第24話 へんちょう


 こみ上げる吐き気をなんとか落ち着かせて、俺はすぐさま予備校へと向かった。体調はすぐれないが、悪い夢を見たので休みますなんて、理由にはならない。


 いつもの席に座って参考書を開き、今日の授業でやる範囲にざっと目を通すものの、頭がうまく回ってくれない。


 朝食は、喉が頑なに拒否したせいでほとんど食べられなかった。空腹である自覚はあるのだが。


「……おいーっす、はあ、ねみ」


「おはよう、乃野木さん」


「んー。あ、そうだ、昨日のあの子の連絡先……の前に、滝本、ちょっと面貸して」


「え――むぐ」


 問答無用で俺の頭を鷲掴みにした乃野木さんは、バッグから取り出した野菜ジュースを開け、ストローを僕の口に突っ込んだ。


「気休めにしかなんないけど、水分と糖分はとっときなよ。液体なら、なんとか胃にぶち込めるでしょ?」


「……俺、そんなにヤバそうな顔してたかな」


「うん。もしかしてアピールしてんの、ってぐらいわかりやすかった。念のため聞くけど、アピールしてないよね?」


「そんなわけないでしょ」


 平常心を装っていたつもりだったが、乃野木さんには無駄だったようだ。


「で、なに? 夏バテ? それとも今から来年の重圧感じちゃってんの?」


「……両方ってところかな、昨日の疲れもあったと思うし」


「ああ……まあ、あの三人組騒がしそうだもんね。私はもう若くないから、ああいうの無理だわ」


 乃野木さんも俺と同学年のはずだが、それにしてはやけに達観しているような。


 経験豊富というやつなのだろうか。勝手な想像だが、色々派手そうな生活を送っていそうだし。


「で、三久ちゃんからはOKもらった?」


「うん。むしろぜひ話したいってさ」


 三久の連絡先が書かれた紙を渡す。


 三久も、ちょうどもう少し年齢の近いお姉さんが欲しかったそうだ。


 お姉さんなら加奈多さんがいるじゃないか、と一瞬思ったが、『カナねえはもうオジサン一歩手前だから』とのこと。


 加奈多さんが聞いたら、きっとビール瓶で頭をかち割られるに違いない。……俺の想像も、大分失礼だ。


「ありがと。じゃあ、さっそくメッセージ送っておこうかな」


「今度はあんまりおちょくらないようにね」


「わかってるってば」


 どんなやり取りをするのか気になるが、仲良くしてくれると嬉しい。


 同性だからこそ、出来る話だってあるはずだ。


「ねえ滝本、アンタって東京から来たんだよね? あっちには友だ……あっ」


「訊き終わる前に察するのやめてくれる?」


 だが、お察しの通り、俺に友人と呼べる人はいなかった。


 もちろんまるっきりぼっちというわけではなかったが、それでも付き合いは学校内だけで、どこの進路に進んだかも知らない。


「お節介かもしれないけど、同性の友達も作っときなよ。滝本みたいなハーレムクソ野郎にそんな聖人みたいな男が寄ってくるかは甚だ疑問だけど、いるといないとでは大違いだから」


「それは乃野木さんもでしょ。予備校で俺以外の人と話してるの、あんまりみたことないけど」


「私はもうそういうのは卒業したから。でも、滝本は入学から始めないとね。よっ、お友達学校ピカピカの一年生」


「なにそれ嫌な学校」


「ははっ、だね。自分で言ってて思った。サイアクだ」


 適当に冗談を言い合って、俺たちはテキストに向かいあって、目の前の授業に集中する。


 うん。乃野木さんと話したおかげで少しだけ楽になった気がする。やはり、持つべきものは友ということなのだろう。


 三久のこともあるし、これからも良好な関係で付き合っていけたらと思う。


 だが、そんなことで気分が晴れるほど、今回の悪夢は簡単ではなかった。



 ※



「っ、またか……!」

 だが、次の日、また次の日と経っても、一向に俺の体調は良くなる気配がない。


 あの夜以降、悪夢は毎日のように俺の夢に現れ、そして俺の精神をぐちゃぐちゃに乱し、体調をこれでもかと悪くさせてから去っていく。


 現在、深夜二時。最近は寝つきも悪くなって、なかなか睡眠時間が確保できない日々が続いていた。



 ――私の子供は、悠希と春風の二人だけだろう?



 耳元にこびりついて離れない父の言葉が、まるで呪詛のようになって俺を苦しめる。


 最近は、起きていてもたまに聞こえるようにまでなっていた。


 自分で産んでおいて、勝手に期待をかけて、ダメだったらいないものとして扱う。もう顔も見たくないから追い出す。


 最低な親だが、それでも血の繋がった家族であることに変わりない。


 だからこそ、俺はいつも、夢の最後で両親に向かって手を伸ばすのだ。


 捨てないで、一人にしないで、と。


「…………成績、落ちたな」


 おもむろに俺が手に取ったのは、直近に行われた予備校の模試の結果。


 志望校は以前と変わらず、判定は以前最高の『A』のまま。それはいい。


 だが、常に9割5分以上は点数が取れていた各教科は、9割、悪ければ8割にまで落ち込み、名前が掲載される50位内からは完全に姿を消してしまっていた。


 講師の岩井さんも、また、乃野木さんも気にするなとは言ってはいるが、さすがにここまで落ち込めば気にしないわけにはいかない。


「……勉強、しなきゃ」


 ふと俺はそう思った。


 そうだ。こんなに成績が下がったのは、単に努力が足りなかっただけだ。


 もっと努力すれば、もっと勉強すれば、きっと結果が得られるはずだ。


 そうすれば、両親だって俺のこと――。



 ――コツン。コツン。



「ん?」


 机に向かおうとライトを点けたとき、ふと、窓のガラスになにかがぶつかったような音がする。



 ――コツン。コツン。



「小石……?」


 どうやら下の方から庭の砂利を拾って投げているようだが、こんな夜中に一体誰が。


 気になって窓を開けてみると、そこには『大塚商店』と書かれた軽トラックが。


「よ、遥。久しぶり」


「加奈多さん? どうして……」


「はは、すまんね」


 どうやら石を投げたのは加奈多さんのようで、ばつの悪そうな顔を浮かべている。


「お節介なのは百も承知だったんだけど……ほら、こっちおいで」


「……おにちゃん」


 予想通りというか、加奈多さんの後ろから三久が姿を現した。


 こんな夜にも関わらず、寝間着ではなく、三久には珍しい白のワンピース。普段の三久よりもぐっと女の子らしさが際立っている。


「三久、お前……」


「ねえ、おにちゃん、これから一緒に海に行かない?」


「え……」


 深夜、三久からの突然の誘いに、俺の頭の中はいくつもの『?』で埋め尽くされたのだった。

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