第39話 はるかぜ
同居生活が終わり、あっという間に一週間が過ぎた。
三久との関係は良好、というかいつも通り。
乃野木さんの忠告通りのことは、今はできていない。
「おにちゃん、おはよー! あ、さ、だよー!」
今日が一学期の終業式ということもあり、三久はいつもよりテンションが高い。
出発する時間はまだのはずだが、元気いっぱいで何よりだ。
「ん……おはよう」
「あ、もう、おにちゃんったらまた髪ボサボサ……直してあげるから、はやく降りてきて」
言われた通りに降りると、すでに三久が洗面所で待ち構えている。同居生活からの名残で、俺の寝ぐせ直しは朝の定番となっている。
たまに、寝ぐせがなくてもそれを口実に触ってきたりすることも。
「はい、綺麗になった」
「……ありがとうございます」
「どうしたしまして」
鏡に映る三久の姿を見る。
先日の乃野木さんの言葉で意識してしまったのもあるのかもしれないが……制服姿の三久、こんなに可愛かっただろうか。白と紺のリボンのセーラー服に、部活でほどよく焼けた小麦色の肌。
なんというか、コントラスト的もばっちりな気がする。
「ちょっと髪伸びたね。今度切ってあげなきゃね」
「髪切るって、三久が?」
「そう……といきたいところだけど、お母さんかな。元美容師だし……私じゃダメ?」
「ダメです」
「ちょっとだけ、前髪の毛、ほんの先っちょだけでいいから」
なんだろう、その絶対毛先だけで終わらない感じの頼み方は。襟足ぐらいなら……いや、やっぱりそれもまずいか。
「ぶー、けち」
「前髪がなくなりそうだからな」
「そんなことしないもん……多分」
「そこは自信もって」
久しぶりに一緒に行きたいとのことで、三久は俺の支度が終わるまで今で待つこととなった。
ところで、なぜ祖母が三人分の朝食を用意していて、自分の家で食べてきたはずの三久が普通にご飯を食べているのだろう。
一緒に朝食を(なぜか)とったあと、支度を終えて外へ。
ちょうど昨日、こちらでも梅雨上げ宣言となった空は、ところどころ真っ白な雲が浮かんでいる以外は、真っ青に晴れている。
「おにちゃん、夏だね」
「ああ」
「私たちにとっては、二回目だね」
「だな」
初めて三久と過ごした夏休みから、ちょうど十二年目の、二回目の夏休み。
俺は相変わらず予備校があるし、三久は部活がある。これから模試が立て続けに入ってくるから、毎日のように遊ぶというわけにはいかない。
俺も三久も成長している。ちょっとずつ変わっていく。
「――あ、おにちゃん見て、あそこ」
「え? なに?」
「ほら、あの雲のところ」
「曇って、そんなこと言われても――」
――ちゅっ。
「? え――」
空を見ることに集中していて気をとられた瞬間、俺の頬にあたたかい何かが触れた。
「三久、いま、」
「えへへ。おにちゃん、だまされた」
ふわりと甘い香りを残して、俺にくっついていた三久が小走りで俺から離れていく。
「おにちゃん、あの時よりももっともっと、いっぱいいっぱい楽しい夏にしようね。私、頑張っちゃうから」
「あ、ああ」
先ほどのことで頭がいっぱいで、そんな気の抜けた一言しか返せない。
俺の腕にしがみついて背伸びをした三久と、それから頬にのこる柔らかな感触。
もしかして、さっき俺、三久にキスを――。
「ほ、ほら、早く行こっ。まだ余裕はあるけど、のんびりしてたら電車に乗り遅れちゃうから」
「あ、ま、待てよ三久……」
いつもの自転車に乗って、俺は三久の背中を追いかけていく。
――三久ちゃんはアンタのことが好き。
ファミレスでの乃野木さんの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
「中途半端にせず、きちんと気持ちを、か」
それについては納得だし、いつまでも引きずるよりは、いっそ早めに決着をつけたほうがいいかもしれないが。
とにかく、今は目の前のことに集中しよう。近く、今度は全国規模の模試が開催される。ランキングに返り咲くことを目標にして頑張っているし、三久とのことは、また後で考えればいい。
ひとつひとつ、俺なりにゆっくりとこなしていけばいいのだ。
ひとまず先ほどのことは置いておき、三久に追いつくため、思い切りペダルに踏んで家の前の坂を下ろうとしたとき。
「……ん?」
黒塗りのタクシーが、ふと、俺の横を通り過ぎた。
「珍しいな……こんな時間にお客さん……」
この先にあるのはウチか早谷家しかないので、必然的にどちらかに用があるはず。
祖母や俺に用があるとは思えないので、ということは慎太郎さんか三枝さんか。それでもこの時間は失礼だと思うが。
「おにちゃん、どうしたの?」
「いや、あのタクシーが気になって――」
庭の前にとまったタクシーから、一人の人影が降りる。
この田舎の景色に、まったくそぐわない黒を基調としたゴスロリ服と、腰まで伸びた黑い髪――。
「? おにちゃん、どうしたの?」
「……なんで、」
「おにちゃん――あっ、ちょっと!?」
俺の様子を見て戻ってきてくれた三久を振り切って、俺は自転車を置いたままタクシーの方へと走っていく。
あの姿は、おそらく間違いない。
でも、どうしてこんなところに。
アイツが俺に興味をもつなんて、ありえないはずなのに。
「――ようやく着いた。……ふう、空気が澄んでてわりといい所じゃない。暑いのは変わらないけど、海風も吹いててそこそこ気持ちいいし」
「お前、なんで……!」
「……ふふ、久しぶり。音沙汰ないから死んだかも思ったけど、元気そうでよかった」
「久しぶりなのは……確かにそうだけど」
でも、今さらどうして。
「別にいいじゃない。夏休み中にどこ行こうが何をしようが、私の勝手で、自由。それがたとえ、新庄のおばあちゃんの家で、今は兄さんが一緒に住んでいたとしても」
「……おにちゃん」
後ろからすぐに追いついた三久が、俺の腕に抱き着く。
今の俺はひとりじゃない。隣に三久がいてくれる。それはわかっている。
だが、いざこうして対面すると、どうにも正常な精神状態ではいられない。
「? あなた、誰? 兄さんと随分仲良しさんみたいだけど」
「あなたこそ、誰? おに……遥くんの何?」
「私? 私はね――」
三久と俺のことを見おろして、その少女は自らの名を名乗る。
「――
予想外からの来客とともに、俺と三久の夏休みが幕を開けようとしていた。
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