第40話 ばーさす


 滝本春風は、五つ年下の俺の実の妹である。


 以前、兄づてで聞かされた話なので真相は不明だが、元々両親は男の子を望んでいたのだという。


『お前が小さいころから出来損ないだったからな。元々俺とお前、子供は二人までだったはずのところを、父さんと母さんが無理したんだよ』


 そう兄が言っていたが、産まれたのは女の子。


 当初はその結果を残念がった父と母だったが、出生後の診断によって判明した事実によって、手のひらを返す。


 春風と名付けられたその女の子は、生まれつき高い知能を持って産まれた所謂『天才児』だったのである。もちろん、IQテストでもかなり高い数値が示された。


 本来なら産まれる予定のなかった子供が、実は滝本家始まって以来の神童だったとは――なんとも悪運の強い家庭だ。


 そこから、春風はお姫様のごとく大事に育てられた。俺や兄とは違って、海外の子たちが通うインターナショナルスクールに通わせ、また、生まれ持った才能を無駄にさせまいと、滝本家のコネクションをフルに活用し、英才教育が施された。


 まだ二歳、三歳の子供だから、嫌なこともあっただろうが、それでも春風は用意された課題をなんなくこなしていく。運動も、勉強も、全てを完璧に。


 今まで一番だったはずの兄をして『アイツは超常現象フェノーメノみたいなもんだから』と白旗を上げさせる存在、それが、滝本春風という女の子で。


 そして俺は、そんな春風のことが、滝本家の中で兄以上に苦手な存在だった。


 ※


「――おかえり、兄さん」


 俺が家に戻ると、春風は居間で大人しく座って待っていた。


 テーブルの上には、赤や青、緑、黄色など、まるで絵具で着色しましたと言わんばかりの鮮やかな色のゼリービーンズやチョコレートなどが並んでいる。


 家にこんなものを取り置いていた記憶はないから、おそらくは彼女の持ち込み。パッケージからして、外国製のお菓子だろうか。


「退屈だったからついお菓子食べすぎちゃった。これでもし太っちゃたら兄さんの責任だね」


 色とりどりの糖衣がかかったチョコレートをなおも口に頬張りつつ、春風は言う。


 春風は偏食がひどく、こんなふうにお菓子やジャンクフードなどが大好きで、まともな食事はあまりとっていない。また、食生活についてうるさく言うと途端に機嫌が悪くなるため、両親もなかなか注意できていなかった。


「春風、お前またそんなものばっかり……」


「別に兄さんに言われなくても心配ご無用。摂取カロリー、タンパク質、脂質、糖質、ビタミンミネラルその他……これはこれでちゃんと計算してるから大丈夫よ。足りない栄養素は別でちゃんと補ってるしね」


 大きな旅行鞄から取り出したのは、外国製のサプリメントとミネラルウォーター。


 ちょうど食欲不振だった時は俺も似たような生活だったが、今の食生活にすっかり染まり、元通りになった俺の価値観からしたら、あまり勧められたものではない。


「――ところで、兄さん。今日は随分と私に『おにいちゃん』ヅラするのね? いつもだったら私の言いなりのくせに」


「! それ、は……」


 たとえ苦手であっても、春風は俺の妹だ。良くないと思うことがあれば指摘してあげなければと思っている。


「あの人たちがいないからって、もしかして調子に乗っちゃってるの? 相変わらず甘いなあ、兄さんは――」


 おもむろに取り出した春風のスマホには、


【滝本悠仁】


 と表示されていた。


「とう、さん……」


 ぞわり、と俺の首筋に悪寒が走った。


「このヒト今から召喚しちゃおうかな~、兄さんが私に指図してウザいからやめさせてよ~って」


「そ、それは……」


 好きにしろ、と本来なら言って突っぱねるべきだろう。俺は当たり前のことを注意しただけで、暴力をしたとか、嫌がらせをしたわけではない。


 だが、どうしても父さんの名前を見ると、今までのことが思い出されて、言葉に詰まってしまう。


 春風の過保護っぷりは異常だから、あの人ならやりかねない――そう思ってしまうのだ。


「ほら、嫌なんだったら、今すぐ私に謝って。『生意気言ってすいませんでした』って。私の前で両手と膝をついてさ」


「土下座って、そんなこと……」


「できない? じゃあ仕方ない――」


 春風の指がそのまま呼び出しボタンに触れようとしたとき、


「――そうしたいなら、好きにすれば?」


 冷たくなっていた俺の腕を、暖かな感触が包んだ。


「三久、」


「ごめんね。お母さんに色々説明してたら遅くなっちゃった」


 鞄を置いてすぐにこちらに来てくれたのだろう、制服姿のまま、三久が寄り添うようにして俺の隣に立ってくれていた。


「それよりも、春風ちゃん――だっけ? 来年高校受験だってのに、未だにやることがパパに告げ口? そんなガキみたいことしてさ、恥ずかしくないのかな?」


「……は?」


 春風が、三久のことを激しく睨みつける。だが、三久のほうは怯むことなく、逆に俺を庇うようにして前に出る。


 どうやら春風とやり合うつもりらしい。


「そういえば、今朝も兄さんといたよね? いきなり登場したと思ったイヌみたいに兄さんに抱き着いて……アンタいったい何様? 私と兄さんの、『家族の』問題に首を突っ込まないでくれる?」


「おに……遥くんのこといらないって切り捨てたくせに、今さら『家族』? もう一度幼稚園から出直して『家族』の意味をちゃんとお勉強してきたら? あなた、天才ちゃんなんでしょ?」


「……なに?」


 すくっと春風が立ち上がり、三久の目の前まで来てすごむ。


 春風は14歳でまだ中学二年生の女の子だが、すでに身長は170センチあり、ほぼ俺と肩を並べるほどだ。そして、スタイルも大人顔負けである。


「――ハッ」


「ぎっ……!」


 見下ろしながら、春風が三久のことを鼻で笑う。


 正直、体格面でいうと、春風と三久は一回りぐらい差がある。


「お、女の子は体格が全てじゃないし! 好きな人にかわいいって思ってくれたらそれで十分やし!」


「まあ、それについては異論はないわ。女のどこに魅力を感じるかは、人それぞれだものね。……でも、知ってた? 兄さんって、胸の大きな人が好みなのよ?」


「は、はっ!? なん、それ……!」


 ばっ、と三久の首がこちらへと向けられる。


「おにちゃん、それ、ホント?」


「は?! いや、そんなことは……全然、」


 正直に言うが、女性の胸についてサイズがどう、というのは考えたことは断じてなない。大きいから、小さいからという理由で好きになることはない。


 三久は控えめだけど、俺の中ではちゃんと『意識する女の子』で、ちゃんと異性として魅力を感じているわけだし。


「言い逃れはできないわよ、兄さん。だって、ほら、お兄ちゃんの部屋のクローゼットの中にある収納箱の二段目の奥にある本のタイトルは――」


「う……」


 三久が身構えたところで、春風がにやりと口元を歪めて言った。


「――ウソだよ、バーカ」


「な、なあっ……!」


 いつの間にか手玉に取られていたことに気づいて、三久の顔がかあっと赤くなる。


「あはは、初対面の人間の話にコロっと騙されるなんて、どこまでクソチョロなおこちゃまなんでしょう? そっちこそ、卵子ぐらいからやり直したら?」


「うぎぎ……年下のくせして、なんて生意気な……!」


「え、ええっ!? 年下って、もしかしてアナタ私より年上なの? 本当に? あららごめんなさいね、私てっきりアナタのこと小学生かと……」


「むきっ……!」


 その言葉で、三久の顔が真顔になる。


 これは完全に怒らせたヤツだ。こうなると、三久ももう手がつけられない。


「こいつっ! もう頭にきた! おにちゃん、こんなヤツのこと構う必要ないよ! さっさと追い出そう!」


「出ていくのはアナタよ、部外者」


「っ……もう、とにかく二人とも落ち着けって……!」


 その後、夕食の買い出しから帰ってきた祖母も交えてなんとか二人をなだめることはできたが……なんとも波乱に満ちた夏の始まりである。


 ―――――――――

 

 お待たせししました。更新を再開します。すでに最終話まで予約投稿終わっていますので、一日一話ずつですが、ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。

なお、新作『クラスで2番目に可愛い女の子と友だちになった』も始めましたので、そちらもよろしければどうぞ。

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