第23話 ついほう


 ―――――――――


「すいません、でした」


 試験が終わった日の夜、家に戻った俺はすぐ父に謝罪した。


 土下座だった。


 受験が終わっただけで、合格発表されるのは後だ。


 発表されるまでは可能性はある。


「結果は二週間後のはずだが」


「……あの、書けなくて……」


「どういうことだ?」


「解けなかったんです」


「一問も、か?」


「……はい」


 だが、不合格の未来は確定していた。


 試験開始の合図がされた瞬間、頭の中が真っ白になってしまった。


 年間通して模試全国一位という記録をひっさげ、対策もばっちり。予備校の先生からも『A判定ではなくS判定だ』と太鼓判を押されてもいた。


 多少予想を外れても、十分対応できるだけ勉強をしていた。


 だがしかし、問題用紙を開いた瞬間、まだ問題文すら見ていない段階で、これまでの全てが飛んでしまったのだ。


 なんとかわかる問題に手を付けようとしたものの、どの問題を見ても、なにも頭に入ってこない。


 この問題は何を聞きたいのだろう。どう解答していけばいい。


 動悸が、動揺が収まらないうちに、一教科目が終わり、名前だけ書かれた白紙の解答用紙が回収されていく。


 受験において、一教科ゼロ点は死刑宣告のようなものだ。動揺は二教科も引きずり、三教科目、四教科目と、ただいたずらに時間が過ぎていった。


「そんなに難しい問題だったのか?」


「いえ……」


 予備校によれば、平年並みだという。俺も対策をしていたところだったので、報告を受けた担当講師も驚きを隠せないでいた。


「――ただいま、父さん」


悠希はるきか。遅かったな」


 額に頭を擦り付けているところで、六歳年上の兄、悠希の声が。今年、大学を卒業し、春から都内で研修医として働く。


「ちょっと彼女と卒業旅行の相談でね。……なに、ソイツまたダメだったの?」


「ああ、まただった」


「中学、高校と来て、大学でもか。本番弱すぎでしょマジで」


 この位置からでは兄の顔は見えないが、きっと俺のことを見下しているのだろう。


 以前から、この人はずっとそうだ。


「おい、滝本家の面汚し」


「っ――!?」


 兄は俺の前髪を掴み、強引に顔を上げさせた。


 ぶちぶちという音とともに、フローリングに数本の毛髪が落ちる。


「いいか、遥。俺たち滝本家ってのは成功者の家系なんだ。父さんからの代じゃない、祖父、曽祖父、その前からずっと。最後に勝てばそれでいいんじゃなく、最初から最後まで全部勝つ。そのために俺はやってきた。そしてこれからも同じだ」


 兄は、その通りの人生を歩んできた。小中高一貫の名門高のトップを走り続け、そしてこれからもそうなるだろう。父と同じように。


「遥、お前も学力だけなら俺とそう変わらないだろうよ。でもな、力だけあっても意味がないんだよ。結果が伴わなきゃ、それらは全部紙クズ同然だ、わかるな?」


「……うん」


 兄に言われるまでもなく、両親からずっと言われていたことだ。


 ――勝たなければいけない。絶対に負けちゃいけない。


 俺も頭では理解しているが、その重圧を、ついに最後まで跳ねのけることができなかった。


「悠希、もういい。手を放してやれ」


「でも、こいつは父さんの顔に泥を」


「――悠希、何を言っているんだ?」


 次に発した父の言葉に俺は耳を疑う。



 ――私の子供は、悠希と春風はるかぜ、二人だけだろう?」



「っ……!」


 その瞬間、俺は完全に家族から見捨てられたのだと悟った。


「……ははっ、そうだ、そうだったね父さん。滝本家は父さんと母さん、俺、それに妹の春風の四人だったね」


 俺はその場に固まったまま動けない。


「お父さん、悠希。夕飯にしますから、そろそろ――」


「母さん……」


「――さて、あとは春風ね。あの子、どこをほっつき歩いてるのかしら」


 母にも見放されて、俺は一人廊下に取り残された。


「悠希、もう彼女の両親には挨拶は――」


「もちろん――で、顔合わせの日取りは――」


 閉められたドアの向こうで楽しそうに繰り広げられる家族の会話が、どんどん遠くなっていく。


「父さん、母さん、兄さん――」


 見捨てないで。


 暗闇に飲まれていく中で、俺はもがくようにして手をのばし――



 ――――――――――――――



「――ちゃん、おにちゃん!」


「っ……!!」


 誰かに呼ばれる声で、ようやく俺は意識を取り戻した。同時に、今まで見ていたものは全て夢だったことを理解する。


「み、く……」


「うん。おはよう、おにちゃん。……朝のメッセージが返ってこなかったから心配で。すごい汗だけど、大丈夫?」


 スマホの目覚ましが鳴り響く中、三久が心配そうな様子で俺の顔を覗き込む。


 どうやら先ほどの悪夢は俺の精神にかなりのダメージをもたらしたらしい。


「っ、平気だよ。ちょっと変な夢でうなされてだけだと思う。内容ももう覚えてないし」


「本当に? 本当に大丈夫?」


「大丈夫だよ。昨日の買い物の疲れがちょっと残っただけだから」


 ウソ。本当はいますぐトイレに駆け込みたいほどの吐き気。


 だが、そうしてしまうと、三久の性格上、学校を休んで俺を看病すると言い出しかねない。なので、ここはぐっとこらえる。


「起こしてくれてありがとう、三久。ほら、早く学校行かないと遅刻するぞ」


「う、うん……」


 後ろ髪を引かれながらも、三久は俺の部屋を後にする。


 大丈夫、なんともない。今のはただの夢だし、もう過ぎたことだ。


 祖母がいて、三久がいて、加奈多さんがいて、他にも沢山。俺は一人じゃない。



 ――私の子供は悠希と春風、二人だけだろう?



「…………!」


 まるで耳元で囁かれるように父の声が脳裏に呼び起こされた瞬間、俺はすぐさま起き上がり、一目散にトイレへと駆けこんだ。

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