第7話 よびこう


 三久との朝チュン未遂(?)のことは気になるところだが、今日は俺にも用事があるので、そっちを済ませなければならない。


 徐々に食欲も戻ってきているようで、祖母が作ってくれた朝食も半分くらいは食べることが出来た。


 大きな進歩……なので、気分も悪くない。


「遥、今日は予備校に行くんだろう?」


「うん。今日は手続きの書類とかを記入してって感じだから、本格的に通うのは週明けからになるけど」


 通うのは、市内にある予備校。季節外れだが、以前東京のほうで通っていた予備校は全国展開しているところで、今回お世話になる予備校はそこの系列なのだ。


 なので、勉強については問題ないのだが、俺が気にしているのは、別のところだった。


「お婆ちゃん、バスなんだけど、ここってどのくらいの頻度でくる?」


「一時間に一回あればいいほうだね。あと、平日土日関係なく、夕方5時で一日の運航は終わるよ」


「……だよね」


 こちらに向かう際、バスの時刻表を見ていたので予感はしていた。


 予備校の授業は、朝から晩までみっちりとやる。朝はいいかもしれないが、帰宅は夜になるので、夕方に運航を終わられてしまうと、家に帰れなくなる。


「ここで住むってなったら、車がないと買い物にも難儀するからねえ。遥も、もし長くいるつもりなら、免許証とらないとねえ」


 三久は自転車を使って通学しているが、ここから最寄り駅まで40~50分ぐらいはかかるようだ。それもかなり飛ばしてだから、普通に漕いでいると一時間はゆうに超えるだろう。


 ……体力、もつだろうか。


「まあ、今日は慎太郎くんに送り迎えを頼もうか。自転車は、その帰りのときにでも買ったらええ」


「自転車……あ、でも、お金」


「お婆ちゃんが出してやるから、遥は心配せんでええ。爺ちゃんに内緒で貯めたへそくりがまだ残っとるからの」


 お金に関しては、俺をこっちにやることが決まった時、母が『口座に振り込むから』云々電話口で言っていたのを聞いたが……祖母の口ぶりから考えると、そこには手を付ける気は一切なさそうだ。


「本当は私が送り迎えしてやってもいいんだけど……慎太郎くんや三枝さんから止められるんだよねえ。私はまだまだ現役なのにねえ、なぜだろうねえ」


「はは……」


 そういえば、ガレージに使い古された軽トラックがあったことを思い出しつつ、その助手席に乗ることは絶対に避けようと思う俺だった。



 ※



 慎太郎さんの車で20分、そしてそこから電車に揺られて40分。駅から出てすぐのところに、俺がこれから通う予備校がある。


「現役生のころから通ってたけど、雰囲気は相変わらずって感じだな」


 受付のあるエントランスにはそこそこ人はいるが、明るくおしゃべりすると言った雰囲気はあまり感じられない。


 ここの予備校は、有名大学やその他国公立大医学部を目指す生徒たちが中心となっているので、もう夏に差し掛かってくるこのころから、現役生も浪人生もピリピリしだしてくる。


 全国模試も、ちょうどこの時期ぐらいから行われ始める。


「滝本君、ちょっと」


 書類を提出し、転校の受付を待っている時、カウンターのほうから俺を呼び出す男の人の声が。


 おそらく、これから俺が入るクラスを担当する講師の一人だろう。40代ぐらいで、若干よれよれのワイシャツの胸あたりに職員証がぶら下がっている。


 人はよさそうだ。


「うちの分の参考書渡すから、あっちの応接スペースにどうぞ。それと、今から授業に参加できるけど、どうする?」


「いえ、今日は人を待たせているので」


「わかった。じゃあ、面談だけにしようか。あ、僕はここの講師の岩井です。よろしく」


「あ、どうも」


 お互いに挨拶を交わして、フロア隅の来客用のスペースへ。


「普段、僕もこんなことはあまりやらないんだけど。今回はさすがにね」


 今後の予定表やコマ割りを受け取り、軽く15分ほど説明を受けた後、岩井さんはあたりをキョロキョロと見渡して、人がいないことを確認する。


「そこまで気にしなくてもいいですよ。僕も、今年の試験の結果については受け止めているので」


「そう? でも、さすがに東京のほうの先生たちも驚いてたみたいだからさ」


 系列校だから、もちろんそこに通う生徒たちのこれまでの成績などは共有されている。

 おそらく岩井さんも、昨年の俺の成績については目を通しているはずだ。


「こういう前例、まあ、全くないわけじゃないけど、ウチの系列で滅多に起きることないからさ。……まさか去年の全国模試一位の子が、浪人するなんてことはね」


「そう、ですよね。やっぱり」


 岩井さんの言う通り、昨年受験した全ての模試で、俺は一位を獲得している。


 もちろん、系列の予備校内のものだけではない。


 全国の受験生が受けられる模試でも、俺は一位だったのだ。


 なので、俺が不合格になった時、講師内でもしばらくはその話題で持ち切りだった。


「まあ、理由については訊かないよ。来年の合格を目指すのなら、ウチとしては今までどおり協力はするよ。お金ももらってるしね」


 こちらとしても、それで全く問題ない。高校ならともかく、予備校はそういう場所ではない。


 だから、この問題は自分で乗り越えなければならないのだ。





 週明けから通うことを岩井さんに伝え、俺はいったん帰ることに。


 帰り際、これから俺が使うための自転車を買うことになっている。駅から少し行ったところに、ホームセンターがあるらしく、そこで選ぼうということになった。


 ちなみに、気になる予算。


 電話で慎太郎さんと話した感じだと、お金については『かなり』もらったらしい。


 ……まあ、多少は値の張るものを選ぶことにしよう。気を遣って安いものを買っても、それですぐ壊れたら意味がないし、祖母にも悪い。


「遥くん、こっち」


 駅から出ると、クラクションとともに慎太郎さんの声が。どうやら、待たせてしまっていたようだ。


「すいません、気を遣わせてしまって」


「ん? いや、こっちもさっき来たばかりだし。本当はもっと早く着くつもりだったんだけど、後ろのがうるさくて。なあ、三久?」


「おとーさんっ、うるさい」


「……三久、ついて来たんだ」


「う、うん……まあ」


 後部座席にちょこんと座っていた三久に目をやると、やはり朝のことがあったのか、顔をほんのり赤らめて、視線をそらされた。


 うーん、気まずい。

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