第76話 まじない


 親と面と向かって話すことを決意してから、三日後。


 俺が東京へ戻る日は、すぐにやってきた。


「……ふう」


 緊張で少し寝付けなかったが、体調のほうは問題ない。だが、急な決定で飛行機のチケットが取れなかったので、心配があるとすればそこだ。


 最寄り駅から、まずは新幹線の通っている博多駅まで。そして博多駅から東京駅まで新幹線に乗り換えての移動だ。


 すべて合わせると結構な時間電車に揺られるから、実家に帰るまでにへろへろになっているかも。


 まあ、そこは気合で頑張るとしよう。


 設定しておいたアラームが鳴るのを待ってから、俺は体を起こす。東京に帰る日だからといって、生活のリズムは変えるつもりはない。朝はしっかりとランニングするし、朝食だってちゃんと食べる。移動中も勉強できるよう、参考書も鞄の中には用意していた。


「――おはよう、おにちゃん」


「おはよう、三久」


 寝間着から着替えて外に出ると、いつものように三久が待ってくれていた。


 今日、俺と一緒に東京に戻るのは、春風とエドワードの二人。三久も俺と一緒に東京について行きたがったようだが、三久は毎年お盆休みは三枝さんの実家に帰る予定なので、そこは我慢してもらった。


 そういうのもあって、今日の三久は浮かない顔をしていた。


「おにちゃん、大丈夫? 昨日はちゃんと寝れた? 気持ち悪いとか、ご飯が食べれなさそうとかない?」


 東京の実家に戻ることを決断してから、三久はずっとこんな感じで俺のことを心配してくれていて、昨日は寝る直前までずっと俺のそばでなんやかんやと世話を焼いて、なかなか自宅にも帰ってくれなかった。


 いつでも電話で声を聞くことは出来るが、顔を合わせることができないので、また、昔のように俺がいなくなってしまうのではないか、と不安になっていたのだ。


「大丈夫だって。移動に時間がかかるから帰りは明日になるけど、ちゃんと帰ってくるから」


「……約束だよ? もう前みたいにいなくなって、連絡も取れなくなって、なんてことはなしだからね?」


「うん、約束する。必ず帰ってくるよ」


 当然だ。東京あっちで父さんや母さんに何と言われようと、俺は意地でもここに帰ってくるつもりだ。


 縁を切ってくれるなら、土下座でもなんでもしてやる――そういう決意を心のうちに秘めて。


「だから、三久もお土産よろしくな。帰ってきたら、二人で一緒に食べよう。えっと鹿児島だっけ?」


「うん。でっかい『しろくま』は……さすがに溶けちゃうから無理だけどね。やっぱりお肉かな?」


「じゃあ、またバーベキューだ」


「かな。帰ったら、またお腹いっぱい食べようね」


「カナ姉とか他の人たちも呼んでな」


「うん」


 そう。俺にはまだこれからこっちでやりたいことが沢山残っている。結局まだ海で泳げてないし、直近の花火大会に、それから注文している三久へのプレゼントだってまだ完成していない。


 そして、夏だけでなくその先も。


 その後は、いつものように他愛ない話をしつつ、ランニングコースを走り切った。


 所要時間は……27分ちょっとか。目標の25分までわずかに届かないが、これも続けていけばいずれは縮まるだろう。ここでずっと走り続けていれば。


「じゃあ、行ってらっしゃい。出来るだけ早く帰ってきてね。私、待ってるから」


「うん、行ってきます。あ、でもその前に――」


 別れる直前、俺は三久を抱き寄せる。


 ……うん、やっぱりこの子がいないと、俺はもうダメみたいだ。


「もうちょっとだけ、こうしてていい?」


「うん、いいよ。私も、ちょうどおにちゃん成分を補充しておかなきゃって思ってたから」


「三久」


「おにちゃん」


 玄関の前なので、やっぱり色々なところから視線を感じるし、なんなら春風から『このバカップルめ……』という呆れ声まで聞こえたが、今回ばかりは見せつけるつもりでハグし合う俺と三久。


 周囲が呆れるぐらいのイチャイチャを終えて、俺と三久はゆっくりと体を離す。


 これで一日ぐらいは離れ離れでも大丈夫だろう。帰ってきたらまた同じようにやってしまうかもしれないが。


「あ、そうだ。おにちゃんがちゃんとまたここに帰ってこれるように、私から一言おまじないをかけてあげる」


「おまじない……それって本当に効くのか?」


「うん。多分、おにちゃんにはすごい効き目だと思う」


 そんな呪いみたいな魔法の言葉があるのだろうか……まあ、一応聞いておくけど。


「じゃあ、一度しか言わないから、よく聞いててね」


「うん」


 俺が三久のほうに耳を近づけると、三久は俺だけに聞こえるようにして囁いた。


「かえってきたら―――い―――――うね、おにちゃん」


「……え――」


「はい、おしまい。じゃ、私も東京のお土産期待してるからね」


 一言だけ俺におまじないをかけた三久は、顔を真っ赤に染めたまま、早谷家へと小走りで戻っていった。


「三久、それは……反則だよ」


 早口気味だったので、聞き取りづらい箇所はあったが、俺にははっきりと聞こえた。


 帰ってきたら……か。


 それは確かに、俺にとっては魔法の言葉だった。

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