第9話 えんちょう


 回れ右して自転車置き場をいったん後にし、三久は俺をぐいぐいと引っ張って、古着屋の中へと入っていった。


 壁や、ハンガー、脚立がないと届かないほどの大きな棚――それなりに狭い店舗の空間をフルに使って、大量の服やバッグ、靴などを陳列している。


「ここは私も友だちとたまに行くからね。ほら、ポイントカード。もうすぐ500円引き」


「ちゃっかりしてるな」


「一応、お小遣い制だからね。バイトしたいけど、部活があるから無理だし」


 バイトか。


 そういえば、俺もやったことはない。


 出来るだけ金銭面で祖母に迷惑をかけたくないのだが、祖母の性格を考えると『そんなこと考える暇があるなら勉強しな』だろう。


「女性の言うことは聞いておくもんだよ、遥くん」


 いつのまにか合流していた慎太郎さんが、しみじみ言いながら俺の肩を叩いた。


 世代は離れているが、妙な親近感。


「おにちゃん、こっちこっち。服、決まったよ~」


 こちらでもたっぷり三十分かけて、三久が俺のことを呼ぶ。


 あと、わかっているからそんなに元気よく、ぶんぶんと手を振らないでほしい。皆が生温かい目で俺のことを見てる。店員さんも苦笑している。


「はい、これ」


 どさっ、と両手に抱えさせられた。

「……決まってないじゃん」


「決まったよ、試着してもらう服が」


「ああ、そういうことね」


 文句は……あんまり言わない。


 女性の言うことは聞いておくもの。ちゃんと覚えている。慎太郎さんが仲間を見るような目でこちらに向かって親指を立てているが、あれはどういう意味なのだろう。


 とにかく、試着するか。古着だが、予めクリーニング済みとのこと。


 上から下まで、三久から指定された通りに来ていく。帽子、靴まで。値段が心配だが、そこもちゃんと考えてくれているようで、全部合わせても四ケタ内で収まっている。


 やりくり上手、ってことでいいのだろうか。


 一通り着て、三久に見せる。


 俺にはこういうのはよくわからないから、三久に判断してもらえば間違いないだろう。


 まあ、もし俺が欲しいものがあっても却下されそうだし。


「む~……今はちょっと微妙だけど、今のやせすぎをもうちょっと体格よくさせれば……」


 指で四角をつくって、俺を被写体におさめて慎重に品定めをしている。


 しかし、体格を『よくさせれば』とは――コーディネートに飽き足らず、俺のトレーナーまでやるつもりだ、この幼馴染。


 どうやら、選んだもののうちの二つで、どちらにすべきか迷っているようだ。


「…………」


 鏡を見る。


 まあ、そこそこ見れる感じになっているだろうか。さっきまでの暗く、地味な感じはない。


 顔は相変わらずの不健康だが、服装一つで印象は変わるものだ。


「あの、すいません。どっちも買います」


「! おにちゃん、いいの?」


「まあ……大丈夫だろ。その分自転車のほうで調整すればいいし」


 上から下の二つセットなので、そうするとそこそこの金額になるが、悩むんだったら、二つ買ってしまったほうがいいだろう。


 それに、多めに服を揃えておかないと、あっと言う間にクソダサだ。もうすぐ梅雨の季節。


「うん、そうだねっ。じゃあ、そうしちゃおっか!」


 結局、その場の勢いのまま、二セットお買い上げ。お金は慎太郎さんから事前にあずかっていたようだ。


 デカい紙袋を二つ提げて、三久が俺のところに戻ってきた。


「……三久、なんか、嬉しそうだな」


「そうかな? えへへ」


 別に自分が着るものを選んだってわけじゃないのに、三久はまるで自分のことのように笑ってくれる。


 嬉しいが、そんな風にされると、ちょっと、どうしたらいいかわからない。


 今の三久は、ちゃんと『幼馴染』のはずなのだが。


 ※


 予想外の出費もあったが、本来の目的である自転車もしっかりと購入し、これで今日の目的は達成した。


 買い物しただけなのだが、結構疲れてしまった。


 もし、これから三久とどこかに付き合うとしたら、こんなことが頻繁に続くのだろう。


 なんとなく、またこういうことがありそうな気がする。いや、絶対ある。


 そうやって、また俺の家に押しかけて、強引に俺の手を引っ張って外の世界に連れ出してしまうのだ。


 まあ、いつものことか。


 俺に出来ることは、いつでも疲れる準備をしておくことぐらいか。


「なあ、三久」


「なに?」


「もし、俺がこれまでのこと迷惑だって言ったらどうする?」


「…………え」


 それまで上機嫌だった三久の横顔が、その言葉で一瞬にして凍り付いた。


 その直後、途端にじわりと潤み始めた彼女の瞳を見て、俺はすぐに大間違いに気づく。


 今まで振り回されっぱなしだったから、ちょっとだけ俺からもやり返したくて。


 ほんの軽口だったつもりが。


「あ、いや、冗談だから。そんな今にも世界が終わるみたいな顔するなって。……本当にごめん」


「……ほんと? 迷惑やない? 余計なお節介やなかった?」


 すこし、口調が方言っぽくなっている。多分、俺がいる前では極力気を遣っているのだろう。


 そんな三久に、冗談とはいえ、俺はなんて無神経なことを。


「うん。本当」


「おわびにアイス買っていい?」


「……いいよ」


「じゃあ許す」


「ありがとう」


「えへへ。じゃあ、ちょうどあそこに屋台カー出てることだし、買っていこうよ。おにちゃんも食べるでしょ?」


 なんとか機嫌を直してくれてよかった。


 そんなわけで、今の俺には三久を拒否することはできなさそうだ。


 二人並んでソフトクリームをなめながら、今しがた買ったばかりの自転車を押して、慎太郎さんの待つ車へと向かっていく。


 そういえば、こんなふうに買い食いっぽいことをしたのも久しぶりか。前、そんなことあったかはよく覚えていないが。


「おかえり。ん? なんだ、二人しておいしそうなもの。おじさんにもちょっと一口よこしなさい」


「ダメっ、そうやって一口で済んだことなんてなかったし」


「慎太郎さん、よかったら俺の食べますか? チョコ味ですけど」


「おっ、遥くんは話が分かるな~。んじゃ、お言葉に甘えて――」


 かぶり、と一口。


「…………」


 半分なくなった。


 やはり娘の言葉を信じるべきだったか。


「あー、お父さんずるい! 私もチョコ、ちょっと食べたかったのに!」


「えっと、三久も欲しいなら、食べるか? 俺はそんなにいらないし」


「う~……」


 ぷいっ。


 しばらく悩んでいたようだが、顔をそらした。


「えっと……おとーさんが食べたから、いらない。この歳で父親と間接キスとか、正直、ちょっと勘弁してほしいって感じだし」


「おごぐはっ……!?」


 娘からのクリティカルヒットに、慎太郎さんがもだえ苦しんでいる。


 年頃の女の子ならみんなこんなものだと思うが……俺は苦笑しつつ、心の中で慎太郎さんにドンマイをしておく。


「……と、とりあえず、遥くんの服の方は車に乗せるとして、自転車のほうはどうする?」


「自転車……あっ」


 慎太郎さんのミニバンでも後部座席を倒せば自転車をのせることはできるが、俺の分だけじゃなく、三久の分もある。


 さすがに二台乗せるのは……うん、スペース的にちょっと無理だ。助手席は残っているが、一人しか座れないし、無理矢理二人で乗るのも危ない。


「そっか。じゃあ、私とおにちゃんは、自転車に乗って一緒に帰るよ。家までの道案内とか、色々かねて」


「えっ」


 正直なところ、久しぶりに色々やり過ぎたせいで疲労がピークに近い。


 さっさと車で家路につきたいと思っていたところだが……。


「ね? おにちゃんもそのほうがいいでしょ?」


「あ~……そっか。言われてみれば、確かにそうかもな」


 さっきの表情がちらついて、嫌とは言いづらい。


 口は禍の元。このことは、今後しっかりと肝に銘じておこう。


「えへへ。じゃあ、行こっか」


「……よろしくお願いします」


 三久とのデートっぽい午後は、もう少しだけ延長である。

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