第12話 綾(AYA)

 翌日の教室。


 神崎かんざき あやは相変わらずいつもと同じポーズで、机にひれ伏して寝ているようであった。

 昔の清楚な感じの少女とは程遠い少女に成長したようだが、そこに彼女がいるというだけで俺の気持ちは少し高揚こうようする。

「おはよう」席に着席しながら、綾へ朝の挨拶を試みる。

「おはよう」今日はきちんと挨拶を返してくれた。


「今日、みんなでカラオケに行こうって話しになっているんだけど、三国、お前はどうする?」昼休み、服部が誘ってくれる。

 俺は綾のほうに目をやるが、彼女は辞退の意思を示すように手をふった。

「あぁ、ありがとう、俺も……、今回はやめておくよ」少し申し訳なさそうに謝る。

「あ、ああ......、そうか判った」服部はすこし怖いものでも見るような顔をして、向こうへ行った。約束したメンバーと集まって、ひそひそと話をしている。

「あいつら、また綾ちゃんの悪口でも言っているのか。ちょっと一回俺がガツンと言ってやろうか?」俺は右腕の袖を捲りあげながらポーズを取る。

「ほっときなよ、俺は慣れっこだから」綾は、顔を伏せたままであった。

「まあ、綾ちゃんがそう言うなら……」俺は怒りをさやに納めた。


「ところで綾ちゃん。今日の放課後、用事あるのか?」

「どうして?」綾は腕組みをしている頭を伏せたまま、少しこちら側を向いて隙間から、覗くように俺のほうを見る。

「二人で、どっか遊びに行かないか?」俺は断られるかもしれない事を、念頭においていた。

「うーん、どうしようかなぁ?」綾は、起き上がると改めて胸のあたりで腕組みをした。その顔は、珍しく嬉しかったのか、口角が上に上がっていた。

「何か用事でもあるのか?」俺は念押しして聞いてみる。


「ううん、全くない」彼女はニヤリと笑った。


 二人で、近くの商店街を歩いている。

 ペツトショップのショウウィンドに,可愛い仔犬がスヤスヤ眠っている。

「可愛い!」綾は歓喜の声をあげる。昔から、彼女は動物好きだった。よく捨て猫や、捨て犬を拾ってきてはお母さんに怒られていたことを思い出す。

「抱かせてもらったら?」食いつき気味に仔犬を見つめる彼女に提案してみる。

「うーん、今日はいいや。連れて帰りたくなっちゃうから......」後ろに手を組むと、綾はスタスタと歩きだした。

 俺は彼女の後ろを従者のように着いていった。

「綾ちゃん、お腹空かない?」自分の小腹が空いたので聞いてみた。

「俺は平気だよ、あっちゃんが食べたいなら付き合うけど......」言いながら斜めに空を見上げた。男らしい物言いに俺は前から気になっていた事を言ってみる。

「前から気になってたんだけど、その『俺』って、おかしいぞ」久しぶりやに再会した時から気になっていた。彼女が綾でないのであれば、それは放置しておいたのだろうが……。

「おかしい?うーん、前にも言ったけれど、あっちゃんが居なくなってから自分を変えようとしてさ。まぁ、あっちゃんが帰ってきたからなぁ……」少しだけ、綾は顔を赤くしているように見えた。頬に手を当てて、考えているようだ。

「そうそう、私って言ってみよ。私って」

「……、わ、わた……、ちょっと、なれるまで時間を頂戴」言いながら、彼女は可愛い笑顔を見せて、逃げるように速足で歩いた。

「いいよ」なかなか、口癖や身についた癖を修正する事が、大変である事は俺も理解している。

 でも、これが成長した綾なんだと俺は認識するようになってきている。あの頃とは違うが、どこかに懐かしさを感じる。俺の大好きだった綾が目の前にいる。

 それだけで、俺の幸福感は満たされていた。


 ひとまず、二人でハンバーガーショップに入る。

 もう一度、食べないのかと確認するが、ダイエット中であるという理由で、彼女はいらないということであった。

 俺は、ハンバーガーとゼロコーラを頼んだ。

 二人用の席に座り対面で座る。

 綾は、俺がハンバーガーに食らいつく姿を見て、ケラケラ笑っていた。

「鼻にケチャップがついてるよ」綾が指差す。その彼女の笑う姿に癒される。 

「あ、ありがとう」言いながら俺は人差し指で鼻の頭を撫でた。

 回りの客達が俺達のほうをジロジロ見ている。


 綾のような可愛い女子高生と一緒に食事をする俺が羨ましいというところか。


 夕日で空が真っ赤に染まっている。

「あははは、そりゃいいや」俺達は、他愛のない話で盛り上がっていた。

 デブゴンが必死に挑んだダイエットの話や、キノコ頭の話など、俺が引っ越してから色々あったようだ。

「ここだね」また、桜の木の下に俺達はいた。


「そう、ここで俺は綾ちゃんと出会ったんだ」

「俺は、あっちゃんと会った」


「また、俺って言う.......」俺は、少し拗ねたように言ってみる。

「あは、ごめん、ごめん」満面の笑みで綾は笑った。その笑顔は、今まで見た誰の笑顔よりも輝いていた。

 彼女との、他愛のない会話がすごく楽しかった。



 俺達が初めてに出会ったのは、この桜の木の下であった。

 引っ越してきたばかりの俺は近所を探検していた。知らない場所を歩くうちに、大きな川の近くにたどり着く。

 目の前にそそり立つ、見たことのない大きな雄大な桜の木。

 俺は、その美しさに見惚みとれてしまった。

 そっと、その桜の木に近づくと、その木の下で女の子が風景をスケッチをしていた。

 

 スケッチの邪魔をしないように、俺はそろりそろりと女の子の前を通りすぎようとした。

「あっ!」彼女の目の前で木の根っこで、俺は足を躓いて転んだ。

「だ、大丈夫?」彼女は、慌てて立ち上がり俺の側にやって来た。

「痛い……」膝を擦りむいたようで、血が滲んでいる。

「大変!消毒しなきゃ!」女の子はあたふたしながら辺りを見渡して、何かを探している様子であった。そして何かを思いついたように、川辺に駆けていった。

「痛いよ……」幼い俺は半べそをかいて泣いていた。


 そこに戻ってきた彼女は、自分のスカートを湿らせて俺の膝を拭いてくれた。

 俺は茫然としながら、彼女の行動を見つめていた。

「あ、ありがとう。でも、服が汚れちゃたよ……」女の子の純白のワンピースが、俺の血で汚れてしまった。

「ううん、大丈夫だよ」彼女は天使のような笑顔で答えた。

「……」

「あっ、ハンカチあったんだ」彼女は、言いながらポケットからハンカチを取り出して、爆笑していた。

「あははは」俺もつられて笑っていた。

 あの時から、俺にとって綾はかけがえのない存在になった。


 俺は、そのまま女の子がスケッチする風景の絵を眺めていた。

 それは、幼い子供の絵ではあるが、温かみのある優しい風景であった。


「私の名前は、あや。あなたの名前は?」

「僕は、淳」

「ふーん、それじゃ、あっちゃんね。あっちゃん、宜しくね」少女は満面の笑みで微笑んだ。



 少し日が暮れてきた。

「そろそろ、帰るね」綾は首を少し傾けて微笑む。

「あっ、家まで送っていくよ」俺は帰ろうとする、綾を追いかけようとする。

「いいよ、ここで。……、私、あっちゃんともう一度会えて嬉しかった」そう言うと、大きく手を振りながら、綾は家路についた。自分の事を『私』と言った彼女の顔が無性に愛しかった。


 その姿を見送った後、俺も家に帰る事にした。

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