第56話 ほうもん


 乃野木さんのアドバイスというか叱咤を受けた俺は、帰ってすぐに三久の家を訪ねた。


 今日の朝、ちょっぴり避けてしまったことをまず謝りたいと思ったからだ。


 メッセージのほうは送っていて、三久も『気にしてないよ~』との返事だが、やはり直接会わないとダメだと思うし、あと、やはり単純に三久の顔を見たいというのもある。


「あらあら、遥くん。どうしたの? 珍しいじゃない」


「すいません、突然。あの……三久、いますか?」


「もちろん。暇そうに部屋でゴロゴロしてるわよ。ちょっと呼び出すから、そこで待ってて」


 そう言って、三枝さんはその場で大きく息を吸い――。


「三久~! 遥くんが遊びに来てくれたわよ~! 立ち話もなんだから部屋にあげちゃうけどいいわよね~?」


「へぅ!? おにちゃん!? な、なんでなんで……いや、そうじゃなくてお母さんダメっ! いま、今ちょっと……ちょっとアレ……!」


 どたんどたんっ、と上から三久の足音が聞こえる。ここから響くぐらいだから、相当慌てているらしい。


「あの三枝さん、俺、外で待ってるので……」


「ダーメ! いつも三久がお呼ばれしちゃってるんだから、たまにはウチも遥くんのもてなしてあげないと」


 出ようとしたところで、三枝さんにがっちりと捕まえられてしまった。すまない、三久。俺は三枝さんの言うことには逆らえない。


「うふふ、じゃあ、三久の準備が整うまでリビングで待ってましょうか」


「すいません、お邪魔します」


 晩御飯は祖母が用意してくれているはずなので、お茶菓子だけご馳走になるということで、俺は早谷家のリビングへ。


 そういえば、こうして早谷家にお邪魔するのは何気に初めてだった。さかのぼっても、おそらくなかったと思う。


「元々三人で暮らす予定で建てた家だからね。狭くてごめんなさい」


「いえ。いつもは畳なので、フローリングはなんか久しぶりで新鮮ですね」


 と言っても、畳のリビングもまだ2か月ぐらいなのだが。


 ソファに座らせてもらって、一瞬、その柔らかさに驚く。三枝さんにくすくすと笑われてしまったが、こういうのに座るのは本当に久しぶりなので仕方ない。


 なにせ実家では床にはいつくばっていた時間がほとんどなのだ。言ったら空気が確実に悪くなるので絶対に言わないが。


 ちなみにこの場所は慎太郎さんがいつも座っているところらしいが、どこうとしたらやっぱり三枝さんに肩を掴まれてしまった。


「遥くんはここに座ってていいのよ? むしろ自分のものだと思うぐらいでいいのよ? 夫のことは気にしないでいいのよ?」


 なぜか今日は三枝さんからの圧がすごい。今だけは絶対に俺のことを逃がすまいという意思を感じるような。


「――三久、そんなところでいつまもで遥くんのこと覗いてないで、さっさと出てきなさい」


「……うぅ」


 三枝さんが言うと、いつからいたのだろうか、扉の陰から三久がゆっくりと姿を現した。


 部屋着の割には随分と可愛い格好をしているような。いつものラフなTシャツ姿ではなく、半袖のブラウスに、下はスカート。


「えっと、おにちゃん、いらっしゃい」


「ごめんな、三久。急におしかけちゃって……迷惑だったよな?」


「あ、だいじょぶ。ちょっと部屋が散らかし気味だったから、いい機会っていうか……あの、よかったら、せっかくだし見てく?」

 

 その言葉に俺の胸が一瞬だけ跳ねる。

 

 三久の部屋。幼馴染で、俺が好きな女の子がいつも過ごしている部屋。


「三久がいいって言うなら……でも、いいのか?」


 もちろん興味しかないが、家族ぐるみの付き合いとはいえ、これでもいい年をした若い男である。


「おにちゃんのお部屋にはなんどもお邪魔してるし、私の部屋だけダメって言うのはね。大丈夫、ちゃんと綺麗にしてるから」


「いつもは散らかってばかりなのにね~。遥くんが毎日来てくれれば、私も楽できていいんだけど」


「お、お母さんは黙ってて!」


「遥くん、これからはいつでも好きな時に遊びにきていいからね。そのほうがこの子も喜ぶから。ねえ、三久?」


「……わ、私は別に……おにちゃんがこっちがいいって言うなら」


 いいらしい。まあ、三枝さんも嬉しそうだし、これからはたまに顔を見せるようにしよう。


 もちろん、今度はちゃんと連絡した上で。


「もう……お母さんがいると調子狂っちゃうから、部屋にいこっ」


「あ、ああ」


 三久に手を引かれて、俺は二階の三久の部屋へ。二階は三久の部屋と、あとは慎太郎さん三枝さん夫婦の寝室のみだ。そう考えると、ウチの家はかなり広いといえる。


「ど……どうぞ」


「お、お邪魔します……」


 緊張しつつ部屋に入ると、すぐにほのかに甘い香りがした。部屋の中にはアロマとかそういうものは置いてないみたいだから、多分、これが素ということになる。


「お茶とお菓子持ってくるから、座って待ってて。……あの、クローゼットとかは、その」


「み、見ないから……」


 そんなことしたらただのおかしな人だ。三久のことは大好きだし、もっともっといろいろなことを知りたい。だが、やっていいことと悪いことがある。


 ということで部屋を少し見まわす程度にとどめておくことに。


 こういうことを言うのも失礼かもしれないが、意外にしっかりとしている。いつもは散らかっていると三枝さんは言っていたが、机や本棚などは、几帳面に整理されているし、教科書や参考書類などもきっちり教科ごとに分けておかれている。


 ただ適当に机の引き出しやクローゼットに押し込むだけでは、こういう風にはならない。


 あとは、ベッド脇にあるぬいぐるみたちや、壁にかかった学校の制服、化粧品、テーブル、クッションのファンシーな柄など、女子高生の部屋にありそうなものは大体揃っていると思う。


 一通り観察が済んだところで、三久もお茶菓子をトレイにのせて戻ってきた。


「……お待たせ。もう、おにちゃんったら、いきなり来るんだもん。びっくりしちゃったよ」


「それは本当にごめん。でも、今朝のこと、ちゃんと謝りたくてさ」


「それって、早めに予備校にいっちゃったこと?」


「うん。あんなことがあって、三久とどんな話すればいいかわからなくなって、それで――」


 その時の心境は、乃野木さんに打ち明けた通りだ。本当はもっと三久と一緒にいたいくせに、変に気を遣って避けるような真似をしてしまった。


「なんだ、そんなことだったんだ。私はてっきり、私がなんかおにちゃんの気に障るようなこと言っちゃったかもとか、そんなことずっと考えちゃって――」


 もしかしたら、それでずっと部屋にこもりっきりだったのかもしれない。余計な気をまわさせてしまった。


「だから、会いたくないっていうのは違うんだ。朝はちゃんと挨拶したいし、寝ぐせも直してもらいたいし。……そうじゃないと、やっぱりいつもの調子が出ない」


「おにちゃん……」


「だからその……あんなことが言っちゃったけど、三久とこれまで通り……いや、出来ればもうちょっとだけ仲良くしたいっていうか……だから、とにかくゴメン!」


 真っすぐ三久のほうを向いて、俺は謝った。大したことじゃないかもしれないが、こういうことの積み重ねを放っておくと、良くないことが起きてしまうと思うから。


「うん、わかった。そこまで言われちゃ、しょうがない」


「……ありがとう、三久」


「どうしたしまして。でも、ただ許すだけじゃ物足りない感じがするから……そうだ、ねえおにちゃん、明日のこの時間、ちょっと私と遊ばない?」


「遊び……それは、その、デートとか……」


「! あ~……う、うん、言われてみればそんな感じかも……ダメ?」


 好きな子にそんな甘えるような上目遣いをされて断ることなんてできない。とういか、内心かなり嬉しい。


「いや、全然大丈夫……というか、絶対時間空けるから」


「やった。じゃあ、決まりね。あ、大丈夫、そんなに遠いところじゃないから。超近所だよ」


 ということで、仲直りのついでに急遽決まった俺と三久の二人きりの予定デートだが……しかし、超近所でデートできる場所なんて、果たしてこの辺にあっただろうか。

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