第47話 れんらく


 春風の突然の訪問や三久とのキス(半強制だけど)事件など、初日からいきなり波乱のスタートをきった夏休みだったが、その後は何事もなく日にちは過ぎていき、7月はあっと言う間に月末を迎えていた。


「あ……お、おはよ、おにちゃん」


「う、うん……おはよう三久」


 事故だろうが、半ば無理矢理だろうが。キスはキス。若干ぎこちない雰囲気が漂う俺と三久の間だったが、カナ姉からの教えを守って、気まずくても恥ずかしくても、いつも通り過ごそうと決めていた。


 最近は特にこれといった寝癖はないので、今なんかは、髪型に応じたセットのやり方なんかを教えてくれる。


「おにちゃん、あの、今日は……」


「うん。大会だろ。浪人生の俺から言うのもなんだけど……頑張ってな。ちゃんと見てるから」


「うん。おにちゃんに格好いいところ見せられるように頑張るね」


 三久の高校が出てくるのはお昼前ぐらいなので、それに合わせて会場の市民プールへ向かうつもりだ。


 慎太郎さんたちのほうは……まだ出発までかなり時間はあるはずだが、すでにちょっとそわそわしていて、なぜか今のタイミングで洗車などを初めている。


 三久に訊くと、どうやら慎太郎さんも娘の部活の応援に行くのはこれが初めてらしい。三久の水泳歴は10年とのことで、そのころから大会も幾度となくあったはずだが、


『お父さんは来ないで。来たら口きいてあげないから』


 とずっと言われていたそうだ。


 朝っぱらから鼻歌混じりでテンション高めなのはそのせいか。


「あっ、おはよう遥くん! 遥くんのおかげで、僕もやっと娘の晴れ姿を拝むことができるよ!」


「っ……おとーさん! 余計なこと言わんで適当に車でも磨いとって!!」


 外に出ると、俺たちに気づいた慎太郎さんが手を振ってきた。満面の笑顔……よっぽど嬉しいんだろうな。


 滝本家では、絶対に見られない光景である。親が子供以上に張り切ってしまうのは、子供の気持ちから言うとちょっとだけ恥ずかしいだろうけど……それでも俺は、三久のことが、ちょっとだけうらやましい。


「おにちゃん?」


「いや、なんでも。三久、そういえば時間のほうはいいのか?」


 開会式などもあるので、三久の集合時間は早い。今もかなり朝早い時間だし、部活に励む学生は本当に大変だ。


「っとと、そだね。……じゃあさ、出発前にごめんだけど、ちょっとだけおにちゃんにわがまま言ってもいい?」


「? わがまま……まあ、別にいいけど」


「えへへ、ありがと。じゃあ、ちょっとだけ失礼して――えいやっ」


「! おっと――」


 そう言って、三久が俺の胸に飛び込んで、犬のように顔をすりつけて甘えてきた。


 慎太郎さんもいる前だから俺も驚いたが、抱き留めた瞬間、三久の体がわずかに震えているのが伝わってきた。


「――三久、緊張してるのか?」


「うん、ちょっとだけ。……私も高校生活では最初の公式大会だし、先輩たちに迷惑かけたくないから」


 今回の大会は各種目ごとのタイムの合計で順位を決定するが、三久は一年生の中で唯一メンバーに選ばれている。


 もちろん三久がメンバー入りすることでメンバーから外れた上級生もいるから、そのことを考えると、元気印でプレッシャーとは無縁そうな三久でも、多少は責任を感じているのだろう。


「大丈夫だよ。三久がずっと頑張ってるのは、俺も知っているから。もし実力が発揮できなくても、俺があとで慰めてやるから」


「慰めてって――例えば、どんなふうに?」


「例えば……そうだな、」


 ふと、昨日のキスのことが脳裏に浮かんだ。


 突然のことだったが、三久の唇や、わずかに触れた舌先の感触は今でも唇に残ったままのである。


「た、たと、えば……」


「例えば?」


「頭を撫でて、よしよししてやるとか……」


「……ふ~ん」


 期待に満ちた表情から一転し、途端に残念そうな顔を浮かべる三久。


「……オニチャンノヘタレ」


「え?」


「なんでもないよ、もう。じゃあ、行ってきます。おとーさん、後のことはよろしくね」


 むくれた顔をして、三久は自転車を飛ばして家から出て行った。


 機嫌が悪かったが、もしかして三久もやっぱりアレを望んで……いや、朝っぱらからそういうのを考えるのはよそう。まあ、三久は俺と違って打たれ強いメンタルの持ち主だから、大会も普通に活躍するだろう。


 その時は、甘いものでもご馳走してやるか。


「――おはよう、兄さん」


「春風、おはよう。今日は珍しく早いじゃないか」


「私ももうちょっと寝ていたかったんだけど……あの酔っ払いの阿――じゃなくて、オネーサンが観光に連れ出してやるってうるさいから、仕方なく。私もなんだかんだ暇だし」


 慎太郎さんに出発時間を確認して戻ると、リビングではすでに春風が朝ごはんを食べていた。今日はいつものゴスロリと違い、ラフなTシャツ姿で、長い黒髪もポニーテール。動きやすい格好だ。


 あの後、宣言通りウチに上がり込んみ、春風とのファーストコンタクトを果たしたカナ姉は、学生時代に培ったとかいう『ウェーイのノリ』(※カナ姉談)を使って春風と連絡先を交換し、その後は、暇なときなどに連絡をとっていたらしい。


 カナ姉のことを話す春風はうんざりしたような顔をしているが……まあ、断らないあたりは、そこそこ気を許しているのだろう。


 カナ姉、さすがは年下キラー。


 というか、最近の春風は、まるで人格が変わったように普通の女の子の振る舞いをしつつある。

 

 こっちが素なのか、はたまたこれも演技なのか……まあ、今は大人しいので、そのまま帰るまでずっとそうしていてくれると助かる。


「まあ、そんなわけだから、今日は夕方まで帰ってこない――ああもう、また電話……」


 朝から鬼電しているようで、春風がイライラした表情でスマホを手に取るが、


「――――」


 その瞬間、春風の表情が一瞬だけ真顔になる。


 もしかして、違う人からの連絡だろうか。


「ごめん、兄さん。ちょっと席外す」


「あ、ああ」


 その後、10分ほどで春風は戻り、落ち着いた様子で朝食の続きを再開したが……カナ姉でないとしたら、いったい誰からの電話だったのだろう。

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