第41話 おかえし


 春風と三久の口喧嘩はなんとか収まったものの、二人の間に流れる険悪な雰囲気は変わらずそのままだった。


 結局、三久が帰らなかったので、夕食は四人でとることに。祖母の気遣いもあってそれなりに会話はあったし、春風も祖母に対しては礼儀正しく接していたし、出された食事も全て食べていた。


 かなりの大荷物で来ているから、しばらくはこの家に滞在するつもりなのだろう。春風も、ここの家主である祖母には気を遣っているらしい。


「……三久、そろそろ帰らないと」


 時間はすでに11時を回っていた。お隣同士とはいえ、さすがに家に戻ってもらわないといけない。三久の高校は夏休みに入っているが、明日も早朝から部活がある。


「兄さんの言う通りよ。親しき仲にも礼儀あり……兄さんだって予備校があるんだから、そろそろ帰るべきではないかしら?」


「それは、言われてなくても……」


 これについては正論なので、三久も言い返せない。

 

 ただ唇を噛んで、俺の裾をきゅっと握りしめていた。


「三久、もう暗いから送るよ」


「兄さん、目と鼻の先なんだから別に――」


「送るから。春風は口を出さないでくれ」


「っ……まあ、好きにすれば。私、もう寝るから」


 祖母がいる手前、春風もそう激しく反論はしてこず、不機嫌そうに鼻を鳴らして二階へと姿を消した。


 急な来客だったので、春風には俺の隣の部屋――以前の同居生活で三久がいた部屋を使ってもらうことに。


「……行こう、三久」


「う、うん」


 三久の手をとって、玄関から歩いて10秒もかからない早谷家まで、ゆっくり時間をかけて歩いていく。


 この時期、夜になると特に虫やらカエルやらの鳴き声がうるさいのだが、今日は心なしか静かな時が流れている。


 まるで、いつものように仲良く手を繋いでいるはずの俺と三久の間に流れる重い雰囲気に呼応するように。


「ありがとうな、三久。俺のために心配してくれて」


「ううん、そんなこと。……それより、本当に大丈夫? その、また眠れなくなったりとか」


 三久が心配しているのは、俺の体調のことだ。せっかく元気になってきたのに、春風が来たことで前のトラウマを思い出してしまうのではないか、と。


「正直、それはどうなるかわからない。妹はあんな感じでわがまま放題だけど、兄さんたちと違って、家ではそんなに話さなかったし」


 家での春風はとても極端で、いつもは俺のことを無視し、気に入らないことや、少しストレスがたまっていた時に、その解消の道具にされていた。


 毎日のように俺に罵声を浴びせて時には痛めつけることもあった兄、陰口だらけだった両親に較べれば、大分マシである。


 マシなだけで、抵抗できないのをいいことにいじめられていたのは変わりないのだが。


「とにかく、これから春風と話してみようと思う。思いつきで、なんてあいつは言っていたけど、そんな理由で連絡もなしに来るなんて怪しすぎるし」


 俺と春風の仲は、正直、まったく良くない。だから、俺のことを慕ってというのは、まずありえない。


 俺を家から追い出すことにはアイツも賛成していたのにも関わらず、俺と一緒に過ごすなんて、どうにも辻褄が合わないと思うのだ。


「大丈夫。もしきつくなったら、今度はちゃんと三久に甘えるよ。約束する」


「おにちゃん……」


「これからの夏休み、俺のこと楽しくしてくれるんだろ? 海行ったり、花火大会いったり、野外ライブいったり、美味しいもの食べたり……俺も三久との二回目の夏休み、楽しみにしてるから。……だから、ほら、そんな不安そうな顔しないこと」


「ふみゅ」


 俺は三久の両頬をつまんで、ぐにぐにとマッサージしてやった。


 苦手な春風がいても平常心を保っているのは、幼馴染としていつでも俺のことを心配し、寄り添ってくれる三久のおかげである。


 助けられて、甘えさせてくれて、癒されて。


 だからこそ、たまには俺だって、三久の幼馴染として、三久の『おにちゃん』らしいところを、格好いいところを見せたいのだ。


「――あっ、三久、上見て流れ星が……」


「えっ……ど、どこどこ!?」


「ほら、俺のちょうど真上のところ」


「え、急に言われても――」


 ――ちゅ。


「……ぇ……?」


 三久が空に気をとられている隙に、俺は三久の頬に顔を近づけ、そのまま唇を触れさせた。


 暗くて狙いが定まらず、下の喉元あたりになってしまったけど……とにかく、キスはキスだ。


 ……そして、やってしまった。


「おにちゃん……? い、いま……」


「えっと……おかえしだよ。その、朝のさ」


 本当はそんなことするつもりはなかったが、不安そうな三久の顔を見て、少しでも安心させてやりたくて、衝動的に動いてしまった。つい。


「え、とと……」


 唇が触れたところに抑えたまま、三久は固まっている。


 三久のほうからならともかく、男の俺からだまし討ちみたいな真似――やっぱり無神経だっただろうか。


「ごめん、俺つい感情的に……こんなことして、やっぱり嫌だったよな」


「え!? そ、そんな、そんなことないよっ、ちょっと、ほんのちょっとびっくりしただけだから! 触れたかどうかも、よく覚えてないしっ」


「そ、そっか」


 気にしてないんだったら、それでいいんだが。


 自分のしてしまったことの恥ずかしさに今さら気づいて、胸の鼓動がおさまらない。顔が熱い。今が夜で、本当に良かった。


「じゃ、じゃあ私もう行くね……お、おにゃすみっ!」


「う、うん。また明日」


 噛み噛みの三久だが、今の状態ではつっこむ気にならず、俺はそのまま彼女が家の中に入っていくのを見送った。


「ああ、もう……なにやってんだよ、俺」


 また明日、とは言ったものの、どう顔を合わせていいかわからない。


 気にせずいつも通りにやればいいのか? それとも改めてキスのことを触れるべきなのか?


 こういう時、どうすることが最適解なのだろう。


 ――ガタン、ドタタタ!!


『ちょ、ちょっと、三久! アンタ大丈夫!?』


 ――ドスン、ガシャ、ガシャン!!


 三久にとっても俺の不意打ちは驚きだったようで、早谷家から三枝さんの声がここからでもはっきりわかるように聞こえてきた。しかも、いつもよりひどい。


「……そういえば、これから春風と二人きりで話すつもりだったんだよな、俺」


 頼れる格好いい『おにちゃん』になれるのは、どうやらまだまだ先のようである。

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