第63話 せっきゃく


 店が有名になるのと引き換えに、やはりこういう人たちも頻繁に押し寄せるのだろうか。


 すでにどこかで遊んできたのだろうか。水着の上にシャツだけ羽織ったガタイのいい男性客が、店の待機列を無視してずかずかと店に入ってきた。


 外見だけでどうこう言いたくはないが、駐車場での迷惑をまったく考えない振る舞いから考えても、まあ、人間なのかは想像に難くない。


「三久、アンタはちょっと裏の控室で休憩な。終わったらあとで呼ぶから」


「カナ姉……う、うん」


 三久をすぐに店のバックヤードに避難させて、一時的に三人態勢に。店の人も微妙に空気を読んでか、店内が微妙な雰囲気に包まれた。


「あ、すいません~、今満席なんで、こっちのほうに名前を書いて――」


「あ、俺らそういうのいいから」


「いやいや、他の皆も待ってるんで――」


「あ? なにお前?」


「え、いや――」


 お店の手伝いをしてくれていた男性が頑張ってくれたが、もっていた看板を男の一人が強引に奪い取られてしまった。


 まるで猿かゴリラ――これまで俺の周りにいる人たちは人間性はどうやれほとんどが理性的な人たちだったから、ここまでの人たちは逆に物珍しく感じる。


「いや、俺らもこの後あんま時間ないのよ。待ってる客はその時間があるから待ってるけど、俺らにはないからさ。お客様の都合に合わせてそういうの臨機応変に対応すんのが、経営者としては必要なんじゃね?」


「そーそー、他の奴らからもなにも言ってこないし、前を譲ってもらったってことでさ。それでいいっしょ~ねえ、外でお待ちのみなさん??」


 それは文句を言う事で面倒なことを避けるために黙っているだけで、譲ったわけでは断じてない。


 自分の都合しか考えず、周囲を威圧して我を押し通す――なんて人たちなのだろう。


「久しぶりに暑さで頭にウジ湧いた年一レベルの年少さんが……遥、やっぱりここは私がやるから、アンタは他の案内を」


「いや、僕がやってみるよ。帰ってもらえばいいんだよね?」


 これも事前に聞いていた通りだ。店のルールを守れない客は客じゃないから、その時点でお帰りいただくようお願いする。これだけだ。


 勉強ばかりでやせっぽちの俺より一回り以上大きいから恐怖感はあるが、なにかあればカナ姉やオーナーさんがいる。


 何事も経験だ。いずれは俺もきちんと社会に出なければいけないわけで、理屈が通じないような、こういう手合いにも慣れていかなければならない。


 大丈夫――そう心の中で呟いて、お手伝いをしてくれたお客さんと入れ替わるようにして、俺は迷惑客の男たちが陣取っているテーブルへ。


「――あの、お客様」


「そんでさ、あのクズがわけわかんねえこと言ってっからさ、俺マジ切れでさ。気づいたら、アイツのケツ穴俺の灰皿になってたわ」


「ギャハハ、お前ヤバすぎ。マジサイコパスだわ」


「ありえね~、ってかそれいつものフカシじゃねえの?」


 きちんと声を張ったし、男たちの耳にも入っているはずだが、俺の呼びかけなどお構いなしに談笑を続けている。おまけに禁止している喫煙までしだす始末で、これでは店内の他のお客さんにとっても明確に邪魔だ。


「――あ、あのっ!」


「あん?」


 今度は軽く肩を叩きつつ、頑張ってさらに大きな声を出した。


 おかげでようやくこっちを見てくれたが、予想通りすごい目つきですごまれた。


「あ、あなた方にお出しする商品はなにもありませんので、お帰りください」


「は? たかがバイトのクセにお客様の俺らに何言ってんだコイツ」


「ってか、なにさっきの『あ、あなた方に――』やつ。ちょっと声かけるぐらいで超ビビってんの」


「……お帰りください」


 何を言われても気にせず、俺は店で働く人間として、こちらの要求を伝える。


 イラついてはいけない。ここで同じレベルに堕ちてしまうと、それこそ相手のペースだ。


 再三の注意にも応じない場合は、オーナーさんが警察に連絡をする手筈となっている。


「おっ、おっ、お帰りください~だってよ。どうする?」


「はぁ~あ~! せっかく来てやったってのによ~、有名になったからって、エラっソーにしやがって!」


 バン! テーブルを叩いて男の一人が立ち上がった。突然のデカい音に一瞬ドキリとしたが、ここで表情に出してはいけない。ちゃんと昨日頭の中でシミュレーションした通りだ。


「ったく、テメエじゃ話にならんから別のヤツ連れて来いよ。……あ、そういえばさっきまでホールやってた女の子いたじゃん。その子に接客してくれたら、もしかしたら俺らも言うコト聞いちゃうかも」


「っ……!」


 どこで見ていたのだろうか。もしかしたら、最初から三久にちょっかいをかけることが目的だったのかもしれない。


 ……このクソ野郎ども。


「お帰りください」


 休憩中とも何も言わず、先程の要求をロボットのように繰り返す。


 というか、絶対に三久をこいつらの前に出してやるものか。ちらり、と奥の方で俺のことを心配してみている三久が映ったが、まだ俺はなんともないから今はしっかり隠れておいてほしい。


「――ちっ、じゃあドリンクは。それならすぐに出してくれんだろ?」


「あなたたちにお出しするものは何もありません」


 ここで譲歩してはいけない。譲歩した時点で、『じゃあ先の子に持ってきてもらってよ』となるのが確実だからだ。


 俺がきっぱりと言い切った瞬間、どこかかからパラパラと拍手が鳴り響く。どうやら先ほどまで手伝ってくれたグループの人たちが心配して様子を見てくれているようだ。


「――は~……はいはい、そーですか。もー二度とこねえよ、こんな店。おい、行くぞ」


「あいよ~」


 他の客たち全員の視線が集中しているのに気づき、さすがにこれ以上は無理だと思ったのか、男たちがそんなセリフを吐きながら席を立ってそそくさと退散していく。


 初めての対応で正直かなりの緊張だったが、上手くいって良かった。カナ姉も、そんな俺を見て笑顔で頷いてくれている。


 とりあえず、なんとかこの場を切り抜けた――そう安堵しかけたとき、テーブルの上に先ほどの客が忘れていったタバコとライター、携帯灰皿らしきものが残っているのを発見した。


 これでまた変な言いがかりをつけられるのも困るし――一応、持って行ってやらないと。


「カナ姉、ちょっと行ってくる。三久、ちょっとだけ一人で頼んだ」


「あ、おにちゃん――」


 忘れ物を手にとって、俺は店の階段をすごすごと降りようとしている男たちを追いかけていく。


「あの、大事なものをお忘れですよ」


 そう呼びかけて、先程と同じように男の肩に触れた瞬間。


「ああっ!? んだてめえっ!! まだなんか用かっ!!」


 突然俺に向かって激高した男が大きく腕を振るってきた。そちらほうは運よく当たらず、吹き飛ばされることはなかったのだが、


 ――ガクンッ!


「!? わ、と――」

 

 その拍子に、階段から足を踏み外して転んでしまったのである。


「ってて……ちょっと、いきなりなにを」


 階段自体は二段ほどしかないので、多少お尻と背中を打っただけで済んだが、これがまともな階段だったら、大怪我になっていたところだ。


「あの、忘れ物があったので持ってきたんですが……」


「あ、ああ。そっか、悪い。おい、早く行くぞ」


「え? でもコイツ――」


「良いから、さっさとずらかるぞ」


「??」


 そう言って、男が俺の手から喫煙具一式をひったくって、さっさと車に乗り込んでいってしまった。


 どうしたのだろう。さっきまでかなり威勢がよかったはずなのに、急に怖気づいて逃げて――最初から最後までおかしな人たちだ。


「っと、こうしちゃいられない。早く店に戻って続きを――」


 ――ポタリ。


「……ん?」


 と、階段を上ろうとしたところで、一滴、二滴、と赤い液体が染みを作ったのに気づいた。


「いやあっ! ねえ見てここの石、血がいっぱいついてる!」


 どこからか人の声がしたのを見て、ちょうど俺が転んだあたりのほうへ目を向けると。


 ぞくり、と全身に嫌な予感が走った。


 恐る恐る、ゆっくりと手を自分の髪の毛を触って。


「……いやいや、こんなのありかよ……」


 次に俺が見たのは、自分の血で真っ赤にそまった手のひらだった。


「あ、たっきもっとさ~ん♪ 風の噂でバイトしてるって情報をキャッチしたんで、きたん、です、け――」


 ちょうどやってきたらしい由野さんと目が合った瞬間、由野さんがもっていたスマホを地面に落とす。


 どうやら、かなり出血しているらしい。


 あれ、もしかして、俺かなりまずい状態なんじゃ――。


「由野さん、ごめん、おれ――」


「滝本さんっ、滝本さんっ! 店長っ! 三久っ! 誰でもいいから、はやく、はやくきてっ!!! 滝本さんがっ……!!」


 途中までうまくやれてたと思ってたのに、まさか最後にこんな落ちが待っているとは――。


 由野さんが俺のことを必死に呼びかける中、どんどんと俺の意識は遠のいていった。

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