第66話 こくはく


「三久」


 いつからそこにいたのだろう。三久は、ちょうど俺のベッドから見えないぐらいの位置にいた。


 顔の方は、よく見えない。俺が声をかけた瞬間、そっぽを向いてしまったのだ。


「どうしたんだ? 俺ならもう大丈夫だから、ベッドのそばに来ても――」


「や……い、今はだめっ」


 俺から顔を背けたまま、三久は手だけ振って俺から半歩離れた。


 そこにいたら他の人にも迷惑だろうし、できれば中に入って欲しいのだが。


「ダメ? どうして?」


「うくっ……だって、今、顔すっごいぐしゃぐしゃで……瞼なんかこすり過ぎて腫れちゃってるし、こんなのおにちゃんに不細工だって思われちゃう……」


 今もまだべそをかいているのか、三久はしきりにぐすぐすと鼻をすすっている。


 俺が怪我してからもう大分時間も経っているというのに……それだけ俺のことを心配して気が気でなかったのだろう。


「いいよ。三久が不細工でも、俺は気にしないから」


「でも……わたし、」


「三久」


「っ……」


「お願い」


「……目、つぶっててくれるならいいよ」


「わかった」


 頷いてすぐに目を閉じると、とてとてと子犬のような足取りで三久が俺のもとに近寄ってきた。


 その後、すぐに胸のあたりにぬくもりを感じた俺は、目をつむったまま、三久のことをしっかりと抱き寄せた。


 いつもの三久の匂いが、不安だった俺の心を落ち着かせてくれる。


「目、開けてもいい?」


「……だめ」


「今なら見えないよ」


「やだ」


 そう言われてしまったら仕方がない。


 目をつぶったまま、俺は三久の話を聞くことにした。


「……私ね、おにちゃんが血だらけになってるとき、何もできなかったの。ゆっぺとカナ姉が必死に血を拭いて、救急車呼んで、ってなってるのに、このままおにちゃんの目が覚めなかったらどうしようって、そんなことばっかり考えて、泣いてばっかりで」


 訊くと、救急車には由野さんやカナ姉と一緒に乗り込んだらしいが、三久はなにも出来ず、ただ見ていることしかできなかったのだという。余計なことをして俺になにかあってはいけないと、指一本触れることすらしなかった。


「大した怪我じゃないから大丈夫だろうって言われた時は安心したけど……逆にそんなことで何も出来ずにポロポロ泣いてた自分が情けなくて、恥ずかしくて……」


「それで俺に合わせる顔なんかないって?」


 こく、と三久が俺の胸に顔を埋めたまま頷く。


「私、ずっと傍にいてあげるって言ってたのに、今度は私がおにちゃんのことを守るんだって思ってたのに……いざとなったら、ゆっぺにもカナ姉にもかなわないし、後から来た春風ちゃんには『あんたが泣いてどうすんのよ』って呆れられちゃって。今だって、私がしっかりしなきゃって思ったのに、結局はおにちゃんに甘えて……うっ、ぐすっ」


 せっかく泣き止もうとしていたが、俺が目を覚ましたことで緊張の糸が切れたのか、三久は再び肩を震わせ始めた。


 今回ばかりは不可抗力とはいえ、また三久のことを泣かせてしまった。三久にいいところを見せようとすると邪魔が入る星の下にでも生まれてしまったのだろうか。


 そのタイミングの悪さは、自分でも呆れるしかない。


 もう泣かせないと誓ったのに、また俺は好きな女の子のことを不安にさせて、泣かせて。死ぬほど格好悪い。恥ずかしい。


 でも、そんな情けない自分でも、俺は。


「三久、俺、お前のこと好きだ」


「え――」


 ぎゅっと抱きしめたまま、俺は三久に告白した。


 本当はもっとふさわしい場があって、そのための準備もしていたのだが、もう我慢できなかった。


 こんな格好悪い俺のためにここまで顔を腫らして、涙を流してくれる女の子を、安心させたいと思った。


「……おにちゃん、目、開いてる」


「ごめん。でも、ちゃんと三久の顔を見て言いたかったから」


 涙で滲んだ目じりを指でやさしくふき取ってあげながら、俺は間近で三久の顔をじっと見た。


 絶対に言わないが、本人が言う通り、ちょっとだけ不細工になっていると思う。くりっとした丸い瞳は腫れた瞼の奥に隠れてしまっているし、鼻もかみすぎたのか、そこだけ異様に赤い。


 いつもの元気な美少女顔が台無しだが、そんな顔でも俺にとってはたまらなく愛おしい。


「こんな場所で、不意打ちみたいなことしてごめん。でも、これ以上我慢できなかった」


 ドキドキとする胸を落ち着かせるために、すうっと息を吸って、俺は続けた。


「――好きです。俺と付き合って……ちゃんとした恋人になって、ずっと俺のそばにいてください」


「おに、ちゃん――」


 俺の告白に、始めのうちは顔をぼーっとさせていた三久だったが、時間が経つにつれて思考が追い付いて来たのか、再び瞳から大粒の涙をポロポロとこぼれさせた。


「三久、また泣いてる」


「だって、そんなの仕方ないやん……いきなり好きな人にそんなこと言われたら、誰だってこんなふうに――あっ」


「あっ」


「い、言っちゃった……」


 つい本音がぽろりと口から零れ落ちたのに気づいて、三久が顔を真っ赤にさせて俯いた。


 多分三久も俺と同じ気持ちだと確信していたが、やはり相手の口からはっきり聞けると、たまらなく嬉しい。


 俺は三久のことが好き。そして三久も俺のことが好き。


 99.9%だった確率が、今、100%になった瞬間だった。


「本当はもっとちゃんと返事しようって思って、セリフとか、他にも色々考えてたのに……おにちゃんのバカ」


「ごめんな。俺も俺で色々考えてて、今日のバイトはそのためにやってたんだけど……まさかこうなるなんて」


 計画のほうは台無しになってしまったし、色々と締まらないオチだったが、それでも、このタイミングで告白してよかったと思うし、後悔はない。


 今、俺の腕の中に、三久が、大好きな幼馴染がいる。


 それ以外は、もう何もいらなかった。


「じゃあ、これからは『幼馴染』じゃなく『恋人』として……よろしくお願いします」


「う、うん……あ、でもその前におにちゃんに一つだけお願いしたいことがあるんだけど、いい?」


「いいけど……なに?」


「うん、えっとね……」


 俺の目の前で瞳を潤ませたまま、三久は続けた。


「もう、どこにも行ったりしないで。頑張らなくてもいい、格好いいところを見せなくても、悪い人を怖がって格好悪いところを晒したっていい。勉強ができなくても、試験がうまくいかなくても、妹にバカにされても、ご飯が食べれなくても、眠れなくても、年下の女の子がいないと安心できないようなダサい人でいい。だから、それでもいいから、」



 ――私の前から、いなくならないでください。


 ――そんなのもう、一分一秒だって耐えられないから。


 それが、12年前からずっと抱いていた、三久の本当の気持ち。


 これにちゃんと応えてあげるのが、多分、俺の役目なのだと思う。


「――わかった、約束する。夏が終わっても、秋になっても冬になっても、これからはずっと一緒だ」


「……うんっ」


 嬉し涙を流したまま、三久は満面の笑顔で言った。


「――おにちゃん、だいすきっ」


 俺の記憶の中に大事にしまってあった、昔に見たそのままの顔で。

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