第43話 ふかかい
翌朝。俺はいつもより少し早い時間に目を覚ました。
もちろん、夜眠れなかったとか、寝つきが悪くて眠りが浅かったわけではない。普段通りぐっすり眠れたし、例の夢を見ることもない。
セットした目覚ましの時間のおよそ五分前。いい目覚めである。
春風を起こさないよう……いや、気づかれないように、足音に細心の注意を払って階段を下り、そして外に出た。
起き抜けの寝間着のままで、髪はぼさぼさ。身だしなみも何もないひどい状態だが、朝、そのまま来るよう、メッセージが送られてきたので仕方ない。
真夏の太陽がかんかんに照らす中、新庄家の前で待っていたのは、すでに万全の女子高生装備を整えた幼馴染の女の子。
「おはよ、おにちゃん。もー、朝だからってだらしない格好だなあ」
「三久がそのまま来るようにいったんだろ……じゃあ、お願いします」
「うん」
そう言って、三久がもっていた自分の櫛で俺の髪をやさしくすき始める。いつもなら洗面所でドライヤーを使ってやるのだが、いつもと違って、今は春風という邪魔が入っている。
というわけで、玄関でこっそり、みんながまだ起きる前に日課をやってしまおうと、今朝がた三久から提案があったわけだ。
首筋キスの件でちょっとぎこちない感じになるかと思ったが……昨日の寝る前のメッセージのやり取りがきいたのか、いつも通り接してくれている。
そこは一安心。
「夏休みなのに、大変だな。大会って、いつ?」
「月末。もちろん、私も試合に出るよ。……それで、おにちゃんにお願いがあるんだけど」
「もしかして、応援に来てほしいとか?」
「う、うん。せっかくだから、見てほしいかなって……ダメ?」
ちょうど予備校は休みの日なので、一応、予定はない。市内の屋内プールで開かれる予定で、三枝さんや慎太郎さんも応援にいくらしい。なので、一緒にどうか、と。
一人でそういう場所に行くのは緊張するし、応援とはいえ、女の子のことをジロジロ見るのは不審者扱いされるかもだが、三久の両親が一緒なら、まあ、問題はないか。
……決して、三久の水着姿が見たいからという邪な気持ちはない。ただ、三久が頑張っている姿をこの目で見ておきたいだけだ。
「三久がそう言うなら……俺は別にいいけど」
気恥ずかしくて、こんなふうにしか言えない自分がもどかしい。きっと当日の観客席でも、ただ見ているだけで声援をすることも出来ないだろう。
「ほんと? ならお父さんとお母さんに言っておくね……約束だよ?」
しかし、そんなそっけない俺の返事でも、三久は安堵したような笑顔を浮かべている。俺が三久のお願いを断るはずなんてないのに。
「大丈夫。病気とか、よほどのことがない限りは絶対に行くから」
春風の出方が気になるが、それでも俺の、妹に対するスタンスは変えるつもりはない。
春風にはすぐにでも東京に帰ってもらう。そして、何の気兼ねもなく、三久との夏を過ごす。
そうやって、ようやく手に入れた、いつもの日常に戻るのだ。
「ありがとう。じゃあ、それまで私も練習頑張らなきゃ」
「うん、頑張れ」
「おにちゃんもね」
「俺は余裕だから」
「お、言ったなあ、この~!」
「あ、おい。せっかく寝ぐせなおったのに、またボサボサになっちゃうだろ」
ちょっとした冗談を言い合いながら、三久とこうしてじゃれつく。
朝のほんのちょっとした時間だが、これがあるおかげで、気持ちよく一日を過ごすことができる。
それを、ただ一人、妹がいるだけでダメになってしまうのは、本当に――。
「……ふふ、昨日から思ってたけど、二人ってほんっっっ、とうに仲がいいのね? もしかして、そういう関係だったりするのかなあ?」
「「――!?」」
クスクスと笑うような声に気づいて俺たちが振り向くと、そこには昨日と同じような黒を基調した服を身にまとった春風が、少し空いたドアの隙間から顔をのぞかせている。
「……ずっと見てたのか?」
「本当は途中で声をかけるべきだったんだろうけど。あまりに二人だけの世界を展開してたから」
「うぅ……!」
こちらに近寄ってきた春風を警戒した三久が、俺の腕にしがみついて威嚇する。昨日と同じような形。
「もう、そんなにしなくても、もう喧嘩をするつもりなんてないから安心して」
「……どういうことだ?」
「どういうもなにも、昨日のことを謝りたいだけよ」
そう言って、春風は俺たちの目の前で膝をついて座り、そして、
「昨日は言いすぎてしまってすいませんでした。兄さん……そして、三久さんも」
そのまま手をついて土下座のような格好で、頭を下げたのだ。
「昨日、兄さんにはっきり言われて反省したの。ふと思い立って兄さんの住む場所に行ったまでは良かったけど、思った以上に長距離の移動でイライラが募っちゃって……初対面の三久さんにつらく当たったし、だから、ごめんなさい」
「お、おい……」
妹の行動が予想外なことはわかっていたが、まさか、今まで一度たりとも謝らなかった春風が、こうしてあっさりと詫びることになるとは。
それだけ昨日の俺の言葉が効いたのか。しかし、それだけで果たして、あの滝本家ですらわがまま放題だった妹が心から反省なんか……。
「今日の夜……いや、いつでもいいから説明させて。私だって、あの家には帰りたくないの」
昨日の高圧的な態度から一転してしおらしい妹の不可解な姿に、俺も三久も、ただただ困惑するしかない。
春風、お前は今、何を考えている。
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