第44話 こんがん


 ※※


 そして、その日の夜のこと。


 ――私もいい加減、あの家には嫌気がさしているの。


 そう言って、春風は俺たちに話を切り出した。


 春風は、俺たちとはまったく違う才能を持って産まれてきた。俺が、いや、兄さんですらも、努力しなければ成し得ないことを、さも子供のお使いのように当然のようにやってのける。


 例えば俺にとっては難関レベルの大学入試も、春風にとっては1+1=2の計算を解くこと同義で、たとえ緊張で頭が真っ白に吹っ飛ぼうが体調が最悪だろうが間違えようのないレベルなのだ。


 だからこそ、春風は両親からも、また父方の祖父母や親戚たちからも絶大な期待を寄せられる。これから春風が成していくだろうこと、そして、についても。


「何不自由なく、私は生きてきたわ。お願いすれば欲しいものはなんだってくれたし、みんなが私のこと褒めてくれて、お姫様扱いしてくれた。小さい頃はそのことに何の疑問も抱かなかった」


 しかし、滝本家の『お姫様』をやりながら成長していくうち、徐々にあの家のおかしさに気づいていったという。


 きっかけになったのは、春風が10歳になったころ。


 俺にはまったく知らされることなく行われた、とある出来事。


「突然あの人……滝本のお祖父さんの家に連れていかれたの。またいつものように顔を見せて愛嬌でも振りまいてれば終わりかなって思ったんだけど……そこにいたのは私の知らない男の子だった」


 父さんの案内で春風の前に連れてこられたのは、金髪碧眼の不思議な雰囲気を纏った少年。


 察しの良い春風は、瞬時にその意味を理解したという。


「まあ、私も一応聞いてみたわ。『この子誰?』って。そしたら、お父さんあのひと、なんて言ったと思う?」


 ――お前の結婚相手だ。これからのために、仲良くしておきなさい。


 ※※


「――そこでなんとなく理解したわ。この人たちは私のことを、自分たちの社会的欲求を満たすだけの道具としか見ていないんだって。……そんなの、冗談じゃないわ」


 10歳だから、4年前ほど前か。思い返してみれば、その時期から春風の俺へのあたりが強くなったような気がする。両親や兄の前で相変わらずいい子にしていたが、微妙にそれまでとは表情が違うように感じていた。


 あの時は、なんでも失敗続きだった俺のことを目障りに思っていたのだとばかり考えていたが、実際の原因は別のところにあり、そのイライラを俺にぶつけていたそうだ。


「八つ当たりをしていたのは、ごめんなさい。でも、兄さんしかいなかったから……私のこと、ちゃんと妹として見てくれていたのは」


 両親は信用できず、長兄はそのことに全く無関心で自分のことだけ。だからこそ、俺にしか不満をぶつける相手がいなかった。


「じゃあ、どうして遥くんのことを家から追い出すことに賛成なんかしちゃったの? お兄ちゃんがいなくなったら、ますます家で一人になっちゃうの、わからないような人じゃないよね?」


「兄さんを追い出すことは三人の間でもう決まってたから。私が言ったところで何も変わらない。……兄さんならわかるでしょ?」


 いくら大事にされているとはいえ、春風はまだ14歳の子供だ。両親の庇護がなければどうにもならないことも自覚していて、反対したところで無駄だと悟ったのだろう。


 自分が正しいと思ったことを決して曲げない――父である滝本悠仁がそういう人間なのは、俺も、そして父と実際に話したことのある三久も感じているはずだ。


「別にこのままここに住まわせろって言いたいわけじゃない。夏休みの間だけ――学校が始まる少し前にはちゃんと東京の実家に帰るから。だからその……すぐに帰れなんて言わないでください」


 そうして、春風は改めて俺と祖母、そして三久の三人の前で頭を下げた。


「おにちゃん……どうする?」


「うん……」


 頭のいい春風のことだから、まだ何か隠していたり、嘘を言っている可能性はある。


 携帯には一応、家族の連絡先は残っているが、両親や兄に連絡したところで『お前には関係のない話だ』と言われてしまうのが関の山だろう。


 そうなると、後は自分の判断を信じるしかない。


「春風」


「うん」


「昨日も言った通り、俺の気持ちは変わらないよ。いくらお前が本当に反省してたとしても、お前がやったとこが全部帳消しになるわけじゃないし、俺のことを困らせてたのも事実なんだから」


「……うん」


 春風の目を、俺はじっと見つめる。初めて見る妹の瞳は少し灰がかっていて、体格もそうだが、どこか俺や悠希兄さんとは違う雰囲気を醸し出している。


 汚い心の持ち主は瞳が濁っているだなんてよく言われているが、俺にはいまいち判断がつかない。三久も春風も、色は違えど綺麗な瞳だ。


 多分、俺には人を見る目がない。


「三久、その……」


「大丈夫だよ、おにちゃん。どっちでも、私はおにちゃんの答えを尊重するから」


 三久が俺の手をやさしく握ってくれる。どうやら、俺がどうしたいのか、すでに察してくれているらしい。


 三久は、本当に俺にはもったいないぐらいのいい子だ。


 そして、俺たちの話を黙って聞いて頷いてくれる祖母も。


「――おばあちゃん、お願いがあるんだけど」


「ああ、私は構わないよ。初対面とはいえ、この子だって私の孫には変わりないし、家事が二人分から三人分になっても大して変わらないからね」


「! じゃあ――」


「別にまだ決めたってわけじゃない。そこは勘違いしないでくれ」


 まだ春風のことを100%信頼したわけではない。だから、これからの行動で見極める必要がある。


 春風が本当に俺の味方なのか、また、こちら側の人たちと関わらせていい存在なのかどうかを。

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