第67話 くちづけ
一時はどうなるかと思ったものの、頭の傷のほうはすぐにふさがり、脳のほうにも特に異常はないということで、後は抜糸を待つだけになった。
七針縫ったのでやはり傷跡は多少残るそうだが……まあ、不幸なこと以上の幸せももらったので、いい記念としてポジティブにとらえておこう。
記憶には絶対に残るだろうし。
予備校のほうは念のため二、三日ほど休みをもらった。乃野木さんもかなり怪我のことを心配していたから、そろそろ顔を見せてあげたいところだ。
「んぅ……朝か」
朝。まだ太陽も顔を出して間もないころだから、早朝と言ってもいい。
そんな時間に起きた俺は、汗をかいてもいい服装にすぐさま着替え、まだ寝ている春風や祖母を起こさないように、ゆっくりと階段を下りる。
「――おはよう、おにちゃん」
「おはよう、三久」
玄関を出ると、いつものように三久が出迎えてくれる。今日はTシャツにハーフパンツとスニーカーといういで立ちだが、それにはきちんと理由があった。
「ありがとうな。俺の体力づくりにわざわざ付き合ってくれて」
「ううん。私も部活休みの間は少しぐらい体動かしとかなきゃなって思ったからちょうどよかったよ」
怪我の出来事をきっかけに、ひ弱な自分を変えたいと思った俺は、まず体力づくりということで、毎日早朝にランニングをすることに決めた。もともと勉強漬けで寝る時間が安定していなかったし、運動不足だったので、まずはそこの改善をしようと思ったのだ。
そして、今日はその初日。早朝のランニングには色々とメリットが多いとされているし、きちんと習慣化させて、これからの勉強にもいい影響が出るよう心掛けなければ。
三久のため……俺の大事な恋人のためにも。
「……おにちゃん、どうしたの? 顔赤いけど」
「いや……その、恋人になったんだよなって思ってさ。俺たち」
「! えっと……そ、そう、だね……」
告白して、OKをもらって、俺と三久は『幼馴染』から『恋人』になった。
もちろん、だからといってそこまで何かが劇的に変わったわけではない。朝起きればいつものようにおはようのメッセージを送りあって、寝ぐせでボサボサの髪を綺麗に直してもらって、朝ご飯を一緒に食べて。
まあ、病院から退院してすぐぐらいの時は、いつも以上に三久が俺からくっついて離れてくれなかったが、それぐらいであとは本当に今までと変わらない。
改めて、俺は三久のほうを見る。ボーイッシュ気味の髪型に、日に焼けた小麦色の健康そうな肌。身長は由野さんや御門さんなど、他の子に較べれば平均より少し低いし体の線も細いが、水泳で鍛えているだけあって程よく締まっている。
本人はもう少し体型に凹凸が欲しいと思っているようだが、俺は今のままでも全然構わない。
あと、なんといってもやっぱり顔が可愛い。顔全体もそうだが、鼻や唇は小さくてかわいいし、何より笑顔がかわいい。いや、笑顔じゃなくても、機嫌を悪くしてむくれている顔もかわいい。泣き顔はあまり見たくないが、それだってとても愛おしく感じる。
恋人になってから、よりその思いが強くなったような気がする。
「な、なんもう……そんなジロジロみて」
「あ、いや……こんなに可愛い子が俺の彼女になってくれたって思ったら……その、嬉しくなっちゃって」
後、告白を機に、少しずつ自分の気持ちを素直に表現していくよう心がけている。
怪我をしたときもそうだが、人間、いつどこでどうなるかわからない。だから、周りに人がいる時は恥ずかしくても、こうして二人きりのときは正直になろうと決めたのだ。
「も、もう、おにちゃんってば……ほら、早くいこっ」
かーっと顔を赤くして走り出す三久だったが、それでも握った俺の手は決して放さない。
そういうところも、最高にかわいい。
この子を選んでよかったと心から思う。
その後は、三久が予め決めくれたコースをゆっくりと走る。裏山の外周をぐるっと一周する道のりで、約五キロ。
「ほらほら、おにちゃん頑張って! あと三分の一だよ!」
「ぜえ……あ、ああ」
五キロぐらい余裕だろうと思っていたが、これまで勉強漬けで運動とは無縁だった体にはきつい。家から出ておよそ20分で約三キロと少しだから、ペース的にはかなり遅い。今は俺と並走している三久だが、普通に走るとすでに終わっているらしい。
目標は25分ほどでコースを走り切ることだが、果たしていつになることやら。
そこから三久の応援を受けながら、15分ほどかけてようやく俺は自宅前にたどり着いた。
「はい、とうちゃ~く。ふう、やっぱり体を動かすのは気持ちいいね。一日が始まったって感じするよ」
「……俺はもう一日が終わった感じするよ」
元気いっぱいな三久とは対照的に、俺はすでにバテバテだった。ここからさらに予備校に行って、授業を受けて、帰ったらきちんと勉強をして……気が遠くなるが、いずれ慣れると信じて頑張ろう。
「ふう、多分もうおばあちゃんも起きてるだろうから、家に戻って着替えて朝ごはんを……」
「――あ、ち、ちょっと待って」
首に巻いたタオルで汗をぬぐって家に戻ろうとすると、三久が俺のシャツの裾をくいくいと引っ張ってきた。
「ん? どした?」
「えっと、あのね……今周りに人とか、いないから……その、」
体をもじもじとさせながら、三久は俺にぼそりとお願いする。
「おにちゃんと、その……ち、ちゅーとか、したいかなって」
「あ……」
ちゅー。つまりはキス。
そういえばそうだった。
告白をしたときも、病院から退院したときも結局人目があってできなかったことがあった。
今まで三久とキスをしたことは何度かあるが、頬だったり、首元だったり、またはカナ姉による不可抗力だったりで、きちんと自分たちの意思で口づけをしたことはまだない。
「そ、そうだったな」
「う、うんっ……だから、ね?」
そのことを意識すると恥ずかしいけれど、しかし、それ以上に三久とキスをしたい気持ちが勝った。
もっと三久といたい。もっと三久に触れていたい。
幼馴染じゃできないことを、三久と一緒にしたい――だからこそ、俺は三久に告白をして、恋人になったのだから。
「じ、じゃあ……」
「うんっ……」
周りの音はもう聞こえない。今、俺には三久のことしか見えない。邪魔するものは、もう何もない。
「三久、好きだよ」
「私も、おにちゃんのこと大好き」
告白をした後、もう何度も確認した気持ちをもう一度通じ合わせて。
俺と三久は、お互いにひかれあうようにして、ゆっくりと唇と唇を重ね合わせたのだった。
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