第57話 うらやま 1


 さらにその翌日。


 約束通り、俺と三久は二人きりで出かけることとなった――と行っても、家の周りなのだが。


 三久も、昨日のような女の子らしいかわいい服ではなく、動きやすいラフな格好をしている。


「で、今日はどこに行くんだ?」


「ああ、うん。ちょっと裏手の山をおにちゃんに案内したくね。あの時以来、行ってなかったでしょ?」


 あの時、というのは昔、裏手の山で俺と三久が二人でかくれんぼをしていた遊んだ時のことだ。三久が見つけられなくて、三久がいなくなったと俺が勘違いして泣きべそをかいてしまった、今となってはちょっと恥ずかしい思い出。


 新庄家と早谷家は、その山の坂道の途中にある広めの土地にそれぞれ建てられている。さらに上ると山の奥へと行けるのだが、三久はそこに行こうと言っているのだ。


「あ……でも、この山って危ないんじゃなかったっけ? たまに猿とか猪とか出るって……」


「それは昔の話で、大分前にいなくなっちゃったんだって。餌がなくなって、違う場所にいったとかなんとか」


 変わってないように見えて、ここの環境もわりと様変わりしたということか。自然界も意外に世知辛い。


「それにほら……今日は私、ずっとおにちゃんのそばにいるから。いなくなったりしないから大丈夫だよ。ね?」


「そ、そっちは大丈夫だから」


 ぎゅ、と三久が俺の腕に抱き着いてきた。肌に直に伝わる三久の体温と、押し当てられる胸の柔らかさに思わず動揺しかけたが、なんとか踏みとどまった。


 いつもやられていることのはずなのに、もう慣れているはずなのに、今は妙に意識してしまう。


 三久も同じ気持ちでいてくれているだろうか。


「じゃあ、行こうか。あと、その……手はどうする?」


「つなぐ! デートなんだから、当然でしょっ」


「そですか」


 昔を思い出すように手を繋いで、俺と三久は並んで山道を登り始めた。


 成長してから見る裏手の山は、予想以上に低く感じた。幼かった時は、迷子になったら絶対に家に戻れないとさえ思っていた場所だったのに。


 坂を上り、やがて現れた階段を上ると、山の頂上には小さな神社があった。


 二、三人が一緒にくぐれる程度の鳥居と、その先にちょこんと鎮座している賽銭箱。きちんと手入れはされていて、雑草などは生えておらず綺麗だ。その脇にはお地蔵さんのようなものがあり、地域の人が供えたと思しき日本酒のカップが置いてある。


「初詣とかは別のもっと大きい場所に行くんだけど……たまにお散歩するときは、こうしてお参りとかしてるんだ」


 せっかくなので、財布からそれぞれ五円玉を取り出し、お参りをしておく。やり方ぐらいは知っているが、実際にやるのは初めてで、なんだかやけに緊張した。


(何をお願いしようか……)


 普通に考えれば合格祈願あたりになるのだろうか。だが、それは初詣の時にもやるだろうし……と、なると。


(三久が、俺の好きな女の子がずっと元気で笑っていられますように)


 恋人同士になれますように、とは思わない。この気持ちが叶う叶わないにかかわらず、俺の隣にいる女の子には幸せになってほしいと思う。


 ……もちろん、俺と恋人同士になって、それで三久が幸せになるのであれば最高だけど。


「おにちゃん、お願いのほうは終わった?」


「うん。三久は?」


「私もしっかり念送っといた。じゃ、次行こっか」


「まだあるのか?」


「当たり前でしょ。というか、こっちのほうが本命」


 どうやらこれで終わりではないらしい。何もないと思っていた裏山だったが、意外と見て回るところはあるらしい。


 来た道を戻らず、俺たちは別の階段を使って山道を降りていく。ここは山の反対側からも自由に行き来できるよう、山道がいくつか用意されていて、基本的にそれに沿って歩けば、元の入口まで戻れるようになっていて迷うことはほぼないらしい。


「あ、ほら見ておにちゃん、あそこだよ」


 山道をしばらく下ったところ。三久が指さした先に、小さな滝のようなものが見えた。頂上付近から湧き水がでているようだが、水の勢いがかなりあって、小川のようになって麓の方まで続いている。


「へえ、裏山にこんな場所があったんだな」


「うん。ここの水ってすごい綺麗でおいしいみたいで、ウチもたまにここに水汲みに来たりするんだ。ちょうど今みたいに、夏はちょっと涼んだりもできるし」


 コケの生えた岩に足を滑らせないよう、慎重に下りていく。


 近くで見てみると……確かに、冷たくて良く透き通っている。手ですくって一口飲んでみると、ほのかに喉の奥に甘みを感じるような。とても美味しい。


「どう? 気に入ってくれた?」


「うん。ここなら人も少ないし、海に行くよりいいかもな。……あ、もちろん、三久と行きたくないとか、そういうことじゃないぞ?」


「あはは、わかってるよそんなの。……ねえ、もうちょっとあっち行ってみない?」


 三久に手を引かれるまま、今度は湧き水がたまっているくぼみのほうへ。水が透き通っているのでわかりにくいが、意外に深さもあってそれなりに広い。入って泳ぐことも出来そうだ。


「……おにちゃん、あの、ちょっといい?」


 ちょうどいい岩に腰かけて足首まで水に浸からせて遊んでいると、それまで普通だった三久の様子がちょっとおかしいことに気づく。


 顔は赤いし、しきりに体をもじもじとさせている。あと、誰もいないことを確認するためか、時折周囲をキョロキョロと見回していて、明らかに挙動不審だ。


「三久、どうした?」


「あのね、今日ここに来た理由なんだけどね。もちろんこの場所をおにちゃんに教えたいっていうのもあったんだけど、他にもう一個見せたいものがあって」


「まだ何かあるのか?」


「うん。……おにちゃん、一か月半前ぐらいに、ゆっぺとまりと四人で買い物に行った時のこと、覚えてる?」


「うん。夏休みに海に着ていく水着、選びにいったよな」


 俺と乃野木さんの仲を勘違いした三久が途中でいなくなったり、色々と大変だった覚えがある。もちろん、今となってはいい思い出だが。


「おにちゃん、私がおにちゃんに見せたあの水着のことは、その、覚えてる?」


「え、え~と」


 もちろん覚えている。というか、忘れようと思っても忘れられない。


 人前に出るにはちょっと露出度が高い水着――三久のことを異性としてすごく意識し始めたのは、あれがきっかけといいぐらいの出来事だった。


「もちろん普通の水着も買ったんだけど……じ、実はあの水着も、こっそり買っちゃってて」


「……え?」


「で、実は今、この服の下にそれを着てるんだけど……」


「――――」


 情報が多すぎてちょっと処理しきれない。


 三久があの水着を買っていて、しかも今、それを服の下に着ていて。


「おにちゃん……私の服の下、どうなってるか気になったりとか、する?」


 ぼそりと呟かれた三久の言葉に、俺の心臓がとくん、と跳ねた。


 三久が、俺にぐいぐいと迫っている。

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