第54話 どくはく
※※
どうしよう。
どうしようどうしようどうしようどうしようどうしよう。
いつまで経ってもドキドキがおさまらない。
晩御飯の片づけを終えて、私はゆっぺやまりと一緒に宿題の続きをしている。二人だけじゃどうにもならない難しい問題なんかをばーっと解いてしまって、あとはお菓子でも食べながら夜通しおしゃべりをするつもりだった。パジャマパーティーと言うんだろうか。
だが、今の私はそれどころではなかった。
「うぅ……おにちゃんったら、いきなりなんやもん……あんなのドキドキするに決まっとうやん……んぅぅ」
冷たい水で顔を洗っても、ずっと顔はほんのり赤いままだ。ゆっぺやまりには、炭火の前に居すぎたせいで焼けちゃったかもと言ってごまかしているが、それもいつばれるかわからない。
突然首筋にキスをされちゃった時もすごく驚いたけど、あれはちょっとの時間動揺しただけで、ドキドキはすぐに収まった。あれはその前に私が不意打ちでやってしまったのもあったし、おあいこだったから。
でも、遥くんのさっきの話はずるい。私が遥くんのことをどう思ってるか気づいてるくせに、あんなこと言うんだもん。
遥くんが言わんとしていることは、ここまでくればなんとなくわかる。私もそんなに人の気持ちに敏感というわけじゃないけれど、これまでのことを考えれば、誰だってそう思う。
――俺、ちゃんと三久に伝えるから。今はまだ、その時じゃないかもしれないけど、秋になるか冬になるか、もしかしたら試験が終わってからとかになるかもしれないけど。
――それでも、これだけは俺から言わせてほしいから……だから、その、身勝手かもしれないけど……それでも、俺が答えを出すのを、待ってて欲しい。
遥くんの言葉。
まだ決定的な一言はなにももらっていない。もしかしたら、ほんの少し、私の考えていることとずれている可能性はあるけど。
でも、こんなの絶対――。
「! あっ、もうやだぁ……また顔がへにゃって緩んで――」
鏡に映っただらしない顔を見て、私は再び冷たい水を頭からかぶった。
でも、いくら頭を冷やしても、うれしいような、むずがゆいような、気持ち悪いけど嫌じゃないような感覚は、ずっと胸の中に残り続けたままだった。
あ、そういえば。なんであの時喉も渇いてないのに、遥くんの飲みかけのコーラなんてわざわざ飲んじゃったんだろ。……あれじゃ私がまるで誘ってるみたい――。
「う、うわあああっ……!」
さっきまでの場面がまた頭の中でリフレインして、また頬が熱くなった。
私は『待つ』と言ったんだ。遥くんの決心がつくその時まで、しっかり待っていてあげようと。つい忘れてしまいそうだが、遥くんは浪人生。今が一番大事な時期なのだ。遥くんはすごく優しいから、私のために時間を作ってくれているけど、本来なら勉強に集中したほうがいいのだ。
だから遥くんは私に『もうちょっと待って欲しい』と言ったんだと思う。
……もういい。はっきり言ってしまおう。
私は、遥くんのことが、好き。
再会する前に遥くんと過ごしたのは、これまでの人生で考えればほんの一か月半。12年前の夏休みの一回だけ。
普通ならそんなこともあったような、と頭の片隅に置き去りにされて、そのまま風にさらわれるような記憶。
だけど、私はそれを胸の中の一番大切なところにしっかりとしまって、夏になる度、そのことを思い続けていた。それぐらい、あの夏のことが楽しくてドキドキしてたから。
もし毎年遥くんが夏に遊びに来ていたら、こんなことにはならなかったかもしれない。夏になったらいつも遊びに来る、優しい親戚のお兄ちゃんみたいな位置づけだったかも。
でも、その次も、その次の次も、遥くんは来なかった。会わなかった分だけ、どんどんどんどん、遥くんに対する気持ちが私の中で大きくなっていった。
それが恋心なのだと自覚するのに、時間はそうかからなかった。
東京の大学を志望していたのは、そんな思いが一際強くなってしまったからに他ならない。
私が知っていたのは、遥くんが東京のどこかにいるということだけ。それ以上は知らなかったし、新庄のおばあちゃんにも聞けなかった。
私と遥くんは三歳差。だから、順調にいけば、何かのきっかけで、同じく東京の大学に通う遥くんと再会できるかも……と、そんな途方もなく低い確率に賭けようとしていたのだ。
今思えば、なんてバカなことをやろうとしていたのだろう。でも、進路を決めた中学三年生の時の私は、本気で遥くんと再会できると思っていたのだ。
恋は盲目というが、なるほど、昔の人はなんでも知っているのだと思った。
まあ、そのことはさておき……とにかく、私の恋が、私の今まで生きてきた16年の人生の3/4を占める12年越しの初恋が、99.9%の確率で叶わないと思っていた初恋が。
今、99.9%の確率で叶おうとしている。
「どうしよう……なんでこんなに嬉しいの……私、どっかおかしくなっちゃたのかな?」
だからこそ、私はこうやって、だらしない顔を鏡にさらしたり、恥ずかしがったり、冷たい水をわけもなく頭からかぶるような行動をやってしまっているのだ。
嬉しい、嬉しい。
いますぐ窓の外に向かって、うわあああって、わけもなく叫んでしまいたい。
私も好き。
私もおにちゃんのことが、大好き――。
「……でも私、我慢できるかな」
返事が来るまで待つ、と私は言ったけど、この感じだと我慢できるかどうかわからない。
私は遥くんのことが好き。そして遥くんも私のことが(多分)好き。
その事実がはっきりして、私は遥くんの前で、今まで通り過ごせるだろうか。
今はいい。私の部屋には今、ゆっぺとまりがいる。でも、明日以降は遥くんと二人きりになれるのだ。妹の春風ちゃんはいるけど、おばあちゃんの家以外で……それこそ私の部屋にでも呼んでしまえば――。
「――って、あわわわわ!? だ、だめっ、私、何ば考えて――っ!?」
遥くんを私の部屋に呼ぶなんて、そんな、そんなことしちゃったら――。
いけないことだと首を振る度、邪な想像ばかりが私の脳内を埋め尽くす。
遥くんはそれをぐっとこらえて、あんなふうに言ったのに。
「どうしよう、私。こういう時どうしたらいいのかな……」
経験が少しでもあれば、もっと余裕をもって対処もできたんだろうけど、残念ながら私は12年物の純情なのだ。
ゆっぺやまりに相談するか……いや、言ってもいいけど、二人も経験なんてないはずだから、あまりいいアドバイスは期待できない。
経験が豊富そうで、それでいて頼りにもなって、歳も近くて――。
そんな人、私の知り合いの中では一人しかいなかった。
「……うう、まさかこんなことで思い悩むなんて……」
真夜中の突然の連絡に申し訳ない気分になりつつ、私は『ある人』へとメッセージを飛ばしたのだった。
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