第10話 てつなぎ
「おにちゃん、もう平気?」
「ああ、うん。大分感覚が戻ってきたから」
「よおしっ、じゃあ、まずはこっちね」
店の駐車場の空いているところで乗り心地を試してから、改めて祖母の家に向けて俺たちは出発する。
俺が買った――というか三久が選んでくれたのだが、尖った砂利道などでも大丈夫なよう、マウンテンバイクを選んだ。変速機つき。
それなりに値は張ったので、お金が足りるか心配だったが、念のため祖母に確認の電話をいれたが、余計な心配だったようで、
『いいよ』
と即答だったので、甘えることにした。
ただ、いつかきちんとお返しはしようと思う。
「おにちゃん、大丈夫? もっとスピード落とそうか~?」
対する三久のほう。変速機などはない、いたって普通のシティサイクル。
が、すでに20メートルぐらいは離されている。
なんでも本気を出すと車を抜けるぐらいにはスピードを出せるらしい。さすが自転車通学組だが、危ないので安全運転を心がけてほしいところだ。
「だい、じょうぶだよっ、このぐらい!」
ちょっとだけ見栄をはって、思い切り足に力を入れて三久に追いつく。
もう息がきつい。
「いいね~。おにちゃんさすが」
「本当はそう思ってないくせに」
「えへへ。でも、大丈夫。おにちゃんもすぐ慣れるよっ」
そう言って、三久はハンドルから手を放した。
手放し運転。慣れているんだろうが、また危ないことをする。
「三久」
「わかってる。でも、こうするとなんか気持ちいいんだよね。全身で風を受けてるって感じがしてさ」
両腕をだらりとさげ、ぼんやりと空を見上げている三久を見る。
風でそよぐ髪、健康的なやや小麦色の肌、気持ちよさそうに表情を緩める横顔。
「…………」
「おにちゃん?」
「え?」
「いや、ずっと私のこと見てたかなって。……なんか私、おかしかったかな?」
「っ、いや、大丈夫。三久はおかしくない。あまりにも三久がクサいこと言ったから、びっくりしただけだ」
「むう……い、いいでしょ。私だって、たまには恥ずかしいセリフを言ってみたいお年頃なのっ」
なんとか誤魔化して、俺は三久からいったん目をそらす。
(……なんだ、この感じ)
ちょっとだけ、三久に見惚れてしまった自分がいた。
三久のことを、まさか一瞬でも綺麗だと思うなんて。
おかしいのは彼女ではなく、俺だ。
きっと、買い物の疲れで判断が誤作動を起こしたに違いない。
やけに鼓動の速い心臓も、きっと疲れのせいだ。
今日は帰ったら早く寝てしまおう。
「三久、ほら、もう危ないから。ハンドル握れって」
「心配性だなー、ここらへんは滅多に車も通らないから、もし心配だったら、危なくないように手でも――」
頬を膨らませてハンドルを握りなおしたところで、三久の顔がみるみる赤くなっていく。
「……どうした?」
「あ……う、うん。ちょっと思いついちゃったんだけど……ね?」
俺から微妙に視線をそらして、三久が片手だけハンドルから手を放して、言う。
なんだろう、この絶対に面倒くさいことが起こりそうな予感。
「もし、おにちゃんが良かったら、なんだけど」
「……うん」
「手でも、その、つないだらどうかな~、なんて。……私が危なくならないように」
「って……」
おずおずと差し出された三久の手を見て、俺は考える。
お互い片手運転で、空いたほうの手を繋いだまま走るということだ。
ふと、そうなった場合の図を想像する。
それってものすごく、恥ずかしいことなのでは。
そして、そうしたからといってまったく安全でもない。むしろ単独で片手運転するよりも危ないんじゃないだろうか。
あと、これは俺の想像だが、そんなことをするのって、どう考えても――。
「三久、それって」
「っ……ご、ごめん! やっぱり今のナシ! 忘れて!」
三久も同じことを考えたようで、わたわたと手を振って、弱々しく差し出した手を引っ込めた。
「い、いや~、もう。私ったら、なに恥ずかしいこと……さっきの言葉といい、今のといい……ちょっと疲れちゃったのかな。おかしいな~、あはは……」
誤魔化すように三久は俺に笑いかけるが、さっきまでの元気はどこへやら、風船の空気が抜けるかのように、みるみるうちに萎んでいく。
しゅんとしているのは、明らかだった。
だから、そんな顔をされると困るって言うのに。
「……ああ、もう」
「え?」
今度は三久が目をぱちくりとさせる番だった。
「ほら」
片手を放して、俺は三久に手を差し出していた。多分、人生で初めての片手運転だが、特にバランスのほうは問題ない。
「おにちゃん、これ……」
「ほら。別に手を繋ぐぐらいなんて、今さらなんてことないだろ。いつも俺のこと引っ張ってんだから」
そういうことだ。
シチュエーションがちょっと変わったとしても、俺と三久の関係性が変わるわけじゃない。
俺と三久は、昔付き合いのあったお隣さんで、ただの仲がいい幼馴染。
だから、別に恥ずかしくなんてないのだ。……多分。
「なんだよ。繋がないんなら、やめるけど」
「だ、ダメっ! そんなこと、私、まだ言っとらんしっ」
萎れていた風船に、急に空気が充填された。
まったく、わかりやすい幼馴染だ。
そういうところ、嫌いではないが。
「……いくよ?」
「改めて言わなくていい。恥ずいから」
「だっ、だよね」
そう言って、三久が俺の方へゆっくりと手を伸ばしてきた。
危なくないように、手はしっかり握らないと。
簡単に離れないよう、指と指は、きっちりと絡ませて。
三久の考える『手を握る』っていうのは、多分、そういうことなのだろうと思うから。
「えっと、えと……じゃ、じゃあ、ふ、ふつつかものですが」
「ふつ……まあ、うん。今はつっこまない」
そうして、三久と俺の指が交わろうとしたところで、
――チリンチリン!
「「ひゃいっ!?」」
二人して同じような声が出てしまった。
自転車のベルに振り向くと、いつの間にか後ろから自転車にのったおじいさんが。
気づかないうちに通せんぼしていたらしい。
「……えっと、お先にどうぞ」
「……どぞ」
おじいさんは無言で俺たちを追い抜いていったが、改めて二人きりになった時、尋常でないぐらいの恥ずかしさがこみあげてきた。
現実に引き戻されたような感覚になって、ようやく気付く。
いくらそういうお年頃とはいえ、俺たち、ちょっと恥ずかしすぎだろう。
「……今日はもうこういうのやめておこうか」
「うん、そ、そだね……はは」
やっぱり自転車は両手で漕ぐべきだ。
この時の俺は誰よりもそう思ったに違いない。
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