第73話 にいさん
※※
私、滝本春風が産まれたこの家が、他よりも大分おかしいことであると気づくのに、そう時間はかからなかった。
物心ついたときから感じていたが、特に父親。
まず、私は父親の体温や感触、匂いというものを知らなかった。私は生まれつき普通の人より抜群に頭が良いらしく、幼少期の記憶などもしっかりと脳に収まっているのだが、私のストレージのどこを探しても、抱かれたどころか、触れられた記憶すら残っていない。
愛されていなかったことは、その時すぐに感じた。
にもかかわらず、父親は私のことを細かく管理したがった。母親にあれこれ指示していた。食事はどうとか、勉強はどうとか。
決まった時間に決まった献立を食べ、決まった時間に勉強をとり、指定された時間だけ休憩時間を与えられ、そして、指定された時間には就寝させられ、そして起床させられる。
本人たちからしたら、それで大事に育てているとでも思っているのだろうが、私からすれば、ただの物扱いでしかなかった。
『――私はお前の将来のことを思ってそうしている』
以前聞いた父の言葉だったが、心の中では『嘘つけ』としか思わなかった。
自分たちを含め、この家は、『格』や『名誉』なんていう、時間が経てば過去の栄光にしかならないような、そんなくだらないものを維持するため必要な道具だと、そう言っているようにしか思えなかった。
それは自分たちの周りを見渡せばすぐにわかることだった。私は生まれてからずっと一番で、同年代の子供たちは私なんかよりずっとバカだったけど、その分だけ幸せそうに見えた。
泣けば家族の誰かが心配して駆け寄ってくれるし、抱きしめてくれる。父親か母親かもしくはその両方と手を繋いで、バカみたいに嬉しそうにして歩いている。
――いいな。
そのことがうらやましいと思ったのか、私は一度だけ盛大にぐずったことがあった。
やり方がよくわからなったので、とりあえず周りの子たちと同じようなことを真似してみた――泣きわめいたり、嫌だ嫌だと暴れてみたり。それでどういう反応をしてくれるか観察していたのだが。
『――起きなさい』
『――食べなさい』
『――勉強しなさい』
『――休みなさい』
『――もう寝なさい』
父親はそうやって、ぐずる私に何度も何度も、私が言うことを聞くまでそう命令をし続けたのだ。
慰めの言葉をかけるでもなく。
近くに駆け寄って頭を撫でるでもなく。
ただ、私のことを自分の目線から私のことを見下ろしていた。初めの内は母親も困っていたが、すぐに父親と同じことをやるようになった。
その時、私は演技以外で初めて涙を流した。自分の思い通りにならない悔しさと、いくらやっても無駄だという空しさが一緒になって。
父親がその場からいなくなって、演技をする必要がなくなっても、涙が止まらなかった。
私のことを本当の意味で心配してくれる人間なんて誰もいない――そう結論づけて、私が涙を拭おうとしたとき、
『……春風、だいじょうぶ?』
そんな優しい声とともに、遥兄さんが、私のことを抱きしめて、慰めるようにゆっくりと頭を撫でてくれたのだ。
――大丈夫じゃないもん、バカ。
自分以外で初めて感じた兄さんの匂いや体温、心臓の鼓動に、せっかく引っ込みかけていた涙が再びとめどなくあふれ出したのを感じた。
そんな私に兄さんもどうしていいか戸惑っていたけれど、結局は私が泣き止むまで、ずっと同じ体勢のまま、私のことを抱きしめてくれていた。
遥兄さんは家族の中で一人だけ浮いていて、何をやらせてもダメダメだった。いつも悠希にいじめられて泣いていたし、試験になるとすぐにお腹を壊したり、気分を悪くして両親を失望させていたけれど。
それでも、私にとっての『家族』は、遥兄さんただ一人だけだった。私がどんなにくだらないわがままを言っても、兄さんだけは私のことを構ってくれていたから。
――ふふ、ダメだね、兄さんは。
兄さんに構ってほしくてちょっとだけ意地悪をしていた時に、いつも耳元で囁いていた言葉。
ダメだね、兄さんは。
でも、大丈夫だよ。
私だけは、兄さんの味方だから。
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