、双剣による物理攻撃なら通ると。魔術に耐性のある者を殺傷する常套手段だ。


 (殺ったとった


 ガキィという音が鳴る。


 人体を刺し貫いた音と異なることに暗殺者は驚きの表情を見せた。彼の双剣の先端は、転生者を貫くどころかその皮膚にすら届いていなかった。転生者の眼球の手前、5センチ程の位置で止まっている。


 (まさか!)


 緊急離脱。暗殺者は身を回転させようと双剣をつかんだ右手を起点に重心を後方に移動させる。重心移動から左回転に身をひねらさせて飛び上がろうとする。


 転生者は右手を胸の前から頭上の暗殺者に向けて突き上げる。掌を広げ、魔術を即時発動させる。


 「ファイアストーム!」


 転生者の右手から大きな火炎が巻き上がる。


 「っつ!」


 暗殺者はギリギリのところで体が火炎に飲み込まれる前に、身を回転させて離脱することができた。そのまま飛び上がり、転生者から6・7メートルのところに着地する。着地と同時に自分の体の異変に気が付く。


 「ぐっう!」


 右腕に激痛が走る。始めは冷たいような感覚だったが、即時に鋭い痛みに入れ替わる。右腕が焼け爛れている。体重移動の起点としていた、右腕は先ほどの火炎に飲み込まれてしまっていた。


 「うわぁ。痛そうだ。それ。」


 転生者の声がする。なんとのんきな言葉か。痛いに決まっている。


 痛みを堪えながら、再度考える。表情は変えない。


 (まさか、物理障壁も同時に展開しているとは…)


 魔法障壁は魔法に耐性を持ち、物理障壁は斬撃や打撃などの攻撃に耐性がある。それを同時に発動させるなど神の御業だ。この世界にそんな芸当ができる者が何人いようか。


 「でも、そっちから攻撃してきたんだ。遠慮はしない!」


 再度、転生者が右の掌を暗殺者に向ける。暗殺者もまた無事な左手に持った短剣を顔の前に構える。


 暗殺者の頭の中は逃走のプランが駆け巡っていた。魔法障壁、物理障壁は脅威だが目くらましは通用した。一瞬気をそらすことができれば、逃走は可能だ。


 暗殺者の考えに反して、転生者はまたしても、魔術を発動しようとする。


 そのとき


 「勇者様!」


 二人の声とは別に、少し離れた場所から声が放たれた。転生者の後方、暗殺者は目線を転生者から外すことなく、声の主が確認できた。見ると、王都から駆け付けた騎士が、馬のような生き物に跨ってこちらに向かっている。


 「!?」


 転生者が、首を捻って声がした方向を見た。


 (今!)


 暗殺者が顔の前に構えた短刀を自身の右腕に突き立て、そのまま左方向に短刀を移動させる。自身の右腕を切り落としたのだ。直後に血液が噴き出す。しかし、その血液が地面に落ちることはなく。暗殺者の前で球体となって留まる。直後に転生者は暗殺者の方に向き直る。


「な!」


 暗殺者の行動に驚いていたが、掲げていた右手に魔力を注ぐ。暗殺者は、転生者に向かって血液の塊を放つ。転生者も最初に放った火の玉を放つ。二つの球体が衝突するが、火の玉の性質上、暗殺者と転生者の間で大きな爆発が起きる。


 「ウインド!」


 転生者が、爆煙を払いのけるために風の魔術を使う。一瞬で煙を払うが、暗殺者の姿はとうに消えていた。直後、王都からの騎士が転生者のもとに到着する。


 「勇者様!ご無事ですか!?先ほどの爆炎は…」


 「あ、はい。大丈夫です…」


 『勇者』と呼ばれた転生者は騎士と少し言葉を交わすと、馬のような生き物に乗り、平原を後にする。


 

 ―数刻後 ロンドの森内—


 転生者襲撃に失敗し、自身の右腕を失った暗殺者が森の中をフラフラと歩く。血液を失いすぎているせいではない。逃亡する時に使った魔術が魔力を膨大に使用するための疲労だった。加えて、右腕の痛みもある。


 右腕からは血液は流れ落ちていない。それは、彼の神加護のおかげだ。彼の神加護は≪血の支配≫。血液の通っている身体から放たれた血液と自分の血液を魔術により操作し、形を変えたり、動かしたりすることができる。


 甲冑の騎士を殺傷し、その血液を張り巡らせた罠に使用していた。右腕から溢れだした血液が地面に落ちず転生者に放たれたのも、切り落とした右腕から血液が失われないのも、彼の神加護のおかげである。


 他人の血液よりも、自身の血液の方がより強力な威力を持っている。最後にはなった血の塊は身を削った攻撃に等しい威力を誇っていたが、正面からぶつかった火の玉を止める程度の結果しか得られなかった。


 本来なら、魔法障壁にぶつかって血を飛散させて目くらましに利用するつもりだった。転生者が爆発系の魔術を使ってくれたおかげで、闘争の隙が得られたのである。


 暗殺者は転生者-勇者の出現と戦闘によって得られた情報を異族に伝えるため、異族の国であるアルビナ国に歩を進める。


 次第に、彼の姿は森の闇の中に消えていった。




 



 

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