第74話 けつだん 1


 まさか、春風が最初から俺の味方だったとは思わなかった。


 というか、未だにまだ信じられない気持ちのほうが強い。確かに、兄や両親と違ってそこまで当たりが強いわけではなかったが、家で顔を合わせても無視されることが多かったし、偶に話しかけられたと思ったら、大抵無理難題なわがままばかりだったからだ。


「……兄さんにひどいことをしていることはわかってたし、今も申し訳ないと思ってる。……でも、表向きに兄さんの味方をしていたら、父親あのひとは、きっと私と兄さんを無理矢理にでも遠ざけると思ったから」


 滝本家の中ではもっとも大事な『モノ』として父さんに扱われている春風だから、俺なんかと仲良くしていることがわかれば、きっとそうするだろう。遥のことを気にするのはもうやめろ、と理由も言わずに。


 俺の知っている父は、そう言う人なのだ。


「兄さんを新庄のお婆ちゃんのところに住まわせるって、あの人と悠希のバカが言ったとき、本当は嫌だった。でも、これで少しは兄さんも心の平穏を保てるかもと思いなおして、結局は何も言わなかったわ。あの時の兄さん、かなり追い詰められたように見えたから」


 そうして春風の予想通り、俺は、不安定な時期がありつつも、三久やカナ姉といった昔の繋がりのおかげで心の平穏を取り戻しつつあった。春風も、実家に送られてきていた成績表などの少ない情報を頼りに、兄の調子を心配していたという。


 そんな時に、悠希兄さんが事故に巻き込まれ。

 

 そして、不運にも起こってしまった緊急事態に対応するため、妹が俺のもとに駆り出された。


 これが、夏休み直後までにあった、春風側での出来事。


「兄さんの隣に幼馴染だとかいう三久このひとがいた時、正直ちょっとイラっとしたけど、でも、それと同時に安心もしてた。一か月ちょっと会わなかっただけなのに、兄さんは昔に戻ったどころか、まるで別人みたいな顔つきになってたから。ここにいれば、もう兄さんはなんの心配もないだろうって」


「じゃあ、春風ちゃんが私にものすごい口が悪かったのって……」


「そ、それは……」


 言い淀みつつも、春風は顔をほんのりと頬を主に染めて呟く。


「し、嫉妬よ。……悪い? 私がずっとできなかったことを、たった一か月であっさりやっちゃってさ……むかつくじゃん、そんなの」


「……うっわ。なんだこの妹、兄貴のこと超大好きじゃん。ブラコンのうえにツンデレとか、時代考えろよ」


「う、うるさいわね……兄さんの友だちか誰か知らないけど、わけのわからないこと言わないで」


 乃野木さんから思わず出た感想に、恥ずかしさで俺を見れずに顔をそらす春風。


 まさか演技でここまではできないだろうから、さすがに信用しなければならないだろう。


「春風、ありがとうな。まさか、そこまで俺のこと庇ってくれてたなんて思わなくて……出て行けだなんて言って、本当にごめんな」


「べ……別にお礼を言われるほどのことじゃないし……ちょっと試すような真似をしたのは事実だから……もう、は、恥ずかしいから、頭触らないでよ」


 とは言いつつも、特に抵抗する素振りは見せない。


 今まで生意気でしかなかった妹が、今日は久しぶりにとても可愛らしく見える。


 まさか、こんな時が訪れるとは夢にも思わなかった。


「……おにちゃん、頭はもういいから、早く次の話」


「なに? アナタ、恋人のくせして妹ごとき嫉妬してるの? いちいちそんなことでプリプリ怒ってたら、いつか兄さんに愛想つかされちゃうかも。兄さん、なにげにこっちでは女に不自由しなさそうだし~?」


「こ、この性悪……やっぱり春風ちゃんとは仲良くなれそうにない!」


「これはそっちのセリフよ、一号さん」


「……口喧嘩は後でやってね」


 うん、やっぱり春風はこっちのほうらしい気がする。


 ちょっと邪悪な顔つきだが、それでも楽しそうに笑っているのなら、兄としてはそれでいいと思う。


「で、ここからが、そこにいるバカ――エドワードが来た理由になるんだけど」


「ようやくだね、フウ。僕、待ちくたびれちゃった」


「犬は犬らしくお座りしてなさい、犬」


「まったく、フウはいつもこうなんだから――」


 やれやれと肩をすくめるエドワードを無視して、春風が本題を話始めた。


「ここまでの話で私の立ち位置をなんとなくわかってくれたと思うけど、私はずっと父親あのひとには嘘の報告を繰り返してた。『追い出されたショックがひどくて、とてもじゃないけど役に立つような状態じゃない』ってね」


 実際、模試の成績も乱高下していた時期だったから、春風はそれも根拠にして父さんには、俺のことを滝本家に連れ戻すべきでない、と連絡しつづけた。


 連れ戻せ、という父さんの命令に対して。


 だが、父はそれを決して信用しなかった。春風の報告が嘘なのではないかと、三久との電話での会話もあって疑っていたわけだ。


 俺のためにわざわざ相手の土俵に乗り込んで喧嘩を売ってきた三久が、遥の支えになっていないはずはない、と。


「――それで、フウの婚約者である僕が駆り出されたってわけさ。もちろん、色々な指示を受けた上でね。……どうぞ、これが証拠デス」


 そう言って、エドワードがこちらに見せてきたスマホの画面には、父さんが彼に送ったと思われる指示があった。メールアドレスも、父さんのもので間違いない。


 春風の言っていることが真実だった場合、嘘だった場合の対応など、父さんらしく、事細かに記されていた。


 その中で、俺の目に留まったのは――。


『③ 遥が早谷三久と交際していた場合』


「……ただ連れ戻すなんてとんでもない。お義父さんにも、ちゃんと譲歩する気持ちはあるんですよ」


 おそらく外ではそうされるよう訓練しているのだろう、まるで営業マンがするような笑顔で、エドワードは続ける。


「あなたが滝本家に戻っても、引き続き三久さんとの交際については全面的に認める――お義父さんはそう言っているのです」

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