第52話 おとまり 1


 大会が終わって、三久の部活もしばらくの間夏休みに入った。


 いつもはこの時間起きて部活に行っていた三久も、今日からはしばらく遅い朝になるだろう。昨日の大会の疲れや緊張もあって疲れているはずだから、今日は寝てていいからとメッセージを送っている。


 なので、今日の朝はちょっとだけ寂しい。


 昨日は三久が格好いいところを見せてくれた。なので、俺もこれからはもっと頑張って日々の勉強に励まなければならない。


 もちろん、途中でへばったりしないよう、三久の言う通り、息を抜くときはしっかり抜いて。


「おはよう、兄さん」


「おはよう、春風」


 春風も昨日は結局カナ姉と一緒に出掛けたらしいが、こちらはいつも通りだ。体調のほうが心配だったが、顔色はよさそうなので、一応、安心である。


「ねえ、兄さん」


「なに?」


「やっぱり私、お邪魔かな?」


 ずず、と祖母が作ってくれた味噌汁をすすりながら春風が訊くので、


「うん、まあ」


 同じく俺も味噌汁をすすりながら即答えてやった。


「……相変わらずはっきり言うじゃない」


「そりゃ、ね」


 いくら春風が大人しいからといって、俺の答えが変わることはない。


 春風が帰ってくれれば、俺もこの家で気を遣う必要はなくなるし、三久が春風に謎の対抗心を燃やすこともなくなる。カナ姉は暇つぶしにちょうどいいかもしれないが、それでも迷惑が掛かっているのは事実だ。


 はっきり言って、今でも東京の実家に文句を言いたい気分。


「兄さん、本当に変わったわね」


「なんだよ、急に」


「事実だからそう言ったまでよ。以前の時から生意気にも私に口答えすることはあったけど、今はなんか上から命令されている感じがしてさらに生意気になった。正直むかつくわ」


 春風に対する俺のスタンスは今も昔もそう変わっていないはずだが、言われている本人が感じているのなら、明確に変わったのだろう。


 だとしたら、そうしてくれたのは三久である。再会してからずっと俺のことを持ち前の元気で支えてくれたことで、一人だとちょっとしたことでへし折れていたメンタルが折れず、また、少しずつ丈夫になってきているのを実感する。


 勉強への向き合い方も変わっている。以前までは与えられたテキストや課題などをこなし、近づいてくる学校の試験や模試の予定を消化していくだけの受動的な勉強のやり方から、現在の目標を達成するためにはどんな勉強すればいいかを自分で考え、自分なりに努力する能動的なやり方へ。


 これは前に、体調とメンタルを崩して成績を大幅に落としたことも原因だが、結果的にそれもいい方向に働いたといえる。


 自分にとって『不可』だったはずのことを経験して、本来よりもさらに『良』い結果を得ることが出来た。


 悪くても、格好悪くてもいい。失敗しても、また次、同じように頑張ればいい。


 一度の失敗で、見捨てたりなんかしないから。


 三久がそのことを教えてくれた。


 きっかけ一つで、全てがいいほうへと向かっているような気がするのだ。


「で、それもこれも全部あの三久って子のおかげと……まったく、これじゃあどっちが良かったのか……」


「……春風?」


「別に、こっち側の話よ。兄さんにはもう関係のない話なんだから、いつも通りあのクンクンとうるさい小型犬と仲睦まじくボール遊びでもして暮らせば?」


「こ、小型犬……」


 三久のことだろうが、そんなイメージだろうか。


 小さくて、俺の前ではいつも嬉しそうにしていて、寂しがりやで、甘えん坊で……うん、これについては春風の言う通りかもしれない。


 犬種は多分、黒のマメシバあたり。


「冗談よ、私も言いすぎたわ。私もこれ以上兄さんの不興を買って新庄家からたたき出されたくないし。……まあ、もし困ったことがあるなら、いつでも言って。私にできることなら、多少は力になれると思うから」


「……は?」


 春風のやつ、今、なんと。


「……なに、そんな鳩が豆鉄砲を食ったような顔して。別に大した意図はないわよ。ただ、しばらくここに泊めてもらってるんだから、ちょっとぐらいはお礼しないとっていう気まぐれよ。いつものね」


「ああ、気まぐれね。そういうことね……」


 自分の耳が誤作動でも起こしたかと思った。


 目の前の春風は、本当に俺の妹の滝本春風なのだろうか。


「私、そんなに兄さんのこといじめてたかな……まあ、いいわ。そういうことだから、まだ私のこと捨てないでね、兄さん」


「またそんな言い方……」


 やっぱり今すぐこの家からお引き取り願いたい。


 ※


 いつものように予備校の授業を終えて家に戻ると、三久の家の前に二台の自転車が泊まっていた。


「たっきもっとさ~ん!」


「こんちは」


 自転車の主は、由野さんと御門さんである。同じ地区にそれぞれ家があるのは知っていたが、ここからは距離が離れているので、三人が遊ぶときは由野さんか御門さん、どちらかの家のはずだが。


「二人とも今日は珍しいね。遊びにきたの?」


「そんな感じ……って、あれ? 滝本さんは三久から今日のこと聞いてなかったです?」


「今日は三久と顔合わせてないからね。で、何やるの?」


「――泊りがけで勉強会だよ、一応ね」


 とその時、玄関から三久が折り畳み式のテーブルと、それからバーベキュー用の網などを抱えてやってきた。


 どうやら外で晩御飯をやるらしい。脇に置かれたクーラーボックスには、溢れんばかりのお肉や野菜たちが。


 きっとこれ全部、この子たちの胃袋に入っちゃうんだろうな。


 食べ盛りって恐ろしい。


「おかえり、おにちゃん」


「ただいま三久。でも、なんで急に」


「部活休みっていっても、お盆開けたらまた練習始まっちゃうから。そのうちに宿題片付けておかないとね」


 そう言えば三久たちにはそっちの強敵もいたか。成績優秀な三久は問題ないとして、二人は俺の助けがなければ赤点をとっていたかもしれない人たちである。


「普段はもっと後になってから騒ぎ始めるんですけど、今年は三久がやるよってうるさくて」


「何言ってんのゆっぺ。どうせ遊ぶなら、やることやってからのほうが色々気にしなくていいでしょ? いっつも夏休み最終日にひーひー言ってた二人のためだよ」


「ふ~ん? ほ~ん?」


 三久の意見には俺も賛成だが、由野さんはそれを聞いて意地悪そうな笑みを浮かべた。


「な、なに……」


「いやいやそれは違うでしょ三久さんや~。私たちのためってのは建前で、本当は滝本さんとの時間をしっかり確保して、後から邪魔されたくないっていう計算でしょ? 私も真理もわかってんだからぁ、このこの~!」


「ふにぇっ!? そ、それは、その……」


 三久の頬がほんのりと朱に染まる。どうやら図星だったらしいが、気持ちはわかる。


 俺とどこに行ってどう遊ぶか。それは、三久もおぼろげながら頭の中で計画しているはずだから、そのせっかくの予定をイレギュラーに潰されたくはない。


「ほれほれ、みっきぃ」


「さあさあ」


「う、うぅ……」


 両サイドから二人に詰め寄られ、三久はさらに顔を真っ赤に。


 他人の色恋沙汰はさぞ楽しいだろうが、これ以上はさすがに良くないと思う。というか、やり過ぎると三久がへそを曲げてしまうかもしれない。さすがにもう止めてやらないと。


「由野さん、御門さん。二人とももうそのへんに――」


「――そ、そうやけどっ」


「え?」


 二人を三久から引きはがそうと声をかけた瞬間、三久の口からぼそりと。


「えと、みっきぃ、あの……」


「だ、だからっ、そうやけどって言ったの。やること先にやって、後はゆっくりおにちゃんと二人きりで……その……いたい、から」


 ちらり、と俺の顔を伺いながら三久は言う。


 今まではガーっと怒って有耶無耶にして、それで終わりだった。


 俺と三久がお互いに好意を抱いていることは、周囲の人たちも、俺たち二人も、もう何となく察していることだ。ただそれを素直に言うのが恥ずかしかっただけで。


 だが、三久は初めて自分の素直な気持ちを由野さんたちに、そして何より俺にはっきりと伝えた。


 俺と二人きりでいたい、と。


 予想外の三久の呟きに、由野さんや御門さんも反応に困っているようだった。


「と、とにかくっ、この話は終わりっ! ほら、二人とも材料切るのとか手伝って。……あ、おにちゃんの分もちゃんと用意しているから、後で一緒に食べよ」


「え? ああ、うん。ありがとう三久……」


「うん。……じゃあ、また後でねっ」


 そそくさと家の中へ消えていく三久を見送ってから、俺は自分の胸あたりに手を当ててみた。


 俺の胸の鼓動は、いつもよりもずっと早かった。

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