第6話 あさちゅん


 俺の歓迎も兼ねたバーベキューが終わって、翌朝。


「……ん」


 ふわりと鼻にかかる味噌のいい匂いで、俺は目を覚ました。


 どうやらいつの間にか眠ってしまっていたらしい。二階の自室ではなく、一階の客間で寝ていた。かけられたタオルケットはおそらく祖母がやってくれたのだろう。


 窓の外からは、朝を告げる鳥たちの囀りが聞こえてくる。これまでスマホの電子音ばかりで起こされていたから、こういう朝はとても新鮮だった。


 首を動かして、時計を見る。午前10時。昨日いつ寝たか全く覚えていないが、おそらくまるまる10時間は寝たはず。


 あと、風呂にも入ってない。


「……こんなに寝たの、いつ振りだっけ」


 実家に居たときは勉強がまず優先だったので、4時間や5時間ほどしか睡眠時間がなかったし、寝つきもそれほど良くなかった。


 長旅の疲労もあったとはいえ、途中で目を覚ますこともないとは、なんと珍しい。


 それだけのことが、昨日あったということだ。


 浮かぶのは、主に一人の女の子のことばかりだが、それだけ俺にとっても、彼女との再会が嬉しかったということだろう。


「おや、ようやくお目覚めかい」


「おばあちゃん」


「今、朝ご飯用意してるからね。その間に、顔、洗っておいで」


「うん、ありがとう」


 もうちょっとだけ寝ておきたい気もするが、今日は俺もやらなければならないことがある。予定は午後からだが、いつまでも怠けているわけにはいかないか。


 ということで、タオルケットをめくって起き上がろうとしたのだが。


 ――ふにっ。


「……ん?」 


 やけに柔らかい感触が俺のすぐそばにあるのに気づいた。


 そういえば、さっきからやけに心地いい抱き枕もあるものだと思っていたのだ。


 ちょうど体にフィットしているし、ぐっすり眠ることができたのは、それも要因の一つだと言っていい。


 でも、果たして祖母の家にそんなもの、あっただろうか。


「ああ、そうだ。一緒に食べるから、そこにいる三久ちゃんのことも起こしてやってな」


「…………」


 そこにいる、とは。


 恐る恐るといった手つきでタオルケットを完全にめくると。


「……おに、ちゃん」


「………………」


 なんとなくそうかも、と思っていたが。


 その先には、耳まで真っ赤にして俺のことを上目遣いに見る三久の顔があった。


 それも、抱き枕のように俺が抱き寄せていたので、ものすごく距離が近い。


 触れ合う素足どうし。感じる三久の肌の滑らかさ――って、違う、そうじゃない。


「っ……ご、ごめんっ! おれっ、いつのまにか……だきっ……!」


「あ、ううう、うん。えと、その、だいじょぶ……じゃないけど、多分、だいじょぶ」


 すぐに跳ね起きて、三久と距離をとるが、これ以上にないぐらい気まずい。そして互いに会話がうまくまとまらない。


 なんで、どうしてこんなことになっているのだろう。


 その答えは昨夜のことにあるのだが、それが思い出せない。


「おや、三久ちゃんも起きてたんだねえ。おはよう」


「う、うん。おはっ、おはよう、おばあちゃん。ところで、あの、私どうして、おにちゃんと一緒に」


 広間で仲良く添い寝なんて事態になっていたのだろう。


 さすがにどちらも服は着ているから、まさか、変な間違いは起こってないはずだが。


「おや、覚えてないのかい? まあ、私も途中で寝ちゃったから、詳しいことは慎太郎くんか三枝さんに訊けばいいと思うけど」


「おにちゃんは、どこまで覚えてる?」


「えっと、確か、あの後……」


 バーベキューの続きだとか言って、慎太郎さんたちがこの場所で宴会を始めたのは、なんとなく覚えている。


 そこで俺や三久も、その脇でつまみのお菓子をつまんで、ジュースを飲みながらあれやこれやと話していたと思う。


 三久も頷いているから、そこまではどちらも記憶にある。


 ということは、問題なのはその後だ。


「――ああ、そういえば私が寝る前、慎太郎くんと三枝さんがちょっと慌ててたねえ。『ここにあった飲みかけの缶、まさか二人とも飲んじゃったの?』とかなんとか」


「それだ」


 なんとなく何があったかは想像に難くない。


 確かに、ジュースにしてはどこか風味のおかしいものを飲んだような、記憶が。


「も、もう! やっぱりお父さんのしわざっ……! ご、ごめんね、おにちゃん、おばあちゃん。ウチの人たちが迷惑かけちゃって」


「うん? まあ、ウチと早谷家は家族ぐるみの付き合いだから構わないよ。……ただ、おかしいねえ。いくら、遥と三久ちゃんの仲がいいとはいえ、あの二人がわざとそんなことをするようなこと、ないと思うんだがねえ」


「あっ」


 祖母の言葉に、それまで両親にかわって謝罪していた三久の体が固まった。


 昨日のことをなにか思い出したのだろうか、元に戻っていた三久の小麦色の肌が、ふたたびみるみるうちに赤く火照っていく。


 そういえば……みたいな呟きも聞こえた気がしたし。


「……三久?」


「え、えと……」


「えっと、ちょうど寝る前に用を足すのを忘れて下に降りた時だったかね。三久ちゃんが『やだやだ!』とかなんか駄々をこねてたような気が――」


「も、もう! おばあちゃんったら、なにいってんのカナ~? あ、私、お父さんとお母さんに用事思い出したから、もう行くね!」


 そこで無理矢理会話を打ち切った三久は、そのまま慌てた様子でウチから出ていった。


「三久ちゃん……もう、あの子の忙しなさはちっとも変わらないねえ。まあ、そういうところがかわいいんだけど。ねえ、遥もそう思うだろう?」


「……まあ、うん」

 

 結局、その後、慎太郎さんに訊いても三枝さんに訊いても、この日のことは早谷家だけの秘密ということで、何があったかは教えてくれなかった。


 多分そう近くない未来に話すことになる、と三枝さんがこっそり教えてはくれたが……いったいそれがいつになるのか、そしてそんな時が果たしてくるのか。


 そんなこと、今の俺には知る由もないわけで。

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